NSCに行ってた頃の話③

秋からは、翌年春に卒業するまで、月に1度の中間発表会というライブイベントが始まる。

NSC生は吉本が認めるライブ以外に出ることを禁じられていたので、中間発表会は、お客さんの前に立ってネタを披露出来る数少ない機会であった。

ただ、この中間発表会に関して、私はあまり記憶がない。

①と②は、当時ソーシャルネットワークのトップをひた走っていたmixiに残っている昔の日記を読みながら、なんとか書いていたが、もうここからはどこにも残っていないので頭の記憶からエクスポートするしかない。

おそらく、当時の私は日記など書いてる余裕がなくなったのだろう。常にネタ作りに追われていたことはハッキリ覚えている。

さて、断片的な記憶になってしまうが、進めよう。

中間発表会の朝は、NSCの大部屋に全員集められて箱詰め状態からスタートする、3密だ。

半分近くの生徒は既にNSCを辞めていたが、それでも発表会に出られない生徒もいたと思う。
確かBクラス全組+αくらいのイベントだったかな。

客前に立ってネタを披露する初めての舞台、といっても見に来るお客さんは演者の友達や家族がほとんどで、まぁ、学芸会に産毛が生えた程度のライブだった。

それでも、緊張感はあった。

舞台用の衣装と靴を持って来ないと舞台に立たせてもらえないルールがあり、とにかく見た目だけはうるさく言われた。

オシャレ着で出ようとしてたコンビですら、なぜか怒られていたほど理不尽なルールだ。

怒られるのが怖いという理由で、漫才をやるコンビのほとんどが黒スーツ。お客さんからすると面接を見に来た気分になっていたはずだ。

私も当然、右に倣えで黒スーツに白シャツのリクルート漫才をしていた。

出番順は当日に発表され、トリが誰なのか?注目の的になる。

我々の世話係をしてくれていた28期の先輩たちから、トリは実質今のトップだということを教えてもらっていたからだ。

少し期待したが、自分のコンビはトリではなかった。まぁ、期待出来るくらいの位置にはいたと思う。

ウケたかどうかなんて、もはや覚えていない。
覚えていないということは、きっと。

この辺りから、同期同士の関係性が変わってくる。

最初の頃こそ、「俺が一番面白い」の塊だった同期たちは
秋にもなると、それぞれの立ち位置がわかりはじめ、面白いと思ったお互いを認めるようになってくる。

なんなら、講師に褒められるより、面白いと思っている同期に褒められた方が嬉しくなってくるほどに、信頼関係が出来てくるのが、NSCの秋だ。

少し巻き戻すが、①で振っておいて回収してない話があった。自分の中では色濃く残っている出来事を書こう。

クラス替えの前だったと思うが、何のネタ見せだったか、確か選抜クラスに入っているメンバー全員でのネタ見せがあった。今まで見たことのない、面白いとされているコンビをチェックできる機会だ。

選抜クラスに入ってからも、他に負けてる気は全くしなかったのだが、もう一方の選抜クラスの方が面白いと講師に言われており、ずっとどんなネタをする奴らがいるのか気になってはいた。

そんな時の合同授業だったので、全く必要のないギラつきを私はしていて、とにかくウケる自信のあるなかでも、自分のとにかく好きな漫才をやった。

今でも覚えている、相方を信長の生まれ変わりと疑うネタだ。

結果、その日初めて会った同期が何人か、帰り道に「面白かった」と声をかけてくれた。

それはとても嬉しかったのだが、その時既に、とてつもなく凹んでいた。

明らかに自分達より面白いコンビが2組いた。
あれだけ準備して入学してきたのに、半年も経たないで、こんな差つけられるのかと。

相方に確認して、意見が一致してさらに凹んだ。

そのうち1組は、今や大阪の劇場番長と言われるほどになった、見取り図だった。

今でも覚えてる、怖い話の中に、少しずつ知らない単語が出てくるネタだった。もし間違ってたら爆竹を飲もう。

ネタももちろん面白かったのだが、それ以上に盛山君のツッコミに衝撃を受けた。

面白い漫才をするためには、ネタを書くだけでなく、強烈なマンパワーが必要なのかと、痛感した瞬間だった。

もしかしたら、自分は自分の性に合っていないものを目指してしまったのでなかろうか、不安になった出来事だった。

それでもなんとか、Bクラスに入り、中間発表会も出て、そこそこやれる感触を掴んで来た頃に、追い風が吹く。

④は、わりと調子のいい話になると思う。

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