ENHYPENヒスンの想像力についての考察
ソヌの魅力研究所VLIVE最終回(2021/08/13、ゲスト:ヒスン)を見て。
私(KB)が気になった部分は、感性に関する一連の質問に対するヒスンの答え。
まず、その箇所の聴き起こしは下記の通り。
(前略)
【ソヌ】(質問)感性が沸き上がる天気やどんな時に感性に浸るのか?
【ヒスン】おお。天気ですか。
【ソヌ】はい。
【ヒスン】僕は感性までではないけれど、それでも雪が好きです。
でもその雪がきれいに...すごく...きれいに降るよりも霧がかかっているように降る時がすごくいいと思う。
【ソヌ】ああ。分かります。真っ白に。
【ヒスン】目の前も見えないような。前が見えないそういう天気がすごく好きで、雨が降る時もそうだし。
【ソヌ】雨が降る時は本当に....。
【ヒスン】本当にいいですよね。だから霧が立ち込めた時? そういう時が好きです。
【ソヌ】(質問)ふと感性に浸りたい時があるのか。
【ヒスン】はあ...。感性に浸りたい時....。(考えている)
【ソヌ】一人でいる時?
【ヒスン】ソヌは?
【ソヌ】僕は....シャワーして寝る前。
【ヒスン】寝る前?
【ソヌ】寝る前。寝る前、もしくはシャワーして出た時、それか夜中に一人でいる時?
【ヒスン】んー。そういう時か....確かに。そういう時は全てが整理ができてて....
【ソヌ】そうです。
【ヒスン】少し....
【ソヌ】しっかり休めるような
【ヒスン】考えに浸ることができるタイミング。
似てると思う。
【ソヌ】そうですよね。でも全ての人がそうですよね?
【ヒスン】うん。僕のように一人でたくさん考える性向を持った人たちはみんな、そうだと思う。
【ソヌ】僕も本当に色んなことを考えるんです。だから...
【ヒスン】んー。知ってるよ。
【ソヌ】えへ....
【ヒスン】いつでも僕のところへ来て話してよ。
【ソヌ】本当ですか?
【ヒスン】話さないからだよ。
【ソヌ】僕もこれが...正直、すっきりと話せないんです。正直、僕が一回話すとキリがない人なので少し大変なんです。
【ヒスン】(頷いて)知ってるよ。知ってる。一人で悩まずに、僕がいるから。
【ソヌ】ありがとうございます。
【ソヌ】(質問)ヒスンの感性を感じたいENGENEの方々は何をすればいいか?
【ヒスン】僕は少し....難しいな、質問が。
これは共感できないかもしれないけれど、僕がヒプリだったり、音楽をたくさんお奨めするじゃないですか。
そういう音楽を聴くとき、音楽が与える雰囲気を感じて、そしてその雰囲気に合わせてそういう....僕だけの、僕が理想的と考えるそういう世界をつくって想像してみると、すごく新しい感情を感じることができる。
僕はいつもそうしているんだ。
だから、たくさん想像する方だし、そう思ってる。
(後略)
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さて。
私がこの一連の会話で何が気になったかというと、最後の部分。
ヒスンの言葉として字幕が出た「....すごく新しい感情を感じることができる」という部分。
つまり、「新しい感情」って何なのよってこと。
これが誤訳とまではいかないにしろ、拙い日本語訳なのか、それとも嬉しいとか悲しいとかつらい等の既存の言葉で表現できる感情ではない、もっと微妙な自分だけの感情が芽生えてくると言っているのか。
私にはよく分からなかったが、理解したいと思った。共感はできずとも、理解して自分なりの言葉にしたいと切に思った。
そんなわけで、まずは手近な手段として英語訳を見てみた。
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【ソヌ】
Please make a recommendation for ENGENE who wants to feel your mood.
【ヒスン】
You may not relate to this.
But you know, I often make song recommendations.
When you listen to the music I recommend, just feel the mood of the music, and, make a universe that you find ideal, and widen that imagination.
That's what I always do.
I'm full of imagintion. Yes.
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ふむむむ、「widen that imagination」だったら意味的に辻褄は合うが、もしこの意味の韓国語をしゃべっていたら、そもそも日本語訳が「新しい感情」という単語にはならない気がした。
想像力で創り上げた世界を拡張していくだけではない、何かしら「感情」に関わるニュアンスが含まれているはずだと。
というわけで、VLIVEで提供されていたスペイン語、フランス語、ベトナム語、タイ語?、インドネシア語を介してみることにした。
スペイン語とフランス語は、たぶん英語から訳したせいで、得るものがなかった。
そして、インドネシア語を日本語訳を掛けたときのGoogle翻訳がこれ。
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(前略)
それらの音楽を聴くと与えられたニュアンスを感じることができます。
そしてそのニュアンスに合わせて、あなたはあなた自身の理想的な世界をつくることができます。
想像すれば、何か新しいことを感じることができます。
それは私がいつもしていることです。
だから、私はよく空想します。
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私の勝手な想像ではあるが、この韓国語→インドネシア語→日本語 がいちばんヒスンの言いたかったことに近いのではなかろうか。
まあ、それを詩的に言うと「新しい感情を感じる」ってことなのかもしれないが、この翻訳の文章だと、ヒスンが舌足らずというかお馬鹿さんに聞こえる。
とても複雑で緻密で、詩的な思考過程を話しているのに。
今回の考察を通じて思ったのは、いままで「これ、ヒスンはなんと言いたかったんだろう」と思うことはたびたびあったけれど、単なる言葉足らずかなと思ったり、内容が軽い話だから追求する気にもなれなかった。
でも、今回は(私の考察が正しいかはともかく)放ったらかしてはいけないと思ったのだ。
なぜか。
それは、普段のヒスンが言わないことなのに、相手がソヌだから語ってる気がしたからだ。
(KB)
先日、メンバーが戻ってきてくれた。
それがどれほど嬉しいことだったか、まったくもって筆舌に尽くしがたい。
ENGENEは、ずっとずっと忘れないだろう。
でも、おそらくまだ万全の状態というわけではないだろう。
ようやく全員そろってのVLIVEの中で、匂いがしないという話から、味覚嗅覚がまだおかしいメンバーもいるのだという情報も得ることになった。
そのときに、ヒスンが「辛いものをあえて食べている。辛さは感じられるから」と言ったことに、胸を衝かれた。
ヒスンという人は、その五感から、あまりにも多くのことを引き出し、常に感覚的に生きてきた人なのではないだろうか。
KBはこのエピソードから、プルーストの『失われた時を求めて』の冒頭部分を思い出したという。
プルーストの『失われた時を求めて』
眠りと覚醒の間の曖昧な夢想状態の感覚、紅茶に浸った一片のプチット・マドレーヌの味覚から不意に蘇った幼少時代のあざやかな記憶、2つの散歩道の先の2家族との思い出から繰り広げられる挿話と社交界の人間模様、祖母の死、複雑な恋愛心理、芸術をめぐる思索など、難解で重層的なテーマが一人称で語られ、語り手自身の生きた19世紀末からベル・エポック時代のフランス社会の諸相も同時に活写されている作品である。
──── from Wikipedia
ヒスンもまた、味覚から多くの思い出を引き出し、常にそれらの鮮やかな記憶の中で生きているとしたら?
味覚によって、感情を追体験したり、あるいは、昔抱いた感情とはまったく異なる感情に驚いたりしているとしたら?
五感を通して甦る記憶が新しい発見に繋がっている────それが、ヒスンという人の豊かでユニークなところだと思う。
そんな人が味覚を奪われたら、どんなだろう?
苦しい? つらい?
いや、すごくさびしいのではないだろうか。
…………胸が痛む。
本当に、一分でも一秒でも早く、私たちのイー・ヒスンがすべてを取り戻し、あの希有な才能を、自分自身の満足がいくまで存分に発揮できる最高の状態になりますように。
とはいえ、もう完全な状態に戻っているかもですが。
私たちは祈り続けることしかできません。
そして、新しいアルバムを、心から楽しみに待っています。
そこにいてくれて、ありがとう、HEESEUNG。
私たちはいつもいつも、あなたのことを想っています。
(RJ)
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