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田中家物語「ちいさいおうち」京都版

古材文化の会には、『見守るネット』という歴史を重ねてきた建物の所有者に寄り添い、所有者と一緒に課題に向き合うマネージャーや専門家のネットワークがあります。マネージャーの原田純子さんに田中家についてご紹介いただきます。

 住宅の調査ではお家にまつわる由緒や近辺の歴史、建物の特徴を文章化します。所有者さんとフィードバックを繰り返すなか、お家の価値を再認識してもらうことにもなり、調査者もいつのまにか遠い親戚のような感覚になります。そんな調査で始まったやりとりから『見守るネット』につながったかと、今更ながら思います。 七条通と高倉通の辻にたつ『田中家住宅』もそんなお家の一つです。周りの街なみがどんなに変わっていっても、毅然と立つ京町家は、名作絵本バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』の京都版のようでもあります。

小さいおうち

▲『ちいさなおうち』バージニア・リー・バートン(岩波書店)

 江戸時代、田中家は、前は「内浜」裏は「御土居」と地の利を活かして洛中で商売をしてきました。「内浜」とは、高瀬川最大の舟入で、長さ280メートル、幅7メートル七条通北側の歩道部分が運河でした。淀川からの荷物の荷揚場で物流の大動脈、船の溜まり場でもあり、貯木場でもあり、血気盛んな男たちでいつも賑わう町でした。

 そんなある日、町中が、どんどん焼けに見舞われます。東本願寺始め北の空から火の粉が舞う中、田中家は、内浜のおかげでかろうじて焼け残ります。火事が収まるや復興の担い手だったでしょう。特に東本願寺さんの再建には、当家所有の敷地(現在、京都ヨドバシカメラ敷地の一部)を、各地から寄進された材木などの資材置き場として差し出します。 

田中家周辺地図


 明治に入り、京都市はがんばりました。明治28年第4回内国勧業博覧会開催に合わせ、路面電車を走らせます。田中家の前は、物流から交通の大動脈に様変わり、特に辻を電車が曲がるため、敷地の隅切りを余儀なくされ、建て替えたのが今の主屋です。新築に際し、東本願寺からは、お礼にとさまざまな物品が下賜されました。紫檀、タガヤサン、屋久杉など貴重な銘木の数々が田中家の主屋の随所に現存します。

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▲高倉通りからaotake(ハナレ)を見る

床の間

▲aotake店内。北側にむかって狭くなる床の間(ハナレの西側)

 その後も街の発展と共に、電車の軌道の幅も広くなり、更に道も広げるため、再び明治44年敷地を供出します。長方形の敷地が台形に、主屋を南東に曳家して引っ込めたため、西側がいびつな形で残りました。翌大正元年、通りに沿って2階建借家を向え合わせに2軒建てます。極小住宅でもここは京都、浅くとも床の間はかかせません。壁も道に沿わせ斜めにしてでも飾る空間を確保、また向え合わせにすることで洗い場等にもなる2軒共有の前庭を設け、通りから塀と門で閉じました。

 今は、aotake茶寮が入る北側の借家のみ残り、南側の借家は解体され駐車場になっています。小さな借家に不釣り合いにも思える風情ある前庭と門と塀は、庶民の暮らしを電車や往来の人の目に晒さないための粋な計らいでした。

文:見守る部会・原田 純子

──『古材文化』Vol.154(2021.1.1発行)より 一部加筆あり

※田中家は通常非公開です。ハナレの『aotake』は、店主選りすぐりの紅茶、日本茶がいただける茶寮として営業しています。営業日などはaotakeのホームページでご確認ください。

43軒ものおすすめの古民家カフェを紹介する書籍『京都 古民家カフェ日和』(株式会社世界文化社発行・発売、税込1,650円)では、素敵な写真とともにaotakeが紹介されています。京都に来られた際には本を片手にaotakeにお越しください。