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# 201_『とある五冊の自作書籍についての解説文』

2021年8月
デザインリサーチャー 島影圭佑

 ここでは、ある五冊の自作書籍について解説する。一冊目は、作家の島影圭佑が執筆した『私に向けた戯曲』である。本書はその名の通り、島影が自分自身に向けて書いた戯曲である。感覚的な文章表現で書かれた、抽象的な指示書としての物語である。2020年の春に執筆され、自身の肉体で実行されることを前提とした自らに向けた戯曲という型や、自身の身体から直接的に生成されるテキスト、その文体を探していく実践となった。本書を起点に、以降の四冊が直接的・間接的に関係して生まれることとなる。本書は現在オンラインショップにて購入が可能となっている。

 二冊目は、空間デザイナーの小林空が制作した『散歩ルポ』である。本書は小林が実践する「散歩力を高めるためのルポルタージュ」の記録によって構成される。小林は自身の自宅から徒歩圏内を散歩し、都市の中に発生するアノニマスな彫刻的状況を写真に収める。帰宅後その状況が収められた写真に対してコメントを書いていく。本書にはこれら日常的実践によって生成された写真や文章の記録、また実践を通じて生まれた内省的な発見や、明らかになった自らの方法論が記述されている。普段、空間を操作対象として扱う小林は、この散歩ルポの実践を通じて、自然発生的な都市の工夫、そこに住む人間や生物、人工物、自然、それらのアノニマスな創造性を吸収し、自身の空間制作の技巧に反映しているように見える。本書は現在ウェブ上にて閲覧が可能になっている。

 三冊目は、起業家の島影圭佑が執筆した『FabBiotope1.0→2.0』である。本書は島影が実践する自立共生する弱視者やエンジニアを増やすプロジェクトであるFabBiotopeについて紹介する内容になっている。本書は過去の実践における記録映像と、プロジェクトに関するQ&Aの文章で構成されており、プロジェクトに関係する人や今後関係するかもしれない人に向けた、公開企画書のような様相を呈している。記録映像の対象になっているのは、2019年に行われた展覧会会場でのトークであり、その空間の舞台美術を前述の小林が担当、そこで状況を立ち上げることを劇作家的に島影が担当し、その状況をビデオカメラによって記録することを後述する映像作家の岩永賢治が担当した。岩永の映像編集と平行して島影の公開企画書としてのQ&Aの文章が執筆された。映像編集を通じて過去を振り返り、問いを抽出して、現時点でのその問いの答えを回答文の形で、未来に向けた文章として執筆した。島影、小林、岩永の協働の結果とも言える本書は、プロジェクトや実践といった形の無いものに対して、空間、映像、書籍という制作的な「編集」行為を通じて形を与え、知の保存や流通を可能にする独自の型を見つけるものとなった。物理的な自作の書籍をプラットフォームとして扱い、そこであらゆるメディウムをまとめ上げ、また同時にそれをウェブ上で展開する型は、FabBiotopeというプロジェクトにおいて、以降も実践される編集の基本の型となっている。本書は現在オンラインショップにて購入が可能となっている。

 四冊目は、映像作家の岩永が制作した『お友達に関する映画』 である。本書は岩永の友人である「秋山くん」を被写体とした映画に関する書籍である。岩永は、職業俳優ではなく自らの友人をキャストとして設定し、そのキャストの関係性から映画をつくることを試みる。『お友達に関する映画』は、おそらくシリーズであり同時に方法論である。ここではその対象が秋山くんになり、彼自身が過去に制作した映像作品『クロウマン』を、岩永が勝手に引き継ぐ形で続編として制作される。その『クロウマンⅡ』においては、現場でビデオカメラが二重に回る。ひとつは、岩永が書いた脚本を元に秋山くんを中心とした役者としての友人たちが与えられた役を演じ、フィクションとして撮影されるものである。もうひとつは、そのフィクションを撮影するプロジェクト、それ自体のドキュメンタリー映像の撮影である。また前者のフィクションにおいても、徐々に即興性が上がっていき、どう演じるか自体が被写体に委ねられていく。フィクション自体が被写体にとって問いとなり、また同時に撮影者にとっても問いになる。その不安定な映画制作のプロセスは、進行において様々な問題を発生させる。しかしこの映画自体が個人的であること、なにものでもない個人の関係性の中で制作されていることによって、その関係性があらゆる問題を吸収し、なんとか映画の制作を前に進めていく。これら岩永の実践は「映画をつくることを取り戻す」実践に見える。すでに自らが関係する人つまり「お友達」との関係性から、別世界としてのフィクションを構想し、そこでのありえるかもしれないその人の像やその関係性を描いてみる。脚本を書くこと、キャストを設定すること、撮ること、編集してそれを出演者と一緒に観て話すこと。現実の関係性を前提に、ありえるかもしれない平行世界を描き、それを実演し、撮り、編集して観る。その過程で現実の延長では発生しない作用が、その小さな共同体の中で起こる。そしてそれを通じて、それぞれが新たな形でその共同体内での関係性を知覚する。岩永の実践は、映画をつくることを通じて自らの共同体内における関係性を紡ぎ直す方法、大袈裟に言ってしまうと自らにとっての小さな社会を独自の方法で造形する実践に映る。それは、個人が映画をつくることを実践する、つくることを取り戻すことのひとつの意味に見える。本書は現在ウェブ上で閲覧が可能になっている。

 最後五冊目は、起業家の島影圭佑が執筆した『Prototyping with OTON GLASS』である。本書は島影が中心となって開発を進めてきた文字を代わりに読み上げるメガネであるOTON GLASSを題材に、プロトタイピングについて講義する内容となっている。大きく試作編と詩作編に分かれ、前半の試作編ではOTON GLASSと島影の物語とその物語内で登場する技術に触れる演習がセットになっており、物語と実装を通じてプロトタイピングの型を学んでもらうような内容となっている。前半の試作編がインタラクションデザインや情報工学を学ぶ人を対象にしている一方で、後半の詩作編では本書におけるプロトタイピングのエッセンスを抜き出し、ほぼ誰にでも実践できるように方法論化されたワークショップを行なう内容になっている。いずれも講義録の形を取っているが、過去に実行されたものの記録ではなく、これから実行されることを前提とした授業の戯曲となっている。本書においてはOTON GLASSやFabBiotopeを題材としながらも、今までに紹介した四冊の中で共通している「つくることの型」を、プロトタイピングという行為とはなんなのかを考えていくことで明らかにすることを試みている。本書はまだ制作が進行中でありながらも、現時点のバージョンのものをウェブ上で購読することが可能になっている。以上がある五冊の自作書籍の解説である。

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