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ゆるゆる参ろう

わたしが定期的に陥るネガティブにはきちんと病名がある。鬱とパニック障害を寛解まで持ち込んでいるわたしではあるが、この件で心療内科にかかったことはないけれど、ここ数年でその病名を知り、きちんと調べたらあまりにも内容がヒットするのでそれなんだろうなと思っている。

最近またこの症状が出てきて、何故こうなんだろう、どうしたらいいんだろう、と検索してみた。

わたしの故郷の町のメンタルクリニックがページのいちばんに出てきて、すごく驚いた。検索でトップに出てくるほど凄いところなのかな。気になってしっかり読み込んだ。途中あまりにも該当することが記載してあり、泣きながら読んだ。

鬱は故郷にいる時のことだけれど、メンタルクリニックみたいなところは当時ほぼ無くて、大きな病院の精神科もしくは開業でひとつある心療内科くらいしか行けるところが無かった。今は選択肢も増えたのかもしれない。鬱の原因から離れるために自分の持っていたもののほぼ全てを手離して出てきてから、もう10年以上帰っていない。良いメンタルクリニックができたなら喜ばしいことだ。

内容を読み込んで、深呼吸した。

こうなった原因、とってしまう行動、どう対処していくか。

わたしのことが書いてあるのかと思うくらい原因の内容については心当たりがあった。
とってしまう行動に関しては、あまりにもわかりすぎて、胸が痛んだ。若い頃にそれで散々悲しい思いをして痛い思いもしたしとても傷付いたし、そこから学ぶことがとても多かった。時間をかけて実体験ででも学習したので、自分なりに対処方法を考え抜いて、心を潰しながら解決策を会得してきたことたちがそこに並んでいた。

ここで、頑張ったなぁ、って自分を褒めた。
傷付いたからこそ何がダメだったかを考えて考えて試行錯誤してきたことたちは、今のわたしを守っている。誰かの負担になったり迷惑をかけたくないからこそこれはダメだと自制できた感情は、結果自分も守ることになる。

でも、根本的に抱えているからこそ繰り返すんだなぁ、自分でどこまで変えていけるかなぁ、そこに向き合ったとき、内容として挙げられていたものの中に、自分を自分で愛していくこと、があった。歯をぐっと食いしばった。そこ、足りてないんだな。頑張ってきたつもりだけど、足りてないんだな。愛するほど自信を持てたり信頼を置いたりという部分、足りていないんだな。

すぐに解決できるわけではないけれど、気付くことは大切だ。

こんなひと、いやだよね。
わたしなんて、ダメだよね。

ずっと、消えない。これが、消えない。
でも、そこに負けたくなくて。
ここを横に置きながらまた試行錯誤していくんだろうなぁって、ちょっと思った。ってことをツイートしようとしたらどう考えても140字にまとめられなくて。note案件だなぁって。久しぶりに書いた。

大切な人の負担になったり迷惑をかけてしまうことはなるべく避けたいので扉を閉め気味な今ではあるけれど、半分開けた扉から気持ちを文字にして外に出してみる。

避けたいことも、結局なんだかんだで誰かの優しさに助けられているので、ありがたいなぁと思いながら。いつの間にか、誰かのお世話になっているのよね。優しさも、こういうわたしでも大切に扱ってくれたんだなと感じられることも、ありがたすぎて泣けてしまうのだけれど、それが自分で自分を愛せる材料にもなるのかなとも思えて。

また扉を開けられるように。
少しずつ頑張ってく。

まとまらないまま、つらつらと。

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