どん底とハードル

バザーは秋の行事であるが、家庭の不用品を集めて売る作業だけでなく保護者が協力し合い実用小物や玩具などの手作りの品も販売するため、作業は春から入らないと間に合わなかった。

保護者の協力と言っても強制ではなく出来る形で協力していただける方に…なのであるが、方向性を定め保護者に説明をし材料を集め協力をお願いし各自要請もアリ公民館などを借りて集まって貰う事もアリという手順を踏みつつ1学期のうちに完成を目指すので、前年までの流れをなぞりつつどんどん進めていく中ですぐにやってくる保護者会がクラス説明の場として適していた。

人前で話す。
人前で提案する。
協力のお願い。

苦手しかない。コミュ障かつママ友の居ない私にはそれは人見知りしながら行う苦行でしかない。ましてやバザーは人により温度差が大きいだろう。一緒に委員になった相棒も、頼りになる人ではあったが保護者会は他の用と被り欠席だったので1人で乗り切らねばならない。

工作と手芸はいつぶりだろうと手こずりながら、実物の見本があった方が分かりやすいかとファイルの情報読みと同時進行で寝る間も惜しんでせっせと手芸工作も進めた。元々嫌いではないが、全く得意分野でもない。なんとか形になったものと前年の情報のコピーなどを持ち保護者会に挑んだ。

その場で特に否定や誹謗中傷があったわけではない。
しかし1人1人の難しそうという軽い感想やちょっとした表情に、不安しかないままの心が存分に打ち砕かれた。今思えばそんなことでレベルの雰囲気に完全に潰されてしまった。不惑も過ぎたオバちゃんが帰宅して泣いた。更に翌日も泣いた。上手くやれなかったんじゃないか、ただでさえ知らない顔ばかりの中で、でも卒園までそれなりにやっていく関係なのに自分は失敗したのではないか。

自分の心の底に手をついて、完璧にやれるわけ無いじゃない、初めて、かつこれっきりの役割だもの、手探り目隠しでこれだけやった、今これだけ落ち込んでいるけれど、まだ始まってもいない。思い通りにいかなくても、次には行かなければならない。わからない中、自分の時間を全て捧げてここまで頑張ったのは嘘じゃないよ?進むしか無いし、落ち込んでいる暇だって本当は無い。切り替えないと次に行けないよ?

あまりにもやらなければならない作業が多過ぎて、ネガティブな自分に無意識の方向から生真面目な自分が首を突っ込んできた。そう、落ち込んで泣いている暇があったら1つでもファイルの情報を拾いたい。少しでも次の作業の準備をしたい。引き受けた事をやり遂げる事はもう決めている。たとえ上手く行かなくても。

この落ち込みは私のものとして認める。
消す事は不可能だが、この件でこのままモヤモヤしても発展性は無い。これは一旦、包装して忘れる。

勝手にネガティブになりそのネガティブを引き摺るタイプだったが、この時初めて成長の無いモヤモヤを一旦除けて切り替える事を自分のものにした。

どん底の気持ちを知った後は強かった。同じような事で落ち込みそうになっても、目の前にある問題に一気に優先順位をつけて無駄なネガティブを排除していけた。
委員など引き受けなければ、あの時長など引かなかったら、とネガティブなたらればにもお別れした。

自分の心が明るい方を向いていれば明るいところにあるものがよく見えてくる。
暗さも知っている上で、明るい方をたくさん見よう。
いちいち打たれ弱くてすぐ心のシャッターを閉める自分は卒業。ただしシャッターは半開きで行こう。弱さが完全に無くなるわけじゃないから。

大人しくひっそりと園で過ごしていた私に声をかけてくれる人が増え、必然の関係者も増えていった。互いの関係を大切にしていってくれる人ばかりで、私の頑ななコミュ障も少しずつ緩んでいった。

山のような手書きのTO DO リストに埋もれそうになりながら、時々、私ごはん食べたっけ?となりながら、横の繋がりが一気に増えよろしくやありがとうの言葉の中を掻き分けながら、前に前に突き進むため、半年はごめん、子どもは最優先だけど次にバザーだからと家族に家事他手抜き宣言をした。

やり遂げた先に、何があるか見てみよう。
どう足掻いてもこのゴールは半年先に確実にあるから。

ゴールの見える頑張りは結構やれるものなんですよ、と昔心療内科で聞いた言葉を何度も思い返していた。

#バザー

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