世界で最も美しい顔100と水原希子

「世界で最も美しい顔100」というランキングを、モデルの水原希子が批判したことが話題になっている。

私自身、このランキングを初めて知ったときは「ゲスい企画だな」と思った。ただ、対象が芸能人に絞られている(しかも、個人が趣味?でやっているネタ)と知り、「職業人が受け入れざるを得ない論評の範囲」ではないかなーという気もする。

例えば「ドリブルのうまいサッカー選手10」というランキングなんかは当たり前のようにある。選手が「ドリブルの上手い・下手だけでサッカー選手の優劣はつけられない」「勝手に比較するな」と言っても社会的理解は得られないのが現実ではないだろうか。そして、その現実に重篤な問題があるとまでは思えない。

同様に、芸能人にとって容姿が職務上の評価軸の一つになってしまうことは避けられないし、そこには一定の社会的合意が得られているとも思う。

もちろん「容姿」は「ドリブル能力」よりもセンシティブな話題であるから、論評する際はたいへん慎重に言葉を選ぶ必要がある。誹謗中傷はもってのほかだ。

その点で「世界で最も美しい顔100」がどのような言葉で芸能人を評しているのか私は知らない(英語読めません)が、「論評すること自体が絶対に許されない」というのはなんか違うんじゃないのと。科学者みたいな、容姿が職務遂行能力とまったく関係ない人たちを対象にどーのこーの言ったら問題だと思うが。

水原がどう批判しているのか詳しくは知りませんが(インスタやってないんで)、それってポリコレを旗印とした一種の表現規制圧力じゃない?と思わなくもない。

ちなみに私は身の回りの人間の容姿を論評することは絶対にしませんが、自分が論評されたことはあります。「野暮ったい」「服がダサい」「清潔感が足りない」など(笑)。

指摘してくれたおかげで改善できたのも確かですが、「この人(女性)ダブスタだよなあ」(女性の容姿の論評は許さないのに、男性の容姿は好き放題言いまくり)と内心思ったことも多々あり。。。

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