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金属バット〜「なつかし断捨離日記」

みなさん、こんにちは。
ケイズハウスのなかの人です。
ケイズハウスは、実家じまい(相続)や
マンスリーマンションを得意とする不動産会社です。

古ぼけてしまった大切な実家。
まるでタイムスリップしてしまったかのような子供部屋。
親と子の未来を見据えた断捨離は、宝物と感動でいっぱい。

このコラムでは、昭和の昔、
こどもたちには「ちょっとだけ手の出しにくかった」
ベストセラー商品の当時の価格や時代背景を探りながら、
その魅力を語っていきたいと思います。

             ◇

怪優・竹中直人の往年のギャグに「笑いながら怒る人」というのがありましたが、小学生の時の私がその場で経験したのは、さしずめ「笑いながら同情する人」でした。

それは、たぶん1974(昭和49)年ごろのことだったと思います。


私は「バットを新しく買った」という友人と放課後、近所にあるバッティングセンターに行きました。野球少年であった私たちは興奮していました。お小遣いを貯め、やっとの思いでお気に入りのバットを手に入れた私の友人の興奮はなおさらでした。

友人は上気した顔で、「じゃ、俺が先に打つね」とゲージに入りました。

貴重なお小遣いが投入され、友人はバットを立て、田淵幸一型に構えました。

じっと見守る私。

マシーンから放たれた第一球、友人は思いっきりバットを振りました。バキッと鈍い音をたて、新品のバットは根元から折れました。バットの木片が、場内でカラカラとバカな音をたてていました。

あまりの衝撃にその後のことはあまり覚えていません。ただ、その「事故」のあった翌日、ガムテープでぐるぐる巻にした「いびつな」バットを持った友人が公園に現れ、「いや、それムリでしょ」と思ったことをかすかに覚えています。

そんな子供たちの「悲しき思い」が伝わったかどうかは定かではありませんが、このころ、金属バットが発売されました。価格は軟式用で4000円前後。現在の価格に直すと約8000円です。もちろん、私たちは先を争ってそれを買い求めました。

その金属でできた「新しい」バットは折れませんでした。友人はフォームを高田繁型に変えました。

子供たちは、「折れない」力強さを手に入れ、少しだけ成長しました。

では、また、次回をお楽しみに。



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