TWO ROOMS(ストーリー全文)

私を見て恐れぬなら、あなたの手で描いておくれ。



アタッチタウンの森の奥には、霧のかかった古い大きな館があります。その館にはもう何十年、誰も住んではおりません。歴代の町長は何度も取り壊そうとしましたが、そのたびに不可解な失踪事件がおこり工事は中断。町のひとびとからは『迷霧の館』と呼ばれるようになり、今では近づこうとするものは誰もいません。


当時、取り壊しを請け負っていたある老人はこう言います。
「館の中には魔物が棲んでいる。深く暗い夜を纏ったような、恐ろしい魔物が。暗闇の中で深紅の目に見られた者は、誰も生きて帰ってこれやしなかった。そして、どうやらそいつは館のどこかにある二つの部屋を守っている。何の為かはわからないが、呪われたように何年も、何十年も」


TWOROOMS


①電話 1985/9/23 11:32

「はい、もしもし」
「ルイ君、突然だけどニーナがどこにいるか知らないかい?」
受話器から聞こえてきたニーナの父の声は、ひどく焦っているようでした。
「いえ、どうかしたんですか?」
「実は昨晩、アンのところに向かってから家に帰っていなくてね……、ニーナに会ったら私が探していたと伝えてくれるかい?」
ルイはその言葉を聞いて妙な胸騒ぎがしました。
「わかりました。みんなにもニーナの居場所を知ってるか聞いてみます」
ルイは電話を切ってからすぐに、友人の一人であるジョージの家に電話をかけました。


②ジョージとエマ 9/23 11:41

「……はい、もしもし」
受話器の向こうから、小さく控えめな声が聞こえます。電話に出たのは、ジョージの妹のエマでした。
「急にごめんね、悪いんだけどエマ、お兄さんに代わってもらえるかい?」
「わかった、ちょっと待っててね」
受話器の向こうから、慌ただしく階段を降りてくる音が聞こえてきました。
「おいどうしたルイ、そっちから電話をかけてくるなんて珍しいじゃないか」
「ジョージ、ニーナの居場所を知らないかい? 夕べから家に帰ってないみたいなんだ」
「なんだって! ニーナにかぎって家出じゃあるまいし、何か事件に巻き込まれたんじゃ……」
「とにかく一度、時計台の下で落ちあおう。僕はアリサの家に寄ってから行くよ」
急いで身支度をしたルイは家を出ました。


③アリサ 9/23 11:53

「はーい」
インターホンに出たのは、アリサの母でした。
「すみません、ルイです。アリサは家にいますか?」
「あら久しぶりねルイ君、ちょっと待っててね」
しばらく経ってから扉が開き、アリサが出てきました。どうやら急いで身だしなみを整えていたようです。
「どうしたのよ、急に家に来るなんて」
「アリサ、ニーナがどこにいるか知らないかい? 夕べから家に帰ってないみたいなんだ」
「えっ……、たしか昨日会ったときに、夜はアンさんの家に行くと言ってたはずよ」
アリサも夕べ以降のニーナの消息はわからないようです。
「ニーナになにかあったのかしら……」
「僕とジョージはこれからニーナを探しに行くんだ。アリサも一緒に来てくれるかい?」
「ええ、もちろんよ。急ぎましょう」


④時計台 9/23 12:00

アタッチタウンに正午を告げる鐘が鳴り響く中、ルイとアリサは待ち合わせの時計台に着きました。
「またせたねジョージ、それにエマも来てくれたんだね」
「うん……」
エマはジョージから話を聞いて、居ても立ってもいられずについて来たようです。
「よし、みんな揃ったし、早くニーナを探しに行こうぜ!」
ジョージは大きな声で言いました。
「バカね、闇雲に探しても見つかりっこないわ」
アリサはニーナへの心配からか、いつにもまして強い口調です。
「まだ事件と決まったわけじゃないし、一度落ち着いてニーナが行きそうな場所を考えてみよう」
ルイの言葉のあと、4人は思い当たる場所を話し合いそれぞれの探す担当を決めました。
「3時間後にまたここに集合だ、いいね?」


⑤派出所 9/23 12:07

「モーリーさん、お願いです! ニーナを、ニーナを早く探してください!」
「お父さん、少し落ち着いてください。まだ事件と決まったわけではありません」
モーリー巡査は、派出所に駆け込んできたニーナの父をなだめるように言いました。
「一度状況を整理しましょう。まずはニーナさんの昨日の行動を教えてください」
「はい、昨日は学校から帰ってきてすぐに、隣町の従姉妹の家に向かったんです。帰りが遅いなとは思ったのですが、向こうに行くときは泊ってくることも多かったものでてっきりそうかと……、それが朝になっても帰ってこないので電話をかけてみたら、夜の9時には向こうを出たみたいなんです」
「なるほど、昨晩9時からニーナさんの行方がわからないということですね。家を出るときに、何か変わった様子などはありましたか?」
「いいえ、とくには……、私が、私がもっとちゃんと気をつけていれば……」
ニーナの父の声は、今にも消えていってしまいそうでした。

「大丈夫ですよお父さん、きっとどこかで迷子になっているだけですから」
奥の部屋から出てきたトミー巡査部長は優しい声でそう言いました。彼は町のみんなから親しまれているベテランの警察官です。
「アタッチタウンは平和な町です。なにせ私が配属されてから20年以上、事件らしい事件は起きていないんですから」
「トミーさん、どうか娘を……」
「任せてください。まずは、隣町に行くまでにニーナちゃんが通る道を探してみましょう」
トミー部長とモーリー巡査は話を聞いたあと、すぐに捜索に向かいました。


⑥探索 9/23 12:14

ルイは幼い頃二人で遊んだ思い出の公園へ、ジョージは町の外れにある海岸へ、アリサは学校の帰りに二人でよく訪れた商店街へ、エマは内緒で教えてくれたお気に入りの湖へとそれぞれニーナを探しに行きました。

公園に着いたルイはあたりを見渡しましたが人の気配はありません。
「ニーナ、ニーナ、そこにいるなら返事をしてくれ」
何度も大きな声で叫びましたが、返事はありませんでした。

心当たりのある場所もなくなり、ルイが時計台に戻ると残りの3人もすでに戻っていました。
「公園にも、いなかったのね?」
アリサの声にルイは小さくうなずきます。
「ニーナ、どこに行っちゃったの……」
エマは涙ぐんだ声で言いました。
「みんなで隣町にも探しに行こう、きっとニーナは見つかるよ」
4人はそれから隣町に向かいアンの家も訪ねましたが、結局ニーナは見つかりませんでした。


⑦言い伝え 9/23 19:46

「もしかしてニーナはメイムの館に連れ去られたんじゃ……」
ジョージは小さな声で呟くように言いました。
「メイムの館ってなに?」
「オーキの森のずっと奥にある洋館だよアリサ、でもあそこはただの廃墟だろ?」
「ルイ、知らないのか? メイムの館の言い伝えを」
「言い伝え?」
ジョージは、メイムの館には深紅の目をした魔物が棲んでいること、そして館のどこかにある二つの部屋を守っていることをみんなに話しました。
「確かに、あそこの館で失踪事件が起きたことがあるって父さんも言ってたような……」
エマはルイとジョージの話を聞いて今にも心配で泣きだしそうです。
「ジョージ、もしその言い伝えが本当ならニーナが危ない」
「ああ、ニーナを館へ探しに行こう」
しかし、気が付けばあたりはすっかり暗くなっていたので、4人は一度家に戻ることにしました。
「みんな、探索に必要なものを持ってくること。それと、くれぐれも親には見つからないように」


⑧食卓 9/23 20:01

「ルイ、とっくに晩ご飯の時間よ。早く手を洗ってきなさい」
急いで家に戻ってきたルイに母は言いました。オレンジ色の照明の下には、手の込んだ料理が並んでいます。
「ルイ、ニーナちゃんが行方不明になってるのは知ってるわね? すぐに見つかるとは思うけど、あなたも気を付けて。不用意に外を出歩いてはだめよ」
ルイの母は料理をとりわけながら続けて言います。
「トミーさんも探してくれているみたいだし、きっと大丈夫よ」
「わかってるよ母さん」
ルイはなるべくいつもと同じように返事をしました。
「それよりルイ、この前の試験の成績はなんだ。前回に比べてずいぶん下がっていたじゃないか」
ルイの父は視線も向けずに重い声で言います。
「……すみません」
「町長の息子が落ちこぼれじゃ面目が立たない、わかるだろう」
ルイの父は早々に食事を済ませ、書斎へと席を立ちました。
「あのひと、あんな言い方しかできないけれど、ルイにはとても期待してるのよ」
「ああ、わかってるよ母さん、ごちそうさま」
今夜は部屋にこもって勉強すると母に伝え、ルイは自室に戻りました。


⑨準備 9/23 20:40

ルイは机の上にあるラジオをつけて少しだけ音量を上げました。いつも勉強するときは、決まって流しているラジオです。
館の探索に必要そうなものをカバンに入れたあと、引き出しから懐中電灯、サバイバルナイフをカバンに移し、時計を確認します。
「あと10分、そろそろだな」
窓際にあるほこりを被った望遠鏡をどかし、玄関から持ってきておいたスニーカーを窓から放り出します。サッシに足をかけ音が出ないように外へと抜け出し、裏庭を通って再び時計台のもとへと向かいました。


⑩夜の時計台 9/23 21:15

夜はすっかり更け、月と時計台だけがぼんやりと光っています。
「おそい! ジョージ!」
「ごめんごめんアリサ」
ジョージは集合時間を15分遅れて、パンパンになったリュックを背負いながら走ってきました。
「いやあ持っていくもの選んでたら、うっかりこんな時間に……」
「ばか!」
「まあまあ、とにかくみんな揃ったことだしニーナを探しに行こう」
4人は館のある森へと歩き始めました。

森までの道はそう遠くはありませんが、人気の無い道はいつもより長く感じます。次第に月も陰りはじめ、4人の口数も減ってきました。
「きっとニーナ、森の中で迷子になってるのよ」
「……そうだね、アリサ。きっとお腹を空かせてるだろうし、早く見つけてあげよう」


⑪オーキの森 9/23 21:37

「……わたし、夜の森って初めて」
エマは懐中電灯であたりを照らしながら歩いています。森は風が吹くたびに、ざわざわといっせいに音を立て4人を一層不安にさせました。
「ニーナ、ニーナ聞こえたら返事をしてくれ!」
ジョージはみんなの不安をかき消すように、とびきり大きな声で叫びました。しかしその声は深い森に吸い込まれ、返事が戻ってくることはありません。
「ニーナ、本当に魔物に連れ去られちゃったのかな……」
「大丈夫よエマ、魔物なんてただの言い伝えよ」
アリサのその言葉は、自分にも言い聞かせているようでした。
「みんな、どうやら館は近いみたいだよ」
ルイが指をさした方へ視線を向けると、霧の向こうにぼんやりと館の影が見えました。


⑫迷霧の館 9/23 22:03

「この館に、今から入るのね……」
アリサは少しこわばった表情で言いました。
4人が初めて見るメイムの館は、古い木造の大きな洋館で壁にはツタが這っていました。ずっと長い間、時間から取り残されてしまったような、そんな奇妙な雰囲気を纏っています。
「えっ……」
「どうしたルイ?」
「いや……、ごめん何でもないよジョージ」
ルイは館の陰に墓のようなものを見つけましたが、みんなを不安にさせないように口には出しませんでした。
「……何かあったときは必ず大きな声を出すんだ。それと、絶対に離れないように」
ルイはそう言って、館の扉に手をかけます。幸いなことに鍵はかかっておらず、重い扉は軋みながら開きました。

館の中は外よりもさらに暗く、懐中電灯がなければ少し先も見えないほどです。玄関ロビーには、立派なシャンデリアと赤いカーペットが敷かれており、西洋風の内装は思っていたよりもずっと整然としていました。
「まずは一階から探索してみよう」
ルイがそう言うと、みんなは静かにうなずきました。


⑬潜入 9/23 22:21

「本当にこんなとこにいますかね、部長」
モーリー巡査は、怪訝そうに迷霧の館を見上げています。
「うわっ、不気味な館だな……、でもこの近くで探してないのは、あとここだけなんだよ」
「僕、一人で行ってきましょうか?」
「いや、お父さんにもニーナちゃんを任されたんだ。それに一人外で待ってるのも怖い」
決意を固めたトミー部長は、扉をゆっくりと開き館の中へと入っていきました。
「言い伝えを信じるわけじゃないですけど、本当に何か出そうな雰囲気ですね」
「脅かさないでくれよ」
そのときです。突然階段が軋む音が聞こえ、トミー部長は小さく悲鳴をあげました。
「部長、驚いてる場合じゃないですよ! ニーナさんかもしれません!」
2人は急いで音の方に向かいます。
「そこに誰かいるのか!」
トミー部長が気配のする方に懐中電灯を向けると、そこには4人の少年たちがいました。


⑭遭遇 9/23 22:29

「うわああああ!」
突然、後ろから光を向けられた4人は思わず叫びました。
「君たち、何をしてるんだ」
まぶしい光の中から聞こえてきたのは、聞き覚えのある声でした。
「えっ……、なんだトミーさんか! びっくりさせないでくれよ」
ジョージの言葉のあと、アリサとエマは思わず座り込んでしまいました。
「なんだじゃないよ! 君たちこんなところに夜遅く危ないじゃないか!」
「すみません、トミーさん。僕たちニーナが心配で探しに来たんです」
ルイは、ニーナがアタッチタウンのどこを探してもいなかったこと、言い伝えが気がかりで館に来たことを話しました。
「部長、この子たちどうしましょうか」
「うーん……、子供たちだけで夜の森を帰らせるわけにもいかないしな」
トミー部長とモーリー巡査は話し合った結果、4人を連れて探索を続けることにしました。
「君たち、絶対に私とモーリーの言う事を聞くんだよ。いいね?」


⑮廊下の先 9/23 23:05

「廃墟にしてはずいぶん綺麗ですね……」
二階の廊下を照らしながら、モーリー巡査を先頭に静かに進んでいきます。すでに少年たちが探索を始めてから一時間ほど経ちますが、ニーナがいる形跡は何も見つかりません。
「やっぱりこんな館にいるわけないわ」
アリサがそう言った、そのときです。廊下の先から蝶番が軋む音が聞こえ、驚いた6人はその場で立ち止まりました。床が鳴る音と共に、暗闇の中から少しずつ足音がこちらに近づいてきます。恐怖に耐えられなくなったエマは、小さく声を漏らしました。
「ニーナ?」
すると、暗闇から低いうめき声が館に響き渡り、足音は段々と早く大きくなります。4人は恐怖のあまり身がすくんで、その場から動けません。
「君たち何してる! 早く逃げるんだ!」
トミー部長の声で我に返った4人は、大人たちを背に暗闇の中を必死に走り出しました。
「どうしますか、トミー部長」
足音はどんどん近づいてきています。
「決まってるだろ、ここは撤退だ!」
トミー部長とモーリー巡査は、子供たちが逃げたことを確認しそのあとを追いました。


⑯物置 9/23 23:12

ルイはひとり、階段下の物置でなんとか息を押し殺しています。暗闇の中、無我夢中で逃げた6人は館の中でばらばらになってしまいました。
「なんだったんだあいつは……」
先ほどのことを思い出し、改めて血の気が引いていくのを感じます。暗闇に光る赤い目、あのうめき声、とうてい人間のものとは思えませんでした。
(あの言い伝えは嘘じゃなかったんだ、もし、本当にあの魔物に連れ去られたのだとしたらもうニーナは……)
思わず最悪の想像をしてしまったルイは、考えを振り払うように目を閉じます。そして急ぐ鼓動を抑えながら、言い伝えのことを思い出していました。
(そうだ、まだ魔物が守っている二つの部屋は見つけてない、もしかしたらニーナはそこに……)

時を同じくして、ジョージ、エマ、アリサもそれぞれの場所で、言い伝えのことを思い出していました。
『ニーナはきっと二つの部屋のどちらかにいる』
そう信じて4人は、館の探索を続けることにしました。


⑰光の導き 9/23 23:32

緑色の扉を前にして、ルイは深く息を吐き出しました。目の前に突然現れた光を不思議に思って追いかけていたら、先ほど魔物と遭遇した廊下の先にある、この部屋へとたどり着いたのです。
ゆっくりとドアノブに力を入れると、黒い影がバサバサと音を立てて部屋から飛び出しました。驚いたルイは思わず扉を閉め、もう一度深呼吸をして今度は勢いよく扉を開きます。部屋の壁にはいくつかの絵が飾られており、窓から入る月の光にぼんやりと照らされていました。

「ニーナ! アリサ!」
部屋の奥でソファに横たわっているニーナと、その側に座り込んでいるアリサを見つけました。
「ルイ! ニーナ、生きてるよ。でも怪我をしているみたいなの……」
ニーナの首や腕には包帯が巻かれていました。
「……よかった! 早くニーナを連れて館を出よう」
ルイが言った、そのときです。遠くからエマの悲鳴が聞こえました。
「アリサ、ニーナを頼む!」
ルイはそう言って、エマのもとへ向かおうとします。しかし、ルイが動き始めるより先に部屋の扉が開き、何者かが入ってきました。


⑱彩度 9/23 23:40

「その少女から離れろ」
黒いマントを羽織った男がルイの行く手に立ちふさがり、静かにそう言いました。美しい顔立ちで冷徹な目をしたその男は、ゆっくりと近づいてきます。ルイはアリサとニーナを背後にかばうように一歩前に出ました。
「お前の目的は何だ! どうしてニーナを連れ去った!」
勇気を振り絞り叫びますが、男は表情一つ変えず何も答えようとはしません。ルイは感情が高まり、続けて声を張り上げます。
「なんでニーナをこんな目に合わせるんだ!」
男はゆっくりと答えます。
「……別に誰だってかまわない。その少女の代わりをお前が務めるか?」
その言葉のあと、男の目は瞬く間に赤く染まり、犬歯が伸び、肌の色は彩度を失っていきました。
「私たちには、血が必要なんだ」
ルイとアリサは、豹変した男の姿を見て思わず息を飲みます。
『吸血鬼だ』
男は長く伸びた爪を尖らせ、ルイに向けて手をふり上げました。
アリサは悲鳴を上げ、ルイも恐怖で目をつぶりました。


⑲警棒 1985/9/23 23:48

わずかな間をおいて、ルイに訪れたのは予想していた様な痛みではなく、強く抱きしめられるような衝撃でした。おそるおそる目を開けると、そこにはトミー部長の姿がありました。
「ごめんね君たち遅くなって、怪我はないかい?」
叫び声を聞いて駆けつけたトミー部長が、身を挺してかばってくれたのです。トミー部長は吸血鬼の方を向き、警棒を構えました。
「トミーさん! 背中から血が!」
「大丈夫、かすり傷さ」
「お前は……、アタッチタウンの警官だな」
ずっと無表情だった吸血鬼が、トミー部長の制服を見て怪訝そうな表情を浮かべました。
「ルイ君、アリサちゃん、いざとなったら私をおいて走って逃げるんだよ」
そう言ったトミー部長は警棒を握り直し、吸血鬼に向かって振りかぶりました。しかし、吸血鬼はトミー部長の腕をすかさず掴み、警棒は床へと落ちます。

「人間が力で勝てると思うか?」
吸血鬼は続けて、トミー部長の首を引き裂こうとしました。けれどその瞬間、激しい光が吸血鬼の顔を照らし男は思わず目を覆います。機転を利かせたアリサが、懐中電灯の光を吸血鬼の顔に向けたのです。
ルイは吸血鬼がひるんだのを見逃さず、すぐさまトミー部長の警棒を拾い吸血鬼の心臓にめがけて突き出しました。警棒で胸を突かれた吸血鬼は、体から急速に力が抜けていき、胸のあたりから焼かれたかのように煙を上げて苦しんでいます。
「トミーさん、ニーナを!」
そう言ったルイは、吸血鬼の胸を繰り返し警棒で突きます。トミー部長はニーナを担ぎ上げて言いました。
「ドアに向かって走るんだ!」
ルイは警棒を捨て、アリサ、トミー部長と共に扉へ向かって走りました。


⑳合流 9/23 23:55

部屋を出た3人は、ニーナを連れて急いで館の入り口まで向かいます。
「トミーさん、あいつ……」
「ルイ君、とにかく今は走るんだ!」
ルイはうなずきアリサの手をとって走りました。
勢いよく一階への階段を駆け下りていると、玄関ロビーから声がします。
「みんな! 無事だったんだな!」
「ジョージ!」
ジョージ、エマ、モーリー巡査もどうにか途中で合流し、入り口まで急いで逃げてきたようです。
「よかった、ニーナも一緒なのね!」
エマは担がれているニーナに気が付き、泣き出しそうな顔で言います。
6人はそのまま館を出て、一度も振り返らずに警官たちが乗ってきたパトカーまで走りました。


㉑帰宅 9/24 00:00

「部長、ジョージ君とエマさんは僕が家まで送ります」
「すまないね、よろしく頼んだよ」
そう言ってトミー部長はルイ、アリサ、ニーナを乗せた車を出発させました。
「トミーさん」
ルイの声を遮ってトミー部長は話し始めます。
「ルイ君、アリサちゃん、今日見たことは誰にも言わないでくれないかい?」
その声はいつもの優しいトミー部長の声とは違い、緊張感のある静かな声でした。
「噂というものは尾ひれがつくものでね、もしかしたら町中がパニックになるかもしれない。改めて調査をしてから発表しようと思うんだ」
ルイとアリサは黙ってうなずきました。
「今日のことは親御さんにはもちろん内緒にしておくよ。ニーナちゃんのことも、森の中で見つけたと伝えようと思う」
そんな話をしている内に、車はアリサの家の前に着きました。
「今日は疲れただろうし、帰ったらゆっくり休むんだよ」
そう言うトミー部長の声はいつもの声に戻っていました。
「トミーさん送ってくれてありがとう。ルイ、また明日ね」
アリサはいつものように別れの挨拶をして、静かに車のドアを閉めました。

窓を流れる見慣れた景色を眺め、ルイは館で起きたことを思い返していました。
「トミーさんは、なぜあの警棒で吸血鬼を倒すことができたと思いますか?」
少しの沈黙のあと、トミー部長は答えました。
「それは、私にもわからない。……神様が私たちを助けてくれたのかもしれないね」
「そう、ですね。」
気が付けば車は、ルイの家の側に停止していました。
「トミーさん、送っていただきありがとうございました。……ニーナをよろしくお願いします」
結局ルイが家に着くまで、ニーナが目を覚ますことはありませんでした。

ひとりになったトミー部長は、ニーナの家に向かいながら警棒のことを考えていました。
(あの警棒は私がこの町の配属になったときに、ハイド警部から渡されたもの、もしかして警部は何か知っているのでは……)

結局考えがまとまることはなく、車はニーナの家に着きました。家のチャイムを鳴らすとニーナの父親が飛び出してきます。
「トミーさん、ニーナは、ニーナは見つかったのですか?」
「ええ、森の中にいるところを見つけました。途中で怪我をしてしまったみたいで今は眠っていますが、命に別状はありません」
「よかった、本当によかった……」
ニーナの父は眠っているニーナを強く抱きしめました。


㉒ジョージの家 9/24 12:17

一夜明けた昼下がり、ジョージの部屋で4人は館での出来事を話していました。
「不思議な光があってさ、誰かのライトかと思って追いかけてたら、赤い扉の前に着いたんだよ!」
ジョージは大げさな身振り手振りで話を続けます。
「それでさ、ラッキーと思って中に入ったらキセルを咥えた男がいて、いきなり吸血鬼に変身したんだぜ!」
「わたしはカチューシャをしたメイドを廊下で見かけて、とっさに隠れた部屋でニーナを見つけたの」
アリサは昨日のことを思い出し、こわばった表情で言います。
「そういえば、エマはなんでスカーフの男と一緒にいたんだよ」
「……わたしがソバージュの女性に捕まりそうになったときに、なぜかかばってくれたの。それで」
エマが話し終わるより先に、ジョージの母の声が居間から届きました。
「みんな! ニーナちゃんが目を覚ましたって! この林檎持って行っていいから、お見舞いに行ってきなさい!」
4人はすぐさまニーナの家に向かいました。


㉓ニーナの部屋 9/24 13:10

「ニーナ、みんなにもずいぶん心配かけたんだから、ちゃんと謝るんだよ」
そう言ってニーナの父は部屋を出ていきました。
「みんな、本当にごめんなさい」
「いいっていいって、ニーナが無事だったんだから!」
「そうよ、気にすることないわ!」
頭を下げるニーナにジョージとアリサは慌ててそう返しました。

少しの沈黙のあと、ルイは話を切り出します。
「ニーナ、あの夜アンさんの家を出てから何があったんだい?」
「その……、アンの家でお喋りしていたらつい家を出るのが遅くなっちゃって、それで森を抜けて近道しようとしたの」
ニーナは記憶を辿りながら、たどたどしく話し始めました。
「でも、途中でお母さんの形見の銀時計を落としちゃったみたいで、来た道を探していたんだけど、夢中になっていたら道がわからなくなって……」
4人は真剣な表情で耳を傾けます。
「それで、いつのまにか歩き疲れて眠ってしまったみたいなの……」
ニーナは何故か一瞬口を閉ざしたあと、うつむきながら言いました。
「そのあとのことはあんまり覚えてないわ……」

4人は目を見合わせたあとうなずき、ルイはゆっくりと話し始めます。
「実はねニーナ、昨日の夜僕たちはメイムの館に行ったんだ」
「えっ……」
「トミーさんはああ言ってたけど、ニーナは森の中じゃなくて館で見つかったのよ」
アリサも続けて言います。
「ニーナ、館の中のことは何も覚えてないかい? 誰か他に人がいたとか、些細なことでもいいんだ」
「ルイ、ニーナも意識が戻ったばかりで疲れてるんだ、そんなに急ぐなって」
「いいのよジョージ、でも、本当に何も覚えてないの…… 」
ルイはニーナの表情から何かを察して、それ以上聞くことをやめました。
「ごめんニーナ、少し気が焦ってたみたいだ。今日はそろそろ帰るよ」
「そうね、今日はゆっくり休んだほうがいいわ。ニーナまた明日、学校でね!」
アリサがそう言ったあと、4人はニーナの部屋を出ました。


㉔届け物 9/24 14:07

「どうしたのエマ、何か忘れ物?」
ニーナの部屋に、先ほど帰ったばかりのエマが戻ってきていました。
「ううん…… 、あのね、さっきニーナに渡せなかったものがあって」
そう言ってエマはポケットから銀時計を取り出しました。
「エマ! 森の中で見つけてくれたのね!」
ニーナは、大きく目を見開きました。
「違うのニーナ、これはわたしが見つけたんじゃないわ。館の中でね、スカーフを付けた男の子に渡されたの」
エマは戸惑ったような顔をしながら、続けて話します。
「それとね、『お母さんのことは気にしないで』と、ニーナに伝えて欲しいって……」
ニーナは一瞬驚いたあと、少し悲しそうな顔をしました。
「ねぇニーナ、あの男の子は誰? なんで銀時計がニーナのだって知ってたの?」
エマは、今までの不安や心配が溢れ出たようにニーナに問いかけます。しかし、ニーナは質問に答えられませんでした。
「……ニーナが話したくないなら、これ以上は聞かない。でも、もう二度といなくなったりしないで。それだけは、約束だよ」
そう言ってエマはニーナの部屋を出ていきました。


㉕思い出の公園 9/24 19:02

「お父さん、少しだけ出かけてくるわ」
友達が会いに来てくれたあともずっと、ニーナは浮かない顔をしていました。
「……あんまり遅くなっちゃいけないよ」
そしてそのことに気が付いていたニーナの父は、言いたいことを飲み込みました。

ニーナは夜のアタッチタウンを当てもなく歩きましたが、どれだけ歩いても気持ちの整理はつきません。そして気が付けば、思い出の公園の前に着いていました。少し歩き疲れていたニーナはベンチに座ろうとしましたが、そこにはすでに誰かが座っています。
「ルイ? こんな時間に何してるの?」
名前を呼ばれたルイは、本から顔を上げました。
「もしかしたら、ニーナがいるんじゃないかなって思って。だってニーナ、昔から悩みがあると決まってここに来るから」
ルイはニーナの表情から、誰にも言えずに一人で悩んでいることに気が付いていました。
「ふふっ、さすがルイ」
懐かしい記憶がよみがえり、館から帰ってきて初めてニーナの顔がほころびました。
「少し話そうよニーナ、怪我は大丈夫そうかい?」

「うん、手当てをしてくれたのが早かったからすぐに治りそうって。ちゃんとトミーさんにお礼を言わないと」
ニーナはそう言って、自分の手の包帯をそっと撫でました。
「……ニーナ、それはトミーさんじゃないよ。ニーナを見つけたときにはすでに包帯で手当てがされていたんだ」
ニーナははっと驚いた表情を見せたあと、ぽろぽろと泣き始めてしまいました。
「ごめん、なにか傷つけるようなこと言ったかな」
「……違うの、わたし、あの時どうすればよかったんだろう」
「ニーナ、どんなことだって力になるから、僕に話してくれないかい?」
少しの沈黙のあと、ニーナは涙を拭いて途切れ途切れに話し始めました。
「ルイあのね、本当はわたし、メイムの館で一度目を覚ましたの。それで、部屋には同い年くらいの男の子がいて……」


㉖出会い 9/23 10:06

「ん……、あれ?」
「やっと起きたね、森の中で倒れてるから死んでるのかと思ったよ」
ニーナが声の方に目を向けると、椅子に座って本を読んでいるスカーフをした男の子がいました。
「わ! ごめんなさい、道に迷っているうちに歩き疲れてしまって……」
ニーナは目をこすりながら部屋を見渡しました。まだ夢の中にいるかのように、頭がぼんやりとしています。
「きみ、名前はなんて言うの?」
「わたしはニーナ、あなたは?」
「僕はユーリ。それより、あんな夜中になんで森にいたの?」
ユーリはニーナと同じくらいの年頃に見えましたが、同世代の男の子とはどこか違う不思議な雰囲気を纏っていました。
「ええっと……、そうだ、わたしお母さんの形見の銀時計をなくしちゃって、それで森の中を探していたの」
ユーリはその言葉を聞いて少しだけ寂しそうな顔をしました。
「……お母さん、亡くなられているんだね」
「そう、7年前に病気で。とってもきれいで優しいお母さんだったわ」
ユーリは少しの沈黙のあと、椅子を立って言いました。
「ニーナ、おなか空いてるだろ? 朝食の準備ができているんだ、そこで待ってて」
部屋を出ていったユーリはトレーに朝食をのせて戻ってきました。
「ハムエッグとトーストだけど、口に合うかな?」
「うん、とっても美味しいわ、ありがとう」
それから二人はしばらく、好きな本や音楽の話をして過ごしました。

「あ、もうこんな時間! そろそろ家に帰らないとお父さんが心配するわ」
「ニーナ待って! ……ひとつだけお願いがあるんだ」
「お願い? そうね、これだけしてもらったんだもん、わたしにできることがあれば何でもするわ!」
その言葉を聞いたユーリは、静かな声で言いました。
「ニーナ、君の血を少しだけ分けて欲しいんだ」


㉗理由 9/23 10:58

「血?」
ニーナは不思議そうな顔でユーリを見つめます。
「実はね、母が深い傷を負っていてすぐに血が必要なんだ」
「大変じゃない! それならすぐに病院に行ったほうが」
「病院じゃダメなんだ」
ユーリはおもむろに立ち上がり、部屋のカーテンを開きました。
「ニーナ、こっちへ来て」
言われた通りにニーナはユーリの横へ立ちました。
「窓を見て」
「……雨戸が閉まっていて何も見えないわ」
「違うよ、もっとよく見て」
ニーナはもう一度窓を見てはっとしました。
「ユーリ、あなた映ってないわ……」
「ニーナ、怖がらないで聞いてほしい。僕ら家族はね、吸血鬼なんだ。迷霧の館の言い伝えを、聞いたことはない?」
ニーナはやっと、自分が今いる場所がメイムの館だということに気が付きました。
「安心して、きみに危害を加えるつもりはないんだ」
「いや、来ないで、近寄らないで!」
ニーナは恐怖で後ずさりながら叫びました。
「落ち着いてニーナ、吸血したからって吸血鬼になるわけじゃない。僕は母さんを助けたいだけなんだ!」
ニーナはユーリの話が終わるのを待たずに、慌てて部屋を飛び出しました。


㉘悲鳴 9/23 11:17

「きゃあああああ!」
部屋を出ていったばかりのニーナの悲鳴が聞こえ、ユーリは急いで廊下に出ました。
「父さん! ニーナを離して!」
「なぜ人間の娘がこの館にいるんだ」
マントを着た男がニーナの首を片手でつかみ上げています。
「夜中に森の中で倒れてたから、それで部屋に入れてあげたんだ!」
「ふん、ならちょうどいい。早く拘束してエミリーに吸血させろ」
ユーリの父はニーナを掴む手により一層力を込めます。
「母さんは嫌がっている人間の血なんて絶対に飲まない! それはもともと人間だった父さんが一番よくわかってるだろ!」
「じゃあどうする、誰が自ら吸血鬼に血を差し出すというのだ。お前はエミリーを見殺しにしたいのか」
ユーリの父は手を離し、ニーナは床にうずくまります。
「ニーナ! ……父さん、もう少しだけ僕に時間をください。ニーナともう一度ちゃんと話がしたいんだ」
そう言ってユーリは、深く頭を下げました。
「……今夜の12時までだ、もしそれまでにその娘を説得できなければ私がエミリーのもとへ連れて行く」
その言葉を聞いたあと、ニーナは意識を失ってしまいました。


㉙心の中 9/24 19:28

「そうだったんだね……、でも、ニーナが無事で本当に良かったよ」
月明かりに伸びるニーナの影を見ながら、ルイはそう言いました。
「ユーリのお母さん、死んじゃうのかな……」
「気にすることないよ、そんなの。だって相手は吸血鬼じゃないか」
「でも……」
「ニーナ、あいつらは化け物だ。それに君を傷つけたような奴らに対して、心を痛める必要ないよ」
ルイはニーナの為に、突き放すような冷たい言い方をしました。
「……ユーリはわたしの手当てをしてくれたし、この銀時計も見つけてくれた。それに、無理やり吸血させようとはしなかったわ」
ニーナは小さな声で呟くように言います。
「それは、そうかもしれないけど……」
「ユーリはただ、お母さんを助けたかっただけなんだと思う」
少しの沈黙のあと、ニーナは抱えていた想いを打ち明けました。
「わたしね、お母さんが倒れるまで病気だなんて気付かなかったの。それで、結局亡くなるまでなんにもしてあげられなかった。もっと早く気付いていれば何かできたかもしれない、もしかしたらお母さんは今も生きていたかもしれない。そう思うと今でも苦しい……」
ニーナの目には再び涙が浮かんでいました。

「もし救える命があるなら、たとえ吸血鬼でもわたしは助けたい」
「……僕はこれ以上、君を危険な目に合わせたくないんだよ」
ルイは決心が鈍らないように、目を合わせずにそう言いました。
「きっと今助けに行かなかったら、後悔したままの自分から変われない気がするの」
「……なら僕も一緒に行くよ、エミリーを助けるなら僕が吸血を受ける」
「ダメ! これ以上ルイには迷惑をかけたくないの」
「迷惑って、そうやって心配をかけるのが一番の迷惑なんだよ」
二人の間に再び沈黙が流れたあと、ニーナは話し始めます。
「……ねえルイ、わたし知ってるよ。アンから誘われた海外調査の手伝いを断ったこと。それって、お母さんからわたしのことをよろしくって頼まれたからだよね」
ルイはニーナの言葉にはっと驚きました。
「そんなの気にしなくていいのに、だってルイ、『あの日の星空』のこと、まだずっと調べてるんでしょ? いつかは海外に行って研究したいって昔から言ってたよね」
ルイはニーナの言葉に何も言い返せません。
「本当はね、アンの家にお願いしに行ってたの。やっぱりルイも一緒に連れて行って欲しいって。……ルイにはもっと、自分のことを大切にしてほしいの」
ニーナの言葉にルイが答えようとしたそのとき、公園の外から声がしました。


㉚調査 9/24 19:40

「ルイ、こんなところで何をしてるんだ」
声の方に目を向けると、何人かの部下を連れたルイの父が車から顔を出しています。
「父さんこそ、こんな時間に仕事?」
「ああ、警察から奇妙な連絡を受けてな。住民が森の奥にある洋館に近づかないようにして欲しいと」
その言葉を聞いてルイとニーナは顔を見合わせました。
「頑なに理由を話さないから、町長として確認することにしたんだ」
ルイの父はそう言いながら、時計を確認しました。
「町長、遅くならないうちに行きましょう」
「父さん待って!」
ルイはとっさに叫びました。
「……ニーナ、僕が父さんと話をして引き留めるから、君はメイムの館に行くんだ」
「うん!」
「必ず、必ず無事に帰ってくるんだ。約束だよ」


㉛館の裏庭 9/24 18:20

ユーリは館の裏で手を合わせ、目をつぶりました。
「あなたの血をいただきます」
迷霧の館に住む吸血鬼は、オーキの森で見つけた死体の血を貰って暮らしています。この森は、一部では有名な自殺の名所となっている為、食料がなくて困ることは滅多にありませんでした。
ユーリは夜な夜な森で死体を探しては、見つけた死体を館へ持ち帰って血抜きをします。そして今日の様に館の裏に埋葬しては、感謝の祈りをささげているのです。
「もっと、もっと血を集めないと」
ユーリはシャベルを片付けて館へと戻りました。


㉜書斎 9/24 19:01

ユーリが館に戻り階段を上がると、赤い扉の部屋から物音が聞こえてきました。書斎であるその部屋はもう何年も使われていなかったので、ユーリは不思議に思い中をのぞきます。
「父さん、何してるの?」
「……ユーリか、少し調べ物をしていただけだ」
ジョーは手に持っていた吸血鬼についての古い学問書を閉じました。
「どうやらあの警棒は、トネリコの木でできていたみたいだ。きっとこれも用心深いハイド警部の仕業だろう」
「父さん、まだ傷が痛むだろう、安静にしていないと」
「こんなものエミリーの傷に比べれば大したことはない」
ジョーは先月の奇襲を思い出し、苛立ちを含んだ声で言います。
「エミリーを襲った聖水の雨、あれは事故ではなく確かに人間からの攻撃だった。現にハイド警部とはあの日を境に連絡もつかず、物資の供給も完全に止まっている」
ユーリは普段優しいハイド警部が裏切ったことを、未だに信じられずにいました。
「これで契約は完全に破綻した。そう遠くないうちに再び人間との戦いが起こるだろう」
ジョーは金庫の扉を開き、中から大きな革のトランクを取り出しました。
「ユーリ、こっちへ来なさい。今からお前に大切な話をする」
張り詰めた声に従って近づくと、ジョーはゆっくりとトランクを開きました。緊張した面持ちで見つめていたユーリは、その中を見て思わず困惑した表情を浮かべます。

トランクの中に入っていたのは、敷き詰められた藁と20センチほどの大きさをした卵でした。
「……父さん、これは?」
「龍の卵だ、エミリーの一族はこれをずっと大切に守ってきた」 
ユーリは父の表情から、これから語られる話は一言一句聞き逃してはいけないものだと感じました。
「吸血鬼の始祖であるドラキュラの父はドラゴン公と呼ばれる男だった。しかし、彼の本当の正体は人の姿を偽った龍だったと言われている。人間と結ばれた彼は多くの子を持ったが、その最後の子だけはなぜか卵で生まれ、いまだに孵化していない」
ジョーは卵を持ち上げてユーリに手渡します。
「この卵が孵化したとき、人間と吸血鬼の関係は大きく変わるとされている。そしてその儀式に立ち会えるのは、貴族の血を継ぐ者だけだ。……エミリーはもう長くない、これからはお前が守るんだ。これには種族としての未来がかかっている」
突然の話に困惑したユーリが何も答えられずにいると、外からドアがノックされました。
「入れ」
カチューシャをしたメイド姿の侍女が部屋へ入りお辞儀をします。
「ユーリ様、エミリー様がお呼びです」
「……わかった、すぐに行くよ」
ユーリは龍の卵と呼ばれるそれを、そっとトランクに戻し部屋を出ました。


㉝エミリー 9/24 19:57

「ユーリ」
「母さん、起き上がらないで。体調はどう?」
「大丈夫よ、ありがとう」
エミリーは気丈に振る舞いますが、その姿は日に日に華奢になっていました。
「ハイド警部から何か連絡は?」
「……ううん、電話をしてもつながらないんだ」
ユーリは申し訳なさそうに答えました。エミリーはそんなユーリの頬に手を当てながら、優しい笑顔で言います。
「ユーリ、あなたは決して人間を憎んではだめよ。もし私が死んだとしてもハイド警部を責めないで。彼にだって、きっと立場や守らないといけないものがあってのことよ。それに、彼はあなたが生まれる何年も前からこの館にいろんなものを届けてくれたわ」
「母さん、死ぬなんて言わないでよ。僕がまたいっぱい血を集めてくるから」
「……ごめんね、思っている以上に傷が深いみたいで、死体の血ではもうだめなのよ。ただ命をつなぐだけで、元気にはなれないみたい」
エミリーは深くせき込みました。
「僕が血を分けてくれる人間を探してくるから! だから、だからそれまで……」
「ユーリ、私たち吸血鬼を受け入れてくれる人間はそう多くはないわ。血を渡すというのは、人間にとってすごく勇気がいることなのよ」
「でも、それじゃあ母さんが……」
ユーリは何もしてあげられないことへの悲しさと無力さで、胸が詰まりました。

「いいのよ、もう150年も生きたんだもの。でも、もし最後に願いが叶うならもう一度レナに絵を描いてもらいたかったわ。大きくなったユーリと一緒にね」
ユーリは母の部屋に掛けられた絵を見て言いました。
「たしか、レナさんって母さんの横に描かれているひとだよね?」
「ええ、ジョーが唯一館への出入りを許した人間よ」
「父さんが? 信じられないな」
「私たちにとってね、絵は特別な存在なのよ。吸血鬼はとっても長生きできるけど、鏡にも写真にもうつらないでしょ。だから、自分や家族の思い出を残すには絵が必要なの」
ユーリは緑の扉の部屋にいくつかの絵が飾られていたことを思い出しました。
「もしかしてあの空き部屋、昔はレナさんのアトリエだったの?」
「そうよ、今でも描いてもらった沢山の絵を保存してあるの。私たち家族の想い出が詰まった、アルバムみたいな部屋ね」
エミリーはレナに絵を描いてもらったときに、初めて自分の顔を知ったことを懐かしそうに話しました。
「母さんとレナさんは、本当に仲が良かったんだね」
「ええ、そうよ。彼女は本当に私たちに良くしてくれたわ。生前はよく館に遊びに来て、血を分けてくれていたの」
エミリーの言葉のあと、館の中からユーリのことを呼ぶ少女の声が聞こえました。


㉞約束 9/24 20:20

「母さん、少し待ってて!」
ユーリはその声がニーナのものだとわかり、部屋から飛び出し階段を駆け下ります。
「ニーナ!」
「ユーリ! ごめんなさい、わたしあのとき」
「いいんだ、でもそれより何で」
ニーナはポケットから銀時計を取り出しました。
「この銀時計、ユーリが見つけてくれたんだよね。わたし、やっぱりあなたのお母さんを助けたいと思ったの」
ユーリは喜びと驚きのあまり、上手く言葉が出てきません。
「……本当に、本当に血を分けてくれるの?」
「うん、でも約束して、ちゃんとわたしを無事に家に帰してくれるって。友達とそう約束してきたの」
そう言ったニーナの顔にはもう、吸血鬼を恐れている様子はありませんでした。
「うん、約束する。絶対に守るよ」
ユーリはニーナの手を引いて、急いでエミリーの部屋へ向かいました。


㉟母親 9/24 20:28

「母さん! 母さんを助けてくれるひとがいるんだ」
ユーリの後に続いて、ニーナも部屋に入ります。ベッドに腰掛けるエミリーの姿は儚げで美しく、ニーナは思わず息を止めて見つめました。
「……ニーナ?」
「えっ?」
ニーナは突然エミリーに名前を呼ばれて驚きました。
「母さん、どうして名前を知ってるの?」
「……わからない。でも、なぜかわかるの。それに、すごく懐かしい気持ち」
エミリーの目からは無意識に涙が流れていました。ニーナは何が起きているのかわからないまま、困惑した様子でエミリーを見つめます。そして、ベッドの近くに飾られた一枚の絵に気が付いてさらに驚きました。絵の中にエミリーと並んで、記憶の中のあるひとが描かれていたからです。
「このひと、お母さんそっくり……」
ユーリはその瞬間すべてを悟りました。
「ニーナ、もしかして君のお母さんの名前はレナじゃないかい?」
「えっ! なんでユーリが知っているの」
「どうやら僕の母さんとニーナのお母さんは友達だったみたいだよ」
驚くニーナをエミリーは嬉しそうに見つめました。
「その銀時計、あなた本当にレナの娘なのね」
「……お母さんを知っているんですね」

エミリーはレナとの出会いについて、絵について、そして血を分けてくれていたことについて、少しずつゆっくりとニーナに話しました。
「でも、どうしてあなたの名前がわかったのかしら」
「たぶん、エミリーさんの中にお母さんがまだ生きているんだと思います。わたしもなぜか部屋に入ったとき、泣き出しそうなくらい懐かしい気持ちになったんです」
そう言うニーナは、目に涙を浮かべながら微笑みました。
「エミリーさんお願いです。わたしの血で、これからも一緒にお母さんと生きてください」
エミリーはニーナを強く抱きしめて耳もとで言いました。
「ニーナ、ありがとう」


㊱出発 1986/3/28 11:03

「ルイ、本当に行っちゃうのね」
「永遠の別れじゃないんだから、そんな顔しないでよアリサ」
海外調査にルイが向かう日、みんなは駅まで見送りに来ていました。
「これ、安全祈願のお守り。絶対無事に帰ってきてね!」
「エマはいつも心配性だな、でもありがとう」
「それにしてもニーナ、こんな日に遅刻するなんてな」
ジョージはそう言ってあたりを見渡しました。もうすぐルイが乗る列車が来るというのに、ニーナの姿はまだありません。
「……ニーナにもよろしく伝えておいてよ」
ルイは少しだけ寂しげにそう言いました。

いよいよルイの乗る列車が到着し、3人と別れの挨拶を交わしていると遠くから名前を呼ぶ声が聞こえました。
「ルイー! ルイー!」
名前を呼びながらこちらに駆け寄るニーナに、4人は安堵の表情を浮かべます。
「よかった間に合って!」
「ニーナ、来てくれてありがとう」
「ルイに渡すもの悩んでたら、つい遅くなっちゃった」
そう言ってニーナはポケットから形見の銀時計を取り出しました。
「これ、持って行って! ずっと考えてたんだけど、やっぱりこれにしようと思って」
「でもこれはニーナのお母さんの…… 」
「そう、わたしにとってすごく大切なもの。だから、いつかちゃんと返しに来て!」
ルイはニーナの言葉に驚きました。
「だってルイ、こうでもしないとすぐに無茶するんだもん」
「……わかった、必ず返しに来るよ。それまで大切に預かっておくね」
「うん!」

駅に発車のベルが鳴り響きます。
「それじゃあみんな、行ってくるね」
ルイの乗車後すぐに扉は締まり、小さくなっていく列車に向かってみんなは大きく手を振りました。


アタッチタウンの森の奥には、霧のかかった古い大きな館がありました。その館にはかつて、魔物が棲んでいたと言われております。今では魔物の言い伝えを信じるひとはほとんどいませんが、彼らはたしかに実在していました。そして今もきっと、この世界のどこかでひっそりと暮らしているのです。




TWOROOMS主題歌 「katachi」
Artist/Peter Clearwater (Monkey In Yellow)
https://youtu.be/l3ZCbkNtOAA

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