恋愛におけるサイコパスのマインドセットについてガチ考察してみた。
はじめまして、Kです。
閲覧ありがとうございます。早速ですが、このnoteは不快な内容を大量に含んでいるので、次の項目に当てはまった人は注意してください。
・過去の恋愛にトラウマを持っている
・客観的な理解を期待している
・サイコパスは生まれつきの悪人だと思う
・障害をネタに話すことを不快に感じる
・自分の価値観を否定されたくない
以上です。この先は自己責任でよろしくお願いします。
では始めましょう。
今回のテーマは、”サイコパス×恋愛” です。
僕はいつも科学的に語るスタイルなので、このテーマを扱うのは少し抵抗があります。「それなりに根拠はあるけど、誤解を広めるようなマネはしたくない」という想いから、noteで限定公開することにしました。
人の数だけ恋愛の形があり、パートナーの組み合わせは無限大に思えます。でも不思議なことに、実はサイコパスの恋愛は極めてワンパターンです。
たとえば”サイコパス被害者”の人達は、このパターンを知った瞬間に全てが芋づる式に解かれ、「あぁ、自分はサイコパスと付き合っていたんだな。」という納得感に落ち着くものです。
このパターンをサイコパスのマインドセットと共に叩き込めば、現実世界で再現することもできるし、逆に自制することもできます。あるいは相手のサイコパシーを利用することもできます。普段、僕らは無自覚にサイコパシーを使っていることに気づいていましたか?
すべて「モノは言いよう」です。 何事も上手く扱いたければ、それについてよく理解する必要があります。たとえばナイフの「よく切れる」という特徴は「肉を捌ける」という利便性と同時に「手を傷つける」というリスクを孕んでいますが、サイコパシーとて同じです。利便性とリスクに無自覚な人間は痛い目に遭うか、それを恐れてモノを手放すことしかできません。
ひたすらサイコパスの「被害者」に同情するアプローチで描かれた本は、たいてい「あなたは悪くない、悪いのは全部サイコパスの方。」とか「サイコパスはこんなところが危険!」とか言ってます。これはサイコパスのリスクのみを語っているので、反省の余地が限られています。
「詐欺は騙す方が悪い」と信じて疑わない人間は、たとえサイコパスの恋愛がワンパターンでも永遠に騙されます。
「こんなひどいことをされたんだよね、辛かったね。大丈夫、キミは悪くない、悪いのはアイツの方だったんだ。」
こんな言葉をありがたく受け取った時点でゲームセット。表面的な甘い言葉は、”利便性”と”リスク”を孕んだサイコパシーだからです。
逆にサイコパスから見れば、その程度の言葉で釣れる人間はノーリスクハイリターンでお買い得、ということになります。
一般に、同情はポジティブに捉えられます。そのため、この表現は「酷い言いよう」に感じられたかもしれません。これは僕が皮肉屋だからではなく、利便性のみが語られがちなモノについてリスクの観点を提供したからです。
このように、今回は ”サイコパスの立場から” 恋愛を描こうと思います。そして「恋愛という場において、サイコパシーをどのように発揮すべきか」という問いをメインに扱います。その利便性とリスクを適切に把握すれば、自分や他人のサイコパシーを含め、”モノ” の扱いが上手くなると思います。
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