読解力は低下してる?

私はパフォーマーなので
「相手に伝わっているか?」
は常に意識するようにしているのですけど
ちょっと、読解力について考えてみました

まず、昔は文章というのはプロが書いたものだったのです
ほぼほぼ目に入る文章は
専門家によって整合性をもって書かれたものだったのです

小説などは無駄なことなど話されません
もし記されたのであれば、それは伏線です

とても綺麗に、分かりやすく、整えられた文章がプロの文です

でも現在
文章を書くのが必ずしも専門家ではなくなりました
ブログ、ツイッター、ネットニュースなど
構成も前提も全く関係なく書かれたものが氾濫しています


ある場面ではAが正しいと論じているのに
別の場面ではAは間違っているということもよくあります

別にこれ自体は悪いことではありません
そもそも人の考えなんて整合性が無い方が普通です

お金が欲しいと言うのに
働きたくないとか
政治に不満を言うのに
選挙にすらいかないとか
モテたいとか言っているのに
自分を磨こうとしないとか
平和が大切と言っているのに
人を攻撃するとか
まぁ、そんなものです

人が自分の考えをそのまま発信するならば
それは整合性が無い方が当たり前なのです


ここからがポイントなのですけど
世の中の文章の大半が全く整合性が無いものばかりであるならば
文章を読むときにどういうスタンスで読めば良いのでしょう?

文章に常に整合性があれば
前提を理解し、関係性を見つけて、文意を読み取る
ということに意味がありますが
整合性が無ければどんなに考えても支離滅裂です

つまり読解すること自体が
無意味になることが多くなるのです

そうなると人は
「この人はこの文で何を言いたいのだろう?」
というスタンスで読んでくれるでしょうか?

「この人のこの文で自分は何を感じるだろう?」
という読み方が優先されるのではないでしょうか?

文意を一生懸命汲み取っても結局破綻していて徒労に終わるのならば
自分の思考のきっかけにする方がよほど有意義です

人の意見の読み取りは間違いがありますが
自分が感じたことは間違いなく自分の考えであり
そこに徒労は無いからです

ツイッターがまさにそれです
「空が青い」
という文章を見て
「夕焼けは赤いです」
「海も青いですよ」
「白夜というものがありまして」
「そもそも空が青く見えるのは」
などのリプが多いのは
全部
「空が青い」
と言った人の気持ちなんか関係なく
「空が青い」
というきっかけで自分が何を思うか
を優先していると思うのです

そして次が第2のポイント

そもそも他者を読解することよりも
自分の意見を発信することの方が
楽しいと感じる
という部分があります

自己顕示欲や承認欲求という言葉ありますが
他者理解欲という言葉は余り聞きません

強いて言えば考察欲はあるのですが
考察欲は本質的には
「私はこう読み解いた!」
という自己顕示欲に近いものです

このように
同じ時間を費やすのならば
他者の理解に費やすよりも
自己表現に費やすほうが
合理的であり、欲求を満たせるのです

以前は自己表現をするためには
プロにならなければいけませんでした
そもそも他者にとって価値のある情報は
プロにしか扱えないものでした
発信をしたければプロに成るしか無い
そういうものだったのです

しかし現在は個人が容易に情報発信できるようになりました
こうなると人は
発信欲の方が高まるのではないでしょうか?

その結果何が起こるのか?
世の中に合理的でない文章が氾濫するのです

鶏が先か卵が先かはわかりません
駄文が増えたせいで読む価値が減り、その結果自己発信になったのか
自己発信が増えたから駄文が増えて、その結果読解価値が減ったのか
とにかく今の社会はこのような環境になっています

こう考えたとき
これは果たして読解ができない人を
読解力が無いと言えるのでしょうか?
実はそもそも環境的に、社会的に
文章というものが
「他者のメッセージを理解するもの」
ではなく
「自分が言いたいことを発するきっかけ」
と考えている人が
大多数を占めてきているのではないでしょうか?

実はこれ
表現者にとては地獄です
どんなに緻密に作り上げたメッセージも
そもそも相手は受け取る気が無いのかもしれないのです

美味しく食べてもらいたいと思って出した料理が
インスタ映えのためだけに消費されて
食べてすらもらえない

これと同じことが
表現にも言えるかもしれないのです

【チナミニ】

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