#もしおじいちゃんのSNSがあったら
Facebookの設定に『追悼アカウントの設定』が出来ているのをご存知でしょうか。(設定>一般>一般アカウントの設定欄)
私がとてもお慕いしている人のツイート
で知ったのですが、そういえばこんなドラマあったよね!と『dele』を思い出し、
先日"エンディング後のSNS問題"と題して初スペース!であーだこーだトークをしてみたのでした。
▼もし自分が今突然この世を去ったら、SNSアカウントはどうなる?
・アカウントの主の生死はSNS運営側は分かりようがないので、誰かが消さない限り残るよねぇ。
・誰かが自分のアカウントに入って動かせば、もし亡くなっていても生きているように見えるねぇ。
・SNSがあたかも人格を持っているようだわ。
・それはそれで怖いかも。
・でも誰かが消さない限り残るわけで、もし親が自分のSNSアカウントを見るとしたら、それはそれで恥ずかしいなぁ。
・でも、もはや今の時代ネット上に色んな情報があるし消しきれない、死後もずっと残るのだろうか。(登録だけして使っていないWEBサービスやら、使っていたけど使わなくなったサービスとか…〇ッチングアプリ情報とか恥ずかしすぎるぞ。)
FacebookやTwitterは、今や頻繁に更新しているわけで、色んな日常や非日常、考えや想いを綴っている。それはまるで、昔ノートに書いていた自分だけの"日記"を、書いては道端に落としているような、親や子ども(がいるなら子どももいつか)見るってことですよね。
▼これからの"追悼"って。
トークの中で、"墓クラウド"なるものの話になりまして。
これからの時代、物理的なお墓にリアルに集合するのではなく、クラウド上にお墓が出来て、世界中どこにいてもバーチャルでお墓参りができるようになっていくのではと。
その方が、いつでも気軽に集まることができるし、画面上に故人の写真や動画が出てきて、zoomで集まった人がおしゃべりができて、となると"故人を想う"こととしては、より深くできるとも考えられるかもしれない。
▼SNSアカウントがお墓になるかも?
"故人をしのぶ場"がリアルなお墓参りだけではないとすると、そしてSNSアカウントが死後もずっと残っているとすると、そのSNSアカウント(ここでの想定は実名で使っているFacebookイメージ)がそのままその人のお墓代わりになっていくんじゃない!?
なんて妄想トークに。
今後もSNSは使い続けていくであろうことを考えると、何十年後かには、今Facebookを使っている方々も死を迎える人が多くなっていく。
「今日は〇〇さんの誕生日です」とお知らせが出るように、「今日は〇〇さんの命日です」と出るようになるかもしれない。
でもSNSアカウントがあれば、その人のことは思い出しやすくなる。写真も、過去どんなことを考えていたのかも読み返すことができるし、「過去のこの日の思い出」が出てくるように、一緒にタグ付けした写真と思い出はより鮮明に思い出されるはず。そしてその人に話しかけるように、投稿にコメントもできる。
遠く離れていると、お葬式やお墓にはいくことができないことも多いけれど、SNSアカウントにならアクセスしやすいし、より深くその故人に想いを馳せることができるんじゃないかなぁ。
▼自分のSNSが残るのは恥ずかしいけれど。
今私のSNSは親は知らない(はず)で、もし仮に私が先に亡くなってしまってSNSアカウントが残りいつか親が見たらと思うと、結構恥ずかしい。
でも、自分のものは消したい…と思うものの、もし自分の親がSNSをしていたら、残しておいてほしいし大切な人たちのSNSアカウントはずっと見ていたい。
特に今20代~40代で子どもがいる人たちは、日頃SNSに綴っている家族への想いや愛溢れる写真をいつか子どもが見ることになる。自分が消さない限りきっと半永久的に残っていて、子どもや孫たちが見ることになっていくのだろう。
亡くなった後だけではなくて生きている間も、全部が全部直接言葉で伝えられるわけではないし話せる時間も限られている。
でもSNSに綴っていたものがずっと残るとなると、親がどんな風に自分のことを想ってくれていたのか、どんなことを考えて日々過ごしていたのか、どれだけ自分が愛されていたのか、垣間見ることができるなんて、とても素敵。
▼もしおじいちゃんのSNSがあったら
今回こんなトークをしている中で、ふと思ったこと。
もしも、6年前に亡くなった大好きなおじいちゃんのSNSがあったなら。
野球少年から、高専ではバスケ部だったというおじいちゃんの学生時代はどんな思い出なんだろう。
戦争に行っていたおじいちゃんが、どんな思いで生き抜いたんだろう。
戦後おばあちゃんとどんな結婚生活だったんだろう。
自分で事業を起こして、3人の子どもを育て、どんなことを日々考えていたんだろう。
そして5人の孫と2人のひ孫を手に抱いて、本当に愛情たっぷり可愛がってくれていた時はどんな気持ちだったんだろう。
もしおじいちゃんのSNSがあったなら、私は毎日でもいつまででも見ていたいし、そのアカウントはいつまででも大切にしたい。
(写真は、子どもの頃よくおじいちゃんに連れて行ってもらった甲子園)
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