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太宰治 斜陽を読んで

斜陽とは

①西に傾いた太陽。夕日。入り日。
②かつて勢いのあったものが時勢の流れについてゆけず衰えていくこと。

スーパー王辞林

朝日ではなく夕日というところが、柔和だけどどこか淋しく、暗さを感じさせる。

裕福だった主人公の家がだんだん貧乏になっていくところでも②を彷彿とさせる題名である。 



現実では、まだお母さまは亡くなっていないのに、既にお葬いもとっくに済まし、お母さまはお墓の下にいる、といわれた場面にはどこか懐かしさを感じた。所謂、離人感というものだろうか。

私もいつか夢を見たことがある。

知らない国で、知り合いもいない世界で、ひとりで暮らしている。
なぜ、こうなったんだっけ?と考えても、夢の中の現実をただ受け入れて、そうだ、こうするしかないんだ。というのを俯瞰して見ている。

そういう時のふわふわした、どこか物悲しい雰囲気がこの本は全体的にある。

みどり色のさびしさは、夢のまま、あたり一面にただよっていた 

言葉にできないが、どこかで皆が味わったことのある雰囲気を表現出来るところが、文豪すげぇ。。


かず子は貴族生まれの裕福な家庭に育ったが、デカダンスな生活を送っていた。一方で、上原は百姓の子である。彼女は自分の虹だといって彼にずっと憧れていた。

嘆きの溜息が四方の壁から聞えている時、自分たちだけの幸福なんてある筈は無いじゃないか。

といった上原に抱かれたかず子は

私、いま幸福よ。四方の壁から嘆きの声が聞えて来ても、私のいまの幸福感は、飽和点よ。

あなたの子どもが欲しい、とかず子が手紙を送ったのは、階層を復讐したいと思う活力がある彼に強い憧れを抱いていたから。

貴族生まれである、かず子とその弟の直治、そしてその母親は、太宰治本人の境遇と似ている。太宰は、大地主の家に生まれた。彼の周囲の貧しい農民や友達の家を搾取したことによって豊かになった、ということが彼に罪の意識を持たせたのだそう。

そのことにより、資本家を打倒するための共産主義運動にも参加するが、自らは滅んだ方が良い存在だと自覚してしまう。

革命は、まだ、ちっとも、何も、行われていないんです。もっと、もっと、いくつもの惜しい貴い犠牲が必要のようでございます。

そして、表面で動くだけではなにも世界は変わらず、真の革命のためにはもっと美しい滅亡が必要である、ということも最後の手紙でかず子は述べる。


最後にかず子は上原との子を腹に宿すことに成功した。そして上原への手紙に、産んだ子をあなたの妻に抱かせて
「これは、直治が、或る女のひとに内緒に生ませた子ですの」
と言わせて欲しい と綴られている。

なんとも不気味なラスト。この場面で終わり私の頭にははてなが浮かんだ。

直治が愛していた上原の妻と結ばれることなく自殺したこと。2人が貴族として生れてくることは選べなかった。上原に捨てられた彼女自身のためでもあり、小さな犠牲者である弟のためにする嫌がらせだったのではないか。

かず子が憧れの上原二郎に向けた手紙の最後に M•C とある。最初は、作家に恋焦がれ マイ・チェホフ を意味するのかと思いきや、これが、マイ・チャイルド になり、最後には冷笑を込めて マイ・コメディアン と変化していくのは、面白い言葉遊びだった。

「意味ですって、いま雪が降っている、それに何の意味があります?」

というチェーホフの「三人姉妹」の中のセリフ。かず子はそもそも人が生きることは無意味でないが、意味がないわけではない、その孤独をしっていた。それを嘲笑う冷酷さ。コメディアン。

太宰治が描く孤独は、全世界共通だから今でも広く親しまれるのではないかと思う。私は高校生の今この本に会えて良かったと思っている。

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