「伊勢佐木あたりに灯りがともる〜伊勢佐木町ブルースの世界」
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さて、今日はちょっと古いですが、ここ伊勢佐木町の名曲、『伊勢佐木町ブルース』、青江三奈の低音ボイスで描かれた「港ヨコハマ」の土地と歌の世界をお届けしようと思います。
波止場の別れ 惜しむよに
伊勢佐木あたりに 灯りがともる
「伊勢佐木あたり」
いまどきこんな曖昧な待ち合わせでもしようもんなら、時間と能力を切り売りするキャリア女史に、こっぴどくやり込められてしまいます。ですが、この「伊勢佐木あたり」という言い方は、曲全体を通して効果的に使われている重要なフレーズです。
この場合の「あたり」は、いまどきの若者の、「~みたいな」「~のほうでよろしかったですか?」のような言葉とはあきらかに違います。
曲解した謙遜や断定を避けたがる優柔不断さではなく、この「あたり」は、いろいろな「可能性」を匂わすおとなの言葉です。
その昔、「1/f 揺らぎ」という言葉が流行ったことがありました(これも古い!)。これは、規則正しい揺れとランダムな揺れとの間の「中間の値」で、人に心地よさやヒーリング効果を与えるといわれています。
この概念は現在でも、環境音楽から家電製品にまで応用されていますが、その「1/f 揺らぎ」と同じような意味で、伊勢佐木の「あたり」は存在するのです(ほんとうか!)。
ここで、ちょっとお勉強。横浜がなにもない小さな漁村だったというのは有名な話です。東海道の神奈川宿からも距離があり、まだ埋め立てが行われていない時代には、海に鍵型に突き出した小さな半島でした。その後、ペリー提督の来航によって本格的な港町として開発され、多くの外国人「居留地」が生まれました。現在の日本大通りが境界となり、日本側の重要な建造物が立ち並ぶエリアと外国人が自由に行き交う「ややこしい」エリアに別れ、それら全体を称して住民は「関内」(吉田橋周辺に幕府の関所があり、そこから海側を関の内と位置づけていたことによる)と称していました。そして、現在の根岸線の線路を挟んで反対側に位置する伊勢佐木町は、その関の外「関外」なのです。
開港から発展してきた横浜の歴史は長く幾重にも重なります。なんとなく横浜人の間に、土地の区分に対して共通のイメージがあるように思います。
たとえば、「関内は、異国情緒はあるけれど、お役所などもあり、なおかつ氷川丸や山下公園などを臨む観光地でもあるので、行くにはちょっと重い」とか、「野毛は楽しいところだけど、ちょっと下町の風情が強すぎて」(最近はだいぶ変わったみたいですが)とか、あるいは「横浜駅の周辺でデートしろと言われてもねえ」みたいなイメージです。
それでもって「伊勢佐木あたり」
このあたりには古くから栄えた歓楽街もあり、有名なデパートや老舗書店や瀟洒な店舗も立ち並ぶ。ちょっと路地をずらせば、怪しい雰囲気のネオン街も待っている。
港ヨコハマの洒落っ気と悪戯心。
『伊勢佐木町ブルース』は、昭和43(1968)年の歌。現在は、イセザキモールのなかほどに、この歌の碑が建立されています。
港ヨコハマの重要な観光資源、山下公園から臨む氷川丸
夜の伊勢佐木町に突然現れるムード歌謡の世界。
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