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11月 私の誕生日です。何もしないで誕生日を迎えるのが怖くて怖くて、死のうとしました。首吊り。その当時仲良かったAちゃんも、死のうと?しました。多分。嫌、私が死ぬのを見送ってくれたかも。首吊りました。SNS全部消して、死のうとしたんです。どーせ、どーせの結果だけど死ねませんでした。死ねなかったです。
死ねなかった、と彼に報告に行きました。「おかえり。」と迎えてくれました。迎えてくれたのに、数時間後、消えちゃいました。いなくなっちゃいました。今思い出しても、泣きそうなんです。手元から、大切な人がいなくなるあの感覚が、本当に大嫌いで。それでもって私は直ぐに死のうとする。所詮エゴです。そのエゴをぶつけられるのは、私、嬉しいよ。でもそのエゴをぶつけたくなくてもぶつけてしまう時、本当に死にたくなります。

逸れました。えっと、結局死ねなくて。それでその後あの人はいなくなってしまって。きっと私のせいでいなくなってしまって、連絡が繋がらなくて、不安で不安で。Aちゃんは怒っていました。私のために。 私のために彼はいなくちゃいけないのに、なんで消えたの!戻ってきて!って。私は心底死ねばよかった死ねばよかったと思いました。非定型の首吊りでなんかしねるわけないのに。今思えば馬鹿です。悲しかった。思い出して泣きそう

Aちゃんは私と一緒に待ってくれました。あの人が帰ってくるのを。本当に本当に苦しくて仕方なくてずっと泣いていてほんっとうに苦しくてたまりませんでした。でも、いつだったかは忘れたけれど、ちゃんと戻ってきてくれました。良かった。生きてた。よかった。(虚言癖だったから、そのSNSから消えたのも、未遂でもなんでもなくただ構ってもらうために消えただけだけれど笑)
あんまり記憶がありません。とりあえず、戻ってきて、ちゃんちゃんって感じです。


12月。初診2ヶ月待ちだった精神科に初めてかかりました。話すのは怖かった。隣にお母さんもいるし。笑 色々話しました。苦しい苦しいと。そうしたら、すこし気分がマシになって、眠りやすくなるお薬を出してくれました。優しかった。救われた。やっと私の、ひとつの目標であった、病院に連れて行ってもらうことが叶いました。
でもその時お母さんは、ずっとずっと、もっと早く病院に連れていけばよかった。ごめんねごめんね。と言っていました。
聞く耳を持ってくれなかったのはあなたなのに、笑
とにかく、お薬をもらいました。(きかなかったけれど…笑)


12月末。何もしてないのに年越しを迎えるのが本っ当に嫌で死ぬのを決めました。決めたので、沢山部屋の掃除や写真の整理や、色んなことを沢山しました。スペでずっとお話していました。その時に、Kさんと出会いました。私のお話をずっと聞いてくれる方。ずっとずっと聞いてくれていたのだけれど、ある時お話してくれました。女の子だとずっと思っていました。男性の方でした。でも、声が高い人だからすごくお話しやすくて、楽しかったのを覚えています。私が居なくなるのを悲しんでくれました。ありがとう。
大晦日の夜、食塩中毒で死のうとしました。とうとうしっかり死のうとして、その時に病み垢から足を洗いました。 当然、死ねませんでした。現実的じゃなさすぎる笑。

そこからは絶望の毎日でした。綺麗なあさひだけが差し込んで、私は影。苦しかったです。正直、1~2月の記憶が本当に、なかったです。思い出そうとしたけれど本当に思い出せない。

写真見返して、思い出しました。この時ぐらいに、ゲームにハマりました。あと、病み垢から足は洗ったけれど彼とは連絡を取り続けていました。絶望もあったけれどなんだかんだ幸せでした。
でも、彼の嘘つきな面がどんどんどんどん見えてきて。苦しく悲しくなっていきました。そんな時に、Kさん。と、連絡をまた取り始めました。その時聞いたら、12月くらい、Kさんは私に依存していて、それから二ヶ月強、私がいない日々に苦しんでいたらしいです。それがすごく安心しました。私必要とされていたんだ、と。
彼のことを沢山沢山相談しました。どうしようどうしよう、苦しいの。って。色々な末、連絡を絶つことに決めました。断ちました。散々、あんなに私を粗末に扱ってきたのに、離れた方が良いって突き放してきたくせに、いざ、私からしっかり離れたら追いLINEずっとずっとしてくるんです。もう遅いよ、もう手遅れだよ。


Kさんは、私のことを「大好き」だと言ってくれました。私も大好きだと言いました。
3月31日、彼の誕生日に。わたしはKさんと付き合いました笑。
今思えば、必要としてくれるのならもう誰でもよかったんだとおもいます。

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