見出し画像

それでも聖蹟桜ヶ丘に住みたい理由

 4月から風俗業界でスタッフとして働くことになった。拘束時間は長く、基本1日12時間・週6日労働だ。私は今聖蹟桜ヶ丘に住んでいて、勤務先までは往復3時間ぐらいかかることになる。つまり帰宅してから出勤するまでの時間はおよそ9時間。そこから食事・入浴・睡眠の時間を差し引くと、休みの日以外「自分の時間」というものはほとんど無いに等しいことが分かる。

 それでも私は聖蹟桜ヶ丘に住み続けたいと思っている。その理由を説明するには私の直近の動向に触れる必要がある。

 私が聖蹟桜ヶ丘に住み始めたのは去年(2023年)の4月のことだ。同居していた人間の卒業に伴い大学から徒歩20分ほどの場所に借りていた賃貸を解約し、私はというと大学院の卒業まであと1年あるという中途半端なタイミングで東京の地に放流される形となった。その時に移住先として白羽の矢が立ったのが聖蹟桜ヶ丘である。決断してからの行動は早く、私は就職活動もそこそこにバイクの中型免許を取得し、賃貸を探し、大学から徒歩20分のアパートから、バイクで1時間の聖蹟桜ヶ丘に引っ越した。それから卒業までの1年は(主に通学で)不便なことも多かったが、聖蹟という場所を嫌いになったことは一度もない。むしろ愛は増すばかりである。

愛車といろは坂 2023.04.29
大栗川 2023.12.19

 時は遡り移住を決めた前年(2022年)の10月、私は初めて聖蹟桜ヶ丘の土を踏んだ。地元の友達2人と共にシャニマスMUGEN BEATに参戦するはずが自分だけチケットの交換を忘れており現地に行けないという史上最悪の悲劇に見舞われつつ、その翌日はシャニマスの聖地として知られる聖蹟桜ヶ丘を訪れることになっていた。

現地で観るはずだったライブ 2022.10.23
シーズのFashionable、Bouncy Girlの初お披露目の感動は未だ色褪せない

 聖蹟桜ヶ丘とはどのような場所か、地方出身の自分なりの認識は以下のようになっている。

 まず東京都は寿司ネタよろしく神奈川県の上に乗っかっている。東京と神奈川の一部県境として機能しているのが「多摩川」というでかい川で、『花束みたいな恋をした』のロケ地も、『まちカドまぞく』の「多魔川」も、二子玉川の「玉川」も全て多摩川である。

 そして京王線というピンク色の路線がある。言わずと知れた大都市・新宿と、23区外で最も人口の多い西の中心地・八王子を東西に結ぶ路線である。

 共に東西に走る多摩川と京王線は一箇所で交わっている。新宿からおよそ30分、京王線が多摩川を越えて最初に停まるのが「聖蹟桜ヶ丘駅」である。

参考:京王線と多摩川

 私の中でシャニマスの舞台は「川」のイメージと深く結びついていた。アイドルたちは河川敷でダンスの自主練をし、ゴミを拾い、浅倉透は川沿いのランニングコースを100周する。「聖蹟桜ヶ丘」という具体的な地名を知ったのはおそらくその後で、故に自分の中では「聖蹟桜ヶ丘=川」という図式が出来上がっていた。

 だから初めて聖蹟桜ヶ丘を訪れた10月、電車が川に差し掛かり、車窓の景色がシャニマスで見たあの広大な河川敷に開けたとき、何かが切り替わるような感覚があった。来たこともないのに知っている川を越える瞬間、それは現実から創作の世界に移行する合図であり、創作の世界が確かに実在していること知らせる合図のようでもあった。

多摩川を渡る京王線からの眺め 2022.10.24

 その日はあいにくの天気だったが雨具とレンタサイクルを駆使してなんとか移動した。聖地マップに記されたスポットではプロデューサーなら誰もが知っている景色に出会い、その間を移動するときには自分が知らない聖蹟桜ヶ丘そのものの景色を知った。聖蹟桜ヶ丘は決して派手な街ではない。確かに駅ビルには飲食店が充実し、大抵のものは揃うようになっているのだが、そこから少し移動すると多摩川の支流である大栗川と乞田川の桜並木、公園、丘の上の住宅地など、途端に静かな生活の場へと変わる。アイドルたちの色鮮やかな群像劇が、都心から離れた川沿いの、こぢんまりと賑わう地域で繰り広げられている。そのギャップがいかにもシャニマスらしい独特の実在感を醸し出しており、興奮した。

初めての聖蹟桜ヶ丘 2022.10.24

 聖地巡礼の帰り道、電車は来たときと同じように多摩川を越えて都心に戻っていく。最初に川を通過した時のような興奮はなかったものの、今度は「いつかこの場所に腰を据えたい」という静かな興奮が膨らみつつあった。私は車窓から聖蹟の街を見送りながら色々と妄想した。この街で川沿いを散歩しながら季節を肌で感じ、退屈したら新宿まで乗り換えなしで30分だ、繁華街に繰り出すのもいい。友達同士で近くに住み、休みの日には聖蹟で見つけた穴場を教え合い、奥多摩の方にツーリングに出かけてもいい。陽が落ちる前には丘の上の公園に帰ってきて、沈む夕日を眺めながら肉まんを食えばいい。その日から私の心は徐々に聖蹟に向けて移動を始めており、妄想は現実味を帯びた計画に変わっていった。

夕陽の丘の桜 2023.04.01
四谷橋 2023.10.22

 以上のような経緯があり、私はこの一年間聖蹟に住んでいた。先述の通り実際に住んでみて私は聖蹟のことがより好きになった。聖地巡礼の一日では分からなかった聖蹟の細部に関してはここに書ききれないのでまた別の機会に譲るとして、ともかく私は住民票を移し、市内で図書カードを作って本を借り、天気予報アプリのデフォルト地点を多摩市に設定したとき、あるいは聖蹟のニトリで新生活に必要なものを買った帰り道、市立体育館のトレーニングルームで筋トレをし、ライスおかわり無料の中華屋で満腹になった帰り道、そして聖蹟桜ヶ丘駅の改札「から」出発するとき、この街と一体になった幸福感で満たされた。卒論執筆の際は例の交差点が見えるOPAのスタバでとてつもなく長い時間を過ごした。謝辞には書かなかったが、一番感謝すべき場所はここかもしれない。


 冒頭で触れた通り、私は4月から過酷な労働の日々に身を投じることになる。私はゲームの縛りプレイが大好きで、どれぐらい過酷なのか少し楽しみにしている部分もある。なにより私は渺漠とした時間の中で、生きる意味がないことを意識し続ける苦痛を知っている。そのような死ぬまで続く時間の苦痛、倦怠に身を絡め取られるよりは、なんでもいいから体を動かして仮の意味に奉仕して気が狂わないようにする方がましだと思っている。人はいつしか人生の意味がある/ないのコントラストで戦うのをやめて、意味がないことは自覚した上で、それを意識する時間をいかに減らすかのグラデーションの上で戦うようになるのではないかと、私は勝手に思っている。そのとき武器になるのは養うべき家族の存在かもしれないし、ペット、仕事、趣味、死への恐怖、なんでもいいが、とにかくみんな正気を保つために戦っているのだろう。

聖蹟桜ヶ丘駅改札 撮影日不明

 私はここ数週間ほど、来る労働の日々に向けて体を自由の制限に慣らす訓練をしていた。日中の時間は資格の勉強や読書などに充て、真面目に家事をこなし、隔日で10km走る。スマホに触ることができるのは食事のときと夜の決められた時間ぐらいで、就寝の直前には小説を読むようにした。そして週に一日だけなんでもありの休日を設ける。最初はスマホに触れないストレスが半端ではなかったが、徐々に短い娯楽の時間を最大限楽しむ快感を覚え始めた。おそらくこれは受刑者が少しの娯楽に飛びつく心理状態と同じで、楽しさの沸点を過度に下げることは危険であるように思える。しかし今のところは沸点が下がったというよりは、娯楽への集中力が上がったという感覚の方が近い。つまりなんでも手放しに賞賛するのではなく、対象の良い面と悪い面がそれぞれクリアに見えてきて、それらをひっくるめて「味わう」という行為そのものを楽しんでいるような感覚だ。ここ数週間、異例のペースで好きなアーティスト、好きな本、好きなアニメがそれぞれ増えていて、素直に喜ばしい。

最近買った本

 制限と解放は互いに差異化することで成立しており、制限がなくなると解放もなくなるというのはよく聞く話である。そしてこれは娯楽の内容にも同じことが言えるのかもしれない。対象の良い面だけを見て、悪い面が来たらすぐスワイプをし、粘ることなく次々と新しい娯楽を飽和させていく。良い面だけの娯楽に囲まれたとき、それは上下せず高い位置を走り続けるジェットコースターが退屈であるように、すでに「良い」という差異を失っているのだろう。範馬勇次郎の言葉「毒も喰らう、栄養も喰らう。両方を共に美味いと感じ血肉に変える度量こそが食には肝要だ。」がそういうことを意味しているのだとしたら、すごいけど範馬勇次郎がそういうこと考えてたら怖くないか。暴力とS○Xだけしてて欲しいかも。

 ともかくこういう風に制限を飼い慣らせるのだとしたら、4月からの労働も耐えられるんじゃないかと思えてくる。ただ、当の労働がどれほどの大変なのかは結局やってみないとわからない。これだけ聖蹟への愛を語っても、やはり心身ともに限界が来たら職場近くへの引っ越しを検討しなければならないだろう。だから私は、いつでも引っ越しができる資金を貯めた上で、今の生活を続けるための工夫を続けようと思う。そしてもし引っ越したとしても、いずれは聖蹟に帰ってこようと思っている。

建設中のタワーマンション 2024.02.05

 聖蹟の街並みは日々変化している。既に無くなった聖地もいくつかあると聞く。サブスク時代の煽りを受けてか、去年いっぱいで駅前のTSUTAYAが閉店した。多摩川沿いには二本目のタワーマンションが建つらしい。一本目に追いつくために、未だ無骨なコンクリートでしかない体を伸ばし続けているのがランニング中よく見える。不動産屋曰く、20年ほど前に聖蹟桜ヶ丘が『耳をすませば』の聖地として賑わったとき、ここは今よりもっと静かな緑と住宅地ばかりの場所だったらしい。

架け替え工事中の関戸橋 2024.03.17

 ランニングコースの一部である関戸橋も、私が越してきてからずっと工事している。16年にわたる壮大なリニューアル計画の、8年目が終わったところらしい。これからさらに8年後、新しい関戸橋が完成したとき私は聖蹟に住めているだろうか?就職してからのことは分からないが、とりあえず今はここに住み続けたい。1ヶ月後、8年後がどうなっていようと私はぼちぼち生存報告をしながら生きていこうと思う。最近は日記を書くようになった。新しく見つけた人生の楽しみについて、少しずつでも共有し合えたら嬉しい。私は聖蹟桜ヶ丘という場所が大好きだが、場所に囚われず繋がることができるインターネットも同じくらい愛している。

大栗川の桜 2023.03.20


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?