見出し画像

続•男友達は恋人になれるのか

時計ならロレックスよりグランドセイコーが欲しいし、ハリー・ウィンストンのジュエリーを貰うのなら同じ値段の最高品質のダイヤモンド一粒の方がいい。
見た目より品質重視。飾り気はないが高性能というのが大好き。だからリストラーズがこんなにも好きなのだ。たとえがやたらと豪華なのはリストラーズをこれになぞらえたかったから。
チープなものに例えたくないではないか。

澤田氏に耳を奪われてから気づいたことだが、それまでに気に入って再生していた動画には彼がリードを務めている曲が多い。

基本、聴覚優位で品質本位なので歌曲に関しては歌唱力を最も重視するスタンス。
それが際立っているのが、「あずさ2号」だ。
ツインリードの草野氏と澤田氏の2人ともが半端ではない歌唱力の持ち主。サビの部分は圧巻で、凄い声量で歌い上げる。乱暴な表現をお許しいただきたいのだが、私はこれを「歌唱力の暴力」だと感じていた。
何度も何度もボディを殴られ続けるような感覚で、しまいには歌が上手いのは良く分かったから「許してください」と一緒に歌いたくなる始末。

この後に「チャンピオン」でも聴こうものならもう気分的にはヘロヘロである。立たないで、もうそれで充分だと畳み掛けられ、虫の息で「立てません」と呟くばかり。
私的にはこの2曲、連続での取り合わせは避けたいところ。好きだけど。

「また逢う日まで」もまたこのお2人の組み合わせ。
これも、歌唱力に自信がないとなかなか手が出ない曲かと思うが、そんな思いはパワーヒッターが放つ場外ホームランのように消し飛ばされる。
気持ちいいほどの歌唱力である。

また、基本的に低音の男声が好きで、暑苦しい男らしさにも惹かれる私。
その暑苦しいという形容詞から最も遠いところにいるのが加藤氏だ。

野村氏がいるではないか、という声も聞こえてきそうだが、いや、野村氏はアイドルモードの時以外は基本的に男らしく暑苦しさとは親和性があると思っている。

加藤氏はあの「チャンピオン」のガウンの襟元をひらりとくつろげる仕草でさえも優雅であり、何だかリングガウンなどという物騒な代物ではなくもっと別の上等なカシミアのコートでも羽織っているかのようである。

澤田氏に対してその当時「この人歌がすごく上手い。いいな。」と好感は抱いたものの、それ以上の感情に進展しなかったのは、ひとえに加藤氏に夢中だったせいである、と思う。多分。

しかし、加藤氏に夢中だったという割には好きな曲をあげれば澤田氏が暑苦しく男らしく歌う曲が
多く含まれていたところを見ると、心の奥深いところでは、実は…ということだったのだろう。

加藤氏への初恋から目が覚めた私は、改めて素直に澤田氏のリードを聴くとともに、他の曲もコーラスの中に彼の声を探して動画を再生するようになった。
 
「勝手にシンドバッド」が公開されたのはちょうどその頃。桑田佳祐氏を彷彿とさせるものの、どこまでも草野氏であり続けるリードボーカルに惚れ惚れと聴き入ってしまう。画面に目をやると胸騒ぎの腰つきという歌詞な割には全員が一斉に腰ではなく胸騒ぎや肩騒ぎを表現しだすという「笑わせにかかって」いる動画。笑いを堪えることが出来ず、やや涙目になりながら澤田氏を凝視すると、急に姿勢を正してパーカッションをやり始めているではないか。  

え?どういうこと?

低音域を主に担当しているが、草野氏とツインリードを務める時には、草野氏と同じ高音域を伸びやかに響かせる。そして、草野氏の音域の下限のその下を余裕のある豊潤な低音で歌う。大西氏がリードを務める曲ではベースを担当する。綺麗な声を出せる声域はどのくらいあるのだろう!そんな事をうっとりと考えているところに、このパーカッションは衝撃であった。

https://x.com/ksks1446373/status/1695060629474648126?s=46&t=eNxvLCKyhdqLvS3oLWOtTg

この方はどこまでできるのだろう。
澤田氏は高性能なのに加えて多機能だったのだ。
このことにやられずして、一体何にやられるのか。

ゆらっ。私の心の一角がかなりの角度をつけて揺らいだ。

こうなると片っ端から動画を見直さずにはいられない。見れば見るほど次々と彼の良いところが見つかる。

まずは情感豊かなところ。「赤鬼と青鬼のタンゴ」のどんどん心浮かれていくところ、ワクワクしていく心と表情に歌声がついている。「ブーメランストリート」の「カリッと」小指を噛むところ、仕草に声がついている。歌にきっちり感情を乗せられる技量。キレイに歌えるだけでなく、この方は歌で演技ができる、というよりは演技が歌になっている感じがする。ミュージカル俳優のようである。
よく、顔芸と言われる表情の動きは狙ってやっている時もあるのだろうが、心の動きを声に乗せる時に付随して自然に表情筋が動いてしまうのだろう。真剣に歌う時は、ついつい眉間に縦皺が刻まれてしまうし、感情が乗ると身体も表情も大きく動く。

そして表現の幅が広いところ。歌のお兄さんと評される健全で正統派の歌い方から、かなり際どく作り込んだセクシー路線、暑苦しい男らしさ、甘さを感じさせる男の色気。歌唱力を爆発させるような絶唱系。他にもいろいろ。

そうかと思うと、コーラスでは例えば小さな子供に何か物を言いかける時のように限りなく優しい。あるいは、しっかりした低音域でコーラスを支え、ハーモニーにすっと溶け込む。

その様子は実はもの凄い排気量と馬力のある車が、法定速度をきっちり守って安全運転で地道を走行しているのに似ている。高速道路なら煽ってくる車に一瞥もせず、軽くアクセルをふかすだけであっという間に遥か遠くに走り去ってしまえるのだろう。彼のフルスペックが知りたい。ドイツのアウトバーンを走らせてみたい。

ぐらっ。心がさらに大きな角度をもって傾く。

加藤氏にはあんなにも掴みどころがなかったのに。澤田氏に関してはどうだ、いくらでも饒舌に語れるではないか。

そして10月。リストラーズを応援する仲間たちと会合を持った時のこと。仲間のひとりに似顔絵のプロの方がおり、その方が制作された美麗な推しうちわをいただいた。全メンバーの動画の1シーンをそれぞれイラストにしたものだ。
この期に及んでも、これを選んでいいものかと一瞬悩んだが、「荒野の果てに」をテーマに描かれたものをその時とうとう手に取ってしまう。

大好きな男友達への想いにつける名前が「友情」ではなくなってしまった瞬間だった。

楽しい会合が果て、大切に持ち帰ってきたうちわをひとり眺める。
これを手にしたということは、私は澤田氏を推しているんだということ。
急に意識に上ってきた確かな実感。
それに気づいてしまったことでついに腹が決まった。

ここが私の立ち位置だ。誰に言うでもない、自分に向かって表明する。
私はもう紛う方ない澤田氏推しなのだ、と。

その翌日の夕方、それはX/Twitterの画面から私の目に飛び込んできた。 
スーツの男性が背中を向け頭上高くに手を挙げている印象的な立ち姿のイラストだ。
何の動画のどの部分などという説明さえいらなかった。「ブーメランストリート」の冒頭の一番美しい一瞬をそのイラストは私の目の前に切り出して見せつけた。
背景は白。抑えた色合いなのに私が感じている彼の魅力が眩しいくらいに放射している。
私の最も苦手な視覚からの情報をこれでも分からぬかと言わんばかりに。
これが最後のダメ推しだった。
このたった一枚の絵によって私のぼんやりした目がついにくっきりとした焦点を結んだ。

私は飾り気はないが高性能というのが大好きと言った。確かに高性能にして多機能だが、彼に飾り気はない。しかし、飾らなくても目を惹きつけてしまうものはあるのだ。どんなに小さくても、たった一粒でもダイヤモンドが強く輝くように。

その輝きを見つけてしまった私にはもう動画を漫然と見ることはできないだろう。この開かれた目で私は見るだろう。今まで曲の中に彼の声を探してきたように、これからは動画にただひとり彼の姿を見つけるために。
私にはそれができる。
なぜなら、男友達に恋することができるものだとわかったのだから。たとえそれが片思いだとしても。
                   (終)







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?