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斜め上の意識と、わんちゃん、そして共鳴のはなし

今日鍼の学校のともだちに
わたしの意識は斜め上にあり、
それを最近は中に仕舞えるようになった、
そしてそれが楽なんだっていう話をしていた。

それは自分にフォーカスするような感覚で
あるいは自分に共鳴する感覚なんだ、
それは鍼治療で治療者と患者の間にある
共鳴と同じなのかもしれなくて
それを自分自身とやっている。

するとともだちは
それって噛み癖があったりするわんちゃんと
同じなんだねっていう話をしてくれた。

そう、なかしまは噛み癖のあるわんちゃんなのでした。

噛み癖があったり落ち着かないわんちゃんは
重心が前にあり、前のめりなのだそうだ。
そして意識が斜め上に飛び出てしまっている。

だからそれを後ろに少し戻してあげる。
すると、はっと我に帰り、噛むのをやめて、
ともだちがこっちに来たら噛まなくていいんだと
別の場所を示す。
何回もそれを繰り返して慣れていく。
すると生き物は怠惰だから(と、ともだちはわらい)
そのほうが楽なのだとわんちゃんも気がついていく。
そして噛まなくても大丈夫なんだって
気がついていく。

そうなんだよ、楽なんだよなあ。
よくわかるわ〜。という話をしていた。


そのあと、共鳴について話をしていた。
ポツポツお互いに今までのことなど
話しながら、わたしとともだちが
似てはいるけど性質がぜんぜん違うのだなと
感じながら、話をしていた。

似ていると思う感覚はあやうい。
自分の経験に当てはめたりしてしまうし
わかったような気がしてしまう。

でももうそれもやめたい。
やめられるはずだ。

ただ聞く。そしてわからなければ
どういうことなのか聞く。
それを傾聴というのだよと、
習ったよねーと思いながら。

なんで二人してこんな話を
しているのかわからない、
でも大事な話をしているんだって
その感覚は二人にあり
丁寧に話をただして、ただ聞いていた。

そしたらあることが、
二人のあいだにあらわれて
それはともだちのくせについてだったのだけど
それがシリアスさのない、いいものだったから
わたしたちは少し興奮して
それについて何回もことばにした。

大袈裟かもしれないけど、
きぼうのようなそれが
あらわれたことがすごくうれしくて
なにもしないとこうなるって
そう思ってかえってきた。



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