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コミュ障が10年ぶりに美容室に行った話

私が東京に出てきたのは10年ほど前。
それまで髪関係は知り合いの理容室で色々お世話になっていた。

東京に出てきてから、知っているところもなければ知り合いも居ない、もちろんネットという口コミや情報をくれる手段に頼ることは出来るわけだけれど、口コミは口コミであって必ずしも私に合うかどうかはわからないし、情報を頼りに見つけたところでまず『予約する』というハードルが私の手を止めた。

適当なところに行ってみる、というスキルも無い。そう、リアルに人と関わることが極度に苦手なのだ。

髪は放っておけば伸びる。伸びる上に私の髪は剛毛で、しかも多い。伸びるだけなら括れば良いのだけれど、洗うのも乾かすのも正直面倒くさい。その面倒くさいを抑えてまで、美容室を探し予約するというただそれだけのことに踏み出せないまま10年の月日が過ぎた。

途中1度子どもの頭をバリカンで刈るついでにアタッチメントを使い自分の頭の毛量も削いで減らしてみたことがある。軽くなって良かったけれど、自己流のツケは妙な段差となって残ったので次は無かった。そしてそれが原因で、美容室に踏み出す気持ちが更に萎えた。

世の中に美容室は山ほどあって、きっとウチに来て欲しいって言ってくれるところはありそうだよね、なんて思いながら検索をする、ということは何度かやった。しかしいつもそこまでだった。出てくる美容室を1つずつチェックするたび疲れてしまったし、どこもここだという決め手に欠けた。

諦めたところで髪が伸びるだけで、そこまで酷い実害も無い。なんとなく、髪が伸びるのと同時にずるずると先延ばしだった。

まあロングは嫌いじゃない。学生の頃もロングだった。背が小さいのでショートの方が似合ったかもしれないが、アレンジのきくロングを楽しんでいた。

しかし加齢というものは薄情で、ここ最近、頭のてっぺんに白いものが増え始めた。年齢とともに増えるものでありおかしなことではないのだが、ふ、と思った。

ちゃんとしたい。

ちゃんとしたところでちゃんとやってほしい。

また検索をする。検索をしながら、自分はどういうところでやりたいのかと自分に問う。チェーン店など、大きなお店は入りやすそうだけれど、スタイリストのなんちゃらとかさっぱりわからない上に、ただでさえ新しい人間関係の開拓に精神を削ぐのに次から次へと現れるスタイリストやスタッフとか、きっと精神的に耐えきれない。多過ぎて倒せない。(倒す必要はない)

小ぢんまりした個人経営のお店に狙いを絞った。タイマンなら倒せるかもしれない。(倒す必要はない)美容室破りさながらの検索は続く。

予約の電話とか無理じゃん?内から自分自身の声がする。あぁそういえば、今時はネット予約なんていう素晴らしいものがあったはず。とりあえず大手のアプリを落とし、更に検索を続ける。現在地から探す検索に、目と心に止まったお店があった。

近い…!

個人経営…!

素敵な雰囲気…!

直感を信じた。無意識に予約の空きを探していて、うまいこと今日の昼に時間が取れた。

予約してしまえばこっちのものである。行くだけだ。行ってしまえば後は野となれ山となれ、煮るなり焼くなり好きにしてくれ。うまくいかないかもしれないが、何かしらの結果は残せるはずだ。

いざ行かん。世界征服だ。(世界が狭い)

予約の時間には早めに着かないと気が済まないタイプなので少し早めに出る。しかし早く着きすぎて嫌われるのも嫌である。10分前くらいならいいだろうか、どうだろうか、途中のベンチでTwitter友のエールを確認しつつ、恋かというくらいドキドキの道を歩く。時々利用するバス停の近くにその店はあるのだが、隣にいい感じに小汚い(褒めてる)中華料理店があるため美容室だということに今まで気付いていなかった。

今までごめん、ラーメンしか見えてなくて。

花より団子、美容よりラーメン、そんな自分に喝を入れ、ラーメンを素通りしガラス越しに先客の見えるお店のドアを開く。

こんにちは…あの…予約…した…消え入りそうな声を出しながら目を合わす。物腰の柔らかい、笑顔の店主が挨拶とこちらで座ってお待ちくださいねと案内をしてくれた。

小ぢんまりしたスペースで手作り品の物販なども見つつ、震える手でTwitterを開く。何してんだこんな時もTwitterかい。うん、安定剤のようなものだ。フォロワーの友が励ましてくれている。うん、が、が、が、頑張るよわたし。

程なく空いている方の席に案内された。少しどういう感じにしたいかの話をしつつ、緊張をほぐされていく。…あれ?話しやすいかも?上部の話しやすさアピールじゃなくて、この人とは話しやすいという感じが滲み出ている。そりゃ向こうはプロだからお客の気持ちに寄り添うのは得意なのかもしれないけれど、話し下手な私にしっかりと寄せてきてくれる。ああ、これは…

一旦打ち解けてしまうと私のターンである。
決して自分から話題を振ることはないが、聞かれたことにはここぞとばかりに気持ちを放出する。出来ればここまで来たからには望みの叶った形に持っていきたい。少ない語彙力で、しかしノープランな部分については相談するというスキルも駆使し頑張ってみた。

私の過去の失敗段差のことも考慮に入れて、更にくせっ毛を生かすことも考えてプランを上げてくれる。

真摯に具体的に提案してくれる姿に、この人の勧めるものなら大丈夫ではなかろうか、良いんじゃないだろうか、という気持ちになる。美容室に行く勇気が無かった頃は、誰かどこかの美容師が私を拐って勝手にいい感じにしてくれないだろうか…などと思っていたりもしたのだが、そうか、やはり人間話し合えばいいのか、話し合えばいい感じがやってくるのか…と期待が高まる。そんな時、この一言が私にとどめを刺した。

「可愛くしますからね!」

言っておくが私はアラフィフの域に入ったおばちゃんである。そして中身はおじちゃんである。そんなおばちゃんの皮をかぶった私に可愛くしますなんて、何このひと素敵、おじちゃんときめいちゃう。(乙女)

この時点で既に、もう一生ここでやってもらおうと決めた。腕より何よりまず関係だ。ここならリピートしたい。次も来れる。

補足すればもちろん腕も確かで、コミュ障の距離感に踏み込み過ぎない話しかけ具合、しかし気持ちの引き出しをすっと開けてくれるような話の運び、何よりふわっとして優しい感じの佇まいに、気付けば自分はこういうのが苦手でやっとここまで来ました、と泣きながら話してしまっていた。やり遂げた感に負けた。やだ恥ずかしい。

髪を切られながら泣いているし止められない自分が恥ずかしくて、何度も謝ってしまった。謝りながら、でもここ気に入りました、ここに来れてよかった、と話していた。いい歳してこんなところで泣けてしまうなんてという気持ちが大きかったけれど、やっとここまで来れてよかったですね、私もそんな風に言ってもらえて嬉しいです、という温かい受け止めと言葉に涙腺暴走で、恥ずかしいけれどやっぱりここが好きになっちゃったなと思った。

他人に頭をいじってもらうってこんなに気持ちよかったっけ、ってシャンプーされながら寝てしまうくらい癒しの時間だった。なかなか踏み出せなかったことにようやく踏み出して、こういう時間って必要なんだな、と再確認した。

私はもうすぐもうひとつ歳をとるけれど、私の中のおじちゃんに芽生えた乙女も成長しそうな、そんな気配だ。いろんなことから遠ざかってきたけれど、小綺麗にするということは自分の前に道が開けるということかもしれない。外観よりも内面を磨きたいと常々思っているけれど、外観を磨くことも自分の世界を広げる助けになってくれるのだなと、あまりにも遅くやってきた気付きに自分に苦笑しながらも、久しぶりに軽くなった頭でこれから少しずつ乙女を楽しんでみても良いのかもしれない、なんて思ったりしている。

ま、中身はおじちゃんだけどな。

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