広告入りアニメ

アニメの本編に広告が入っているタイプのものがあります

有名なのは
タイガー&バニー(略称タイバニ)というテレビアニメですね

あと最近では映画で
シティーハンターとか天気の子などでもこの手法が使われていました

しかし
映画ではたびたび使われるこの手法
テレビではタイバニ以降あまり使われた例がありません

実はテレビの場合
放送法の問題などで
本編に過剰に広告が入るのは都合が良くないのだそうです

そのためタイバニは大変ヒットしたにもかかわらず
続編が作りづらいと言われています

作品として素晴らしいタイバニが
こういった搦め手の部分で製作ができにくいとするなら
なんとも残念な話ですね


さて、ここからが本題なのですが
私は「映像作品に広告を入れる」という手法が好きではありません
完全に個人の意見ですけどね

その理由は
広告を入れることにより
作品のクオリティーが格段に下がるからです

これは私がマジシャンだから特に強く感じるのかもしれません
とにかく広告が入った「画(え)」は見映えが悪すぎるのです


私はマジシャンですから
観客の視線や視野にものすごく敏感です
マジックの現場は現実の場ですから
心理や行動の誘導で観客の視覚をコントロールしています
映像のようにカメラワークは使えませんし
ピントを合わせることもできません
これらの効果を全てディレクションという技術で行っています

ディレクションとは単純に言えば
「演者の意図しているものを観客に注目させる技術」
というものです

例えばマジシャンはあまり柄物の服を着ません
光り物のアクセサリーもあまりつけません
これらは見せたいものを見せる際にノイズになるからです

観客が余計なものを見ないように
テーブルにはマットを敷き
必要なものはその上に
不必要なものはマットから省くなどのこともしています

トランプマジックではそのタイミングで必要なカード以外は
極力伏せておきます
主役のカード以外が
表向きで置かれているなんて
生理的に受け付けません

とにかく
「作品として不必要なものが目に入る」
ということを徹底的に嫌うのです

これはマジシャン以外でも同じだと思います
漫画ではキャラクターをはっきり、背景は薄く描きます
写真でも対象以外はぼやかせます
小説でも不必要な描写は書きません

必要なものを強調し
余計なものは省く
というのが表現の基本です

しかし、広告を入れてしまうと
作品として全く重要ではないものを
しっかりはっきり描かなくてはいけなくなるのです
これが、表現としては大変雑味に見えるのです


私がこれを特に感じたのは「天気の子」と映画でした

これでは主人公の少年が家出をした理由を
彼が持っている1冊の本をハッキリ誇張して描くことで
「彼が家出をした理由は、この本に影響されたため」
ということをさりげなく示していました
大変高度で素晴らしい表現だと思います

しかし、別のシーンでは
カップ麺がとても鮮明に描かれ
それが画面一杯に示されていました
私はこのカップ麺も何か特別な意味があるのかと考えましたが
何のことはない
そのカップ麺が広告だったからです

つまり広告が入ることで
作品上全く関係ないものが強調されてしまうのです

もちろんこじつけで意味をつけることも出きるでしょうが
それこそ作品が広告によって歪められていると言えるでしょう

「天気の子」は映像の示し方が大変魅力的な作品です
雨粒1つとっても
近くの雨と遠くの雨で描き方を変える
くらいのこだわりがあります

それほど画に力を入れているのに
広告のせいで画の意味合いが崩れてしまうのは
大変気の毒です

特に後に代表作として語られるようなものが
作品としてマイナス効果を持つ表現を入れなければいけないというのは
表現者としてとても心苦しいのです

広告入り作品は予算がとりやすいというのはあるのでしょう
実際天気の子はその後ろ盾のおかげかとても綺麗な仕上がりになっています

しかし、やはり
限られた予算でもその中でベストが尽くされた作品の方が魅力的に感じます

けものフレンズ(たつき監督版)では
制作環境的に車のタイヤすら回っていませんでしたが
それでも冒頭の主人公たちの出会う部分の作画は素晴らしいものでした
作品とはそうあって欲しいのです

経済的な理由で悪手を行っているような作品は
なるべく見たくないなと
あくまで個人的に思いました

【チナミニ】

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