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私の世界を覗き見してみて〔絵結-emusubi-〕

いま、ただ一つ言いたいことは

私が創る世界を覗き見してみて

そうしてあなたが目撃したものを教えて

やっと分かった私と世界との丁度良いバランス

絵結-emusubi-のはじまり

2023年9月からお届けしている
絵結-emusubi-

絵結が掲げるテーマは、「絵を通して、自分に潜る」

私自身が3年前絵と出会い、絵を描くことを通して人生が変化していったことをきっかけに
このプログラムをつくりました

3年前絵と出会う前の私が、一体なにを感じながら生きていたかというと、、

・所謂「フツウ」にしていないと異物認定されて社会から弾かれてしまう。だからフツウに働くしかない。

・イヤな仕事、イヤな人たちと働くのは仕方がない。だって私には何のスキルもないから

・学生の頃は自由気ままに行動できていたけれど、大人になるにつれて人の目を気にして
発言や言動を控えるうちに、心の動きが鈍くなった。感動やワクワクから遠ざかった。

・やりたい事があるはずなのに、どうやって動けば良いのか分からない。つねに見えない不安や忙しさに掻き立てられている

ぜんぶ、前のわたしのこと

こんな風に感じているのは、私だけではないのではないでしょうか

アイドルが苦手

突然ですが、
私はアイドルを観ることが苦手です
とくに女の子のアイドル

ですが、小学生の頃はモー娘。が大好きでした

私もこの人たちと一緒にキラキラした世界で
たくさんの人に応援されたい!
オーディションを受けたい!と思い、
友人と一緒に、審査に必要な歌唱動画をビデオに録画する位本気でした

ノリと勢いに任せすぎていたのでしょう
詳細を確認すると、オーディションを
受けられる年齢になっていなかったので、
ビデオを送ることさえできませんでしたが

そんな私がなぜアイドルを観ることが
苦手なのか、、、

それは、「私にもいつかなれるもの」だと
思っていたからです
いつかなれるものなのに、今になってもなれていない

憧れて仕方ない対象を応援できるほど、
未だに自分のなかにある承認欲求を消化できていないのです

アイドルになりたかったのに

大学生の頃、AKB48のライブ舞台裏のドキュメンタリーを観ました。

AKB48が人気になってきた時にも私は、
「全然可愛くないし歌も上手くない。
人数集めても仕方ないだろ。なにこれ」
と思っていました。すみません

偏見を持ちつつ覗いてみた
ドキュメンタリーの中の彼女たちは、
とても輝いていました

各々個人が持つ夢や目標に向かって
「いま」の自分ができる目の前のことに
全員が精一杯ひたむきにぶつかっていっていました

そんなに人数多くても…と思っていたけれど
個人で掲げる夢、AKB48で掲げる夢を
叶えるためのチームなんだ、と
一人ひとりが大切な役割を担っているんだと知りました

私は猛烈にAKB48に憧れました
かつてモー娘。を通して見ていた世界が垣間見えたからです

「私は自分の表現がしたい」
「願わくば、誰かと、仲間と」

だから私は絵を描くことで自己表現と、
「私はここにいるよ」を発信して
仲間集めをしているのだと今は腑に落ちています

絵結自体も、自己発信と仲間集めの一環なのです

自分に潜るとは?なんぞや

私がよく使う言葉「自分に潜る
この言葉の定義は、自分を知ること

自分自身を知ることは、
私がこの地球上でより生きやすくなる方法でした

なぜなら学生時代〜20代中盤まで、ずっと他人軸で自分の人生の選択をしていたからです

自分の人生を決める操縦桿を、責任を取ってくれる訳でもない誰かに委ねまくっていました
そんな事にも気がつかずに

何か起こったら「誰かのせい」

だって、あなたが言ったから選んだのに!
助けてくれないのずるい!!
私はあなたが言ったから決めたのに、なぜ?

そんな状態を繰り返しているから、人生の中で嫌い!裏切られた!と感じる人がたくさんいました

頑張って感覚を殺して生きているのに
「フツウ」を生きているのに、全てがまぁまぁな人生

きっとこれからもこの感覚が続いていくのだろうな〜と、誰か任せの人生

感情を抑え続けると心が麻痺する

私には、他人が感じたものをすぐに自分の感情とすり替えるクセがあります

私が「◯◯したい」と思ったとしても
周りの誰かが「◯◯するの面倒くさいよな、
△△の方が得」と言っているのを聞くと
即座に人生の操縦桿を他人に委ねます

人生で失敗するのがとてつもなくこわいのでしょう

自分で選択することをしていないので、次第に自分の感覚や感情が分からなくなってきました

「怒っても仕方がない、人を困らせるだけだ」
「悲しんでも仕方がない、過ぎ去ったことだから」

こんな風に感情にフタをして、見て見ないフリを続けてきました

いつしか、人は皆私と同じように何かを諦めて生きているんだと思い込んでいました

感情は表現することはおろか、
自分でキャッチすることさえも儘ならなくなっていき、どんどん心の感度が鈍くなってきました

絵で自分を知る、ということ

ここからは絵と出会ってからの私の話をします

絵は私のあらゆる感情を引き出してくれました

今となっては何色でも使えますが、
絵の描き始めは、黒や赤、オレンジ、黄土色が嫌いで使えませんでした

発色の強い色はおそらく、過去のなんらかの気持ちを思い出してしまうから何となくイヤで使えないのです

いやなら使わなくても良いんじゃない?と思う所ですが、のちにカラーセラピーを学んで「色には感情が含まれている」ことを知りました

心のおもむくままに描いている絵も、知らずのうちに表現できている自分/表現されていない自分が丸出しになっていたようです

当時はそんなことに全く気がつかず描いていましたが、メンターから一言

「けいさん、最近思いっきり怒ったり、泣いたり、喜んだりしたことありますか?
楽して絵描こうとしないでください」

と図星も図星
認めたくないのに認めないと進めない心の葛藤

「そんなこと分かっているけど、
私は皆のために感情を出すことを我慢しているのに!
なんでそんな事言うんだ〜!!」
とね、怒り狂いました

怒りながら絵も描きました

そんな風にメンターとともに
絵を描き、対話して、描いてもらったものへフィードバックをもらいながら

徐々に絵で自分を表せるようになりました

メンターをはじめとした周りの人たちが
私の絵を見て

「こう感じたよ」
「こんな風に表現しても良いんだと思えたよ」

と伝えてくれるようになり、私の考えていることや感じていることを自由に表して良いんだ、
と世界を人を信頼できるようにもなっていました

絵なんて、描けませんという人こそ

私が描くのは主に抽象画で、逆にデッサン等は苦手です

苦手というか、既にあるものを写して描くことがつまらなくて仕方ありません

そしで、私が「絵を描きましょう!」と言うとよーく言われるのが

・絵が上手に描けない、下手だから苦手

・美術の授業で成績が振るわなかった

・なにを描けばいいかわからない

よーく言われる3箇条

私も学生の頃の美術や図工は、それはそれはつまらなかったし、成績も良くなかった記憶です

さらに私は美大などではなく、普通の文系大学の卒業です

いわばスタートラインは皆さんとなんら変わらない、もしくは模写等は苦手だったので皆さんの方が上手に描けるものが多いかもしれません

私が「描いて」というのは絵じゃない

現在オンラインで行なっている
Online Art Workshop

「絵と対話を通して、自分に潜ろう」
というテーマです

このWSのなかで描かれるのは、
「絵」ではないです
それぞれの「エネルギー」です

その表現に「うまい」「へた」の評価軸は存在しません
更に、「失敗」の概念すらありません
「よし!これで完成!」と決めるのはあなただからです

ただそこにあるのは「あなた自身の表現」のみ

描いてる最中に、なにを感じたのか
はたまた何も感じなかったのか、
描き終わった後に胸に残るものはなにか

ただ、それだけで良いとしたら?
その世界に人の目は介在しません

私が絵なんて、と思う方にこそトライしてみて欲しいプログラムです。

絵結-emusubi-2期募集中です

長文読んでくださりありがとうございます

2023年11月現在、2期生募集しています
少しでも興味がある方、詳細知りたい方は
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または公式LINEに「絵結」と送ってください

表現者たち、この指とまれー!!!


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