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イマココ

2週間に1度、体調と心の急降下がやってくる。いわゆる生理周期の影響なのだけど。

もう長い付き合いだし、あれ?なんかおかしいな?って思った時には、あー来たか、来たな、ととりあえず受け入れる。体調はその時によってまちまちだけど、心には自分で制御し切れない何かしらの波風が訪れる。排卵期の憂鬱は特に酷い。

誰かの些細な言葉が気にかかったり、態度をネガティブにしか受け止められなかったり、不安な気持ちが膨らんだり、急に泣けてきたり。

元々そういうタイプなのだけど、そこを立て直す力が消えてしまう、というのが正しいかもしれない。

不思議とイライラとかは無くて、誰かに当たるとかはしようとは思わないのだけど、どうしようもなく甘えたことを言いたくなったり甘えさせてくれる人を求めてしまいそうになったりする。でもそれって誰でもいいわけじゃないから、このままじゃ大事な人に迷惑をかけるかもしれないという理性は働いて、とりあえず気付いた時点で心のシャッターを閉める。

わたしなんかが

わたしみたいなやつが

シャッターの内側では自分の中にほとんど無い自己肯定感と強豪ネガティブ勢力が壮絶にバトルしていて、無い側は勝てなかったりするわけで。

遠い目をしてネガティブ勢勝利の宴に混じる。ここにいてはいけないが、抜け出す方法も知らなければその力も無い…ような気がする。さあ、どうしよう。どよんどよん。

黙ってやり過ごしていても周期的なものは過ぎてゆくのでなんとなく戻ることは出来るけれど、浸かっている事自体辛い。なるべく早く戻りたいのだ、底まで行けば戻れなくなるし、ネガティブ沼にハマり続けると思った以上に自分の全体に不具合が訪れる。そこを引きずらないために。

沼にハマると見えなくなるものがある。

ああ、もう沈んでしまう、ダメだ…と最後に天を仰ぎ見る。手を伸ばすとそこには光。光…を放つスマホ。

あった。そういえばあった。力が無くても抜け出す方法。

隙をついてネガティブをよく切り刻んで炒めるもよし、煮込むもよし、なんならカラッと揚げてしまおう。食えないものを料理する。ネガティブに味付けして、違う言葉に変換して笑いのタレで仕上げる。食べないけど、いわゆる『映え』た状態で渾身の一品を仕上げてみる。

それが、かつてあった一筆芸。だったり、魔法のiらんどだったり、デュオブログだったり、アメーバブログだったり、Twitterだったり、noteだったり。今はもう最後の2つしかやってないけれど、これだけあれば充分な場所。

ネガティブをネガティブのまま放り投げることがどれだけ周りに悪い印象を残すか、その影響で結果的にどれだけ自分の不安が増幅するか、というのは子供の頃に覚えた。

人前に出すなら、ちょっと笑ってもらえるように。

初めて携帯電話を手にして、初めて自分の言葉を世の中に投げかけられるようになってから、自分の中に一貫して持っている気持ち。

ネガティブをネガティブとして受け止めた上で、言葉を選ぶ、組み立てる、そこに更に手を入れる、という作業が自分の気持ちの立て直しに合っているのだろうなと思う。

インターネットのあるこの時代に生まれてよかったよね。と思えたらもう大丈夫。

同じこと何度も繰り返しているけれど、心の波は毎月変化球でくるから、この先もまたやるんだろう。懲りない。

この時代に生まれてよかったよねと思うし、今これを読んでくれてるあなたとのご縁にも、いっぱいいっぱい、ありがとうって思う。

まだ沼のほとりだけど、ここまで来れば大丈夫。

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