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ぶっ殺すぶっ殺す。昂揚会、まじで許さねえ。


「ぶっ殺すぶっ殺す。昂揚会、まじで許さねえ。」

ぶつぶつと、そう呟きながら1区の終わりを歩いていた。


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・100ハイってなに?

(早大生は読み飛ばして下さい)

第57回本庄〜早稲田100キロハイクに参加しました。
このイベントは『早稲田祭』『早慶戦』に並び、早稲田大学公式の三大イベントと称されています。
スタート地点は本庄早稲田駅からすぐ近くのJA埼玉ひびきの。

(100キロハイク当日の朝7:00)

そこから2日間かけ、東京都新宿区にある早稲田大学 早稲田キャンバスに向けて歩くというイベント。
本庄早稲田から東京駅まで、新幹線を使えば49分で着く時代。毎年、かなりの早大生がこのイベントに参加します。
普段、通っているキャンパスも100キロ歩いて辿り着いた後では、ありがたみが違うのでしょう。ゴール地点ではかなり多くの参加者の方々が泣いていました。

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・縛りプレイヤー

今回の100キロハイク、縛りプレイヤー(キラ男縛り)として参加しました。縛りプレイヤーとは何かしらの負荷を背負い歩く参加者のこと。100キロハイクの主催である早稲田精神昂揚会が、何人かの参加者に様々な内容の負荷をかけて歩かせます。

その他にも、裸足になったり、ゴールまでコスプレを身につけていたりと自主的に縛りをして歩く参加者もいます。

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「ぶっ殺すぶっ殺す。昂揚会、まじで許さねぇ。」

ぶつぶつと、そう呟きながら1区の途中を歩いていた。

今回の100キロハイク、キラ男縛りとして参加した。

キラ男縛りの内容は、重さ40kgのキャリーケースを転がしながら歩くというもの。

なお、キャリーケースは4個中1つのタイヤ手持ちの部分破壊された状態で渡された。(これが早稲田精神昂揚会か.....)

(40kgの重りが入ったキャリーケース)

さらに、キラ男縛りは各区の休憩所で休憩せずに、たこ焼きを焼いてもらうとも伝えられていた。(100ハイ実行委員長の実家がたこ焼き屋であるという理由から)


開会式で「このキャリーケースを持ち帰る! 」と宣言し、キラ男縛りがスタートした。

スタート地点で多くの人から「頑張って!!」「応援してるね!」と励ましの言葉をいただいた。


スタートから2〜300m位の所でキャリーケースのタイヤが全部壊れた。40kgの重さに耐えられなかったもよう。

そこからは引きずって歩いた。あっという間に最後尾。1時間後には7キロも先頭集団と差がついた。

引きずっても全然進まなく、らちが開かなくなったので担いで歩かざるを得なくなった。

最初から担げよと思うかもしれないが、この方法、身体へのダメージがでか過ぎる。特にクビと腰。

添付した画像にある通り、大きさが大きさのためクビ、肩、腰に相当の負荷が掛かった。クビを守ろうとすると今度は前が見えなくなった。

まじで、地獄でしかなかった。

最後尾にはスタッフの方が着いてくれるのだが、その人と喋るなりしてなんとか気を紛らせていた。

キャリーケースを背負って運ぶことにしたが、100m位進んでは休み、進んでは休みの繰り返し。一緒に歩いてくれたスタッフの方は相当イライラしただろう。それでも、めちゃくちゃ応援してくれて、どうすれば運びやすいかなんかも一緒に考えてくれた。(スタッフさんは昂揚会OBの5年生で、過去の100ハイの話なんかも聞けて楽しかった)


これで100キロは絶対に無理だ。どっかの骨が折れる。

でもせめて、1区までは運びきろう。何としてでも1区までは辿り着いてやる! そう、強く誓って一歩一歩あるき続けた。

(スタートから5キロ地点)


「リタイアします。」

スタートから5キロ地点で本部に告げた。

さすがに無理ゲーだと思った。それに、一緒に同行していただいてるスタッフの方に申し訳なさすぎる。

本部に連絡して、事実上のリタイアをした。参加者の証であるゼッケンを実行委員長に渡した。

つまり、ここからは『100ハイ参加者』としてではなく、『こしかわ個人の趣味』という名目で歩くこととなった。ケツ持ち係のスタッフの方は新たな最後尾に着いた。

個人の趣味で、キャリーケースを担いで100キロ歩くなんてどうかしてると思ったけど、歩き切りたいと思っていたし、みんなに会いたいと思っていたので歩き続けることにした。

ただ、1人はきつい。孤独だった。

縛りがあろうがなかろうが、やっぱり1人だと寂しさがかなりあった。それに、身体もどんどん痛くなくってきた。


「ぶっ殺すぶっ殺す。まじで、許さねぇ昂揚会。」


ぶつぶつと、そう呟きながら1区の終わりを歩いていた。

「40kgなんて、キャリーケースのタイヤが耐えられるわけないし、手持ちも破壊しておくなんて悪ノリもいきすぎだろ。リュックじゃなくて、持ち運びづらいキャリーケースっていうのにも腹がたったし、何よりもこれのどこがキラ男やねん!!!!」

まだスタートから6キロ地点、めちゃくちゃイライラしてた。ティファール並みの沸騰の早さだったと思う。

4時間半かけて1区の休憩所を通過した。その時には、もうすでに休憩所が撤収していた。


昂揚会は、1人になってからもかなり気にかけてくれていた。

実行委員長は現在地の確認も含め、逐一連絡をくれた。他にも仕事が沢山あっただろうに手間を増やしてしまった。申し訳なかったと思う。

この縛りを考えた昂揚会員も、めちゃくちゃケアしてくれた。

「本当にごめん! やりすぎた!」

さすがにこれにはわらった。

他の昂揚会の方々も、「1人で歩かせてしまって申し訳ない」「頑張ってほしい!」と、個人の趣味として勝手に歩いている自分に励ましの言葉をかけてくれた。

道中、抜かしていくスタッフさんが乗った車からも応援の言葉をもらった。

実行委員長や他の昂揚会員からのLINEや、他の参加者からの「調子どう?」「がんばれよ!」メッセージが本当に嬉しかったし、力になった。僕は自分のことを考えるでいっぱいいっぱいだった。自分たちも運営や歩くので必死なのに、他の人にまで気を遣える人の偉大さを感じた。

腕と腰の激痛と闘いながらしばらく歩いていたら、実行委員長からLINEがきた。

「18時半までに2区の休憩所まで到着できなけばリタイアしていただきます。死に物狂いで来てください。まってます。」

いや、こっちはゼッケンも渡して、完全に個人の趣味として歩いているんだからリタイアもクソもあるのか? と思ったが、運営側にたってみたら仕方がない。放っておいて、どこかで倒れられても困る。その上、やらなくてはいけない事が山積みなのに、1人のために安否確認などで手間を割いている場合じゃない。

18時半。ひとまず、その時間までに2区の休憩所を目指すことにした。

途中、走ったりもした。でもまぁ、すぐに足が止まる。コンビニでヒモを買ってリュックみたいに背負えないかと試行錯誤もした。途中のホームセンターで台車を買おうともした。でも、それこそ企画倒れだ。そんな事してゴールしてなんになる。


あれこれして、チンタラチンタラ歩いている内に18時半になった。やっとの思いで辿り着いた小川町駅。2区の休憩所まで、あと10キロもあった。

実行委員長からの電話でリタイアを受け入れた。

正直、「時間までに来れなければ強制リタイアです」と告げられた時点で、時間内に辿りつけないことは薄々気づいていた。歩けば歩くほど、身体の痛みは増すばかりで、歩くペースはどんどん落ちていた。

リタイアを受け入れたあと、駅のベンチでボーとした。疲れと、腕と腰の激痛、そして悔しさでベンチから動けなかった。なによりも悔しいのは、足が全然疲れていないこと。22キロしか歩けていない。

気づいたら周りが真っ暗になってた。8時を過ぎてた。駅の目の前にあった定食屋に入った。

ボロボロの格好で、泣きながら注文したカレーが来るのを待っていたら、おばちゃんが焼き鳥をつけてくれた。あったかくてまた泣いてしまった。


店を出た後、電車に乗って自宅がある早稲田に帰った。腕はジンジンしていたが、早稲田駅までずっと立っていられた。

(無念のリタイア。キャリーケースと共に電車へ)


キラ男縛りと言いつつ、まったくキラキラした男にはなれなかった。その代わり、キラキラしている人はたくさん見つけた。キラキラと輝く笑顔で迎えてくれる立ちんぼスタッフの方や、地域の方々。キラリと光る汗を流し、必死にゴールへと向かう参加者の方々、そして運営スタッフの方々。早稲田にはたくさんの「キラ男」「キラ女」がいる。

2日間、これだけの規模のイベントを運営する早稲田精神昂揚会は本当にすごいと感じた。しかも、少数精鋭で。本庄〜早稲田間のコンビニには、100ハイの広告ポスターが貼られていた。この2日間の何ヶ月も前から、下見など多くの準備を重ねていたんだろう。

前述した通り、実行委員長はじめ昂揚会の方々には本当にお世話になりました。運営陣、スタッフさん方、地元の方々、応援してくれた他の参加者の方々には感謝をしてもしきれないです。本当にありがとうございました。

また来年、リベンジさせてください。

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