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亡くなった友だちを思い出す

 フェイスブックのメッセンジャーで、友だちからおかしなメッセージがきた。乗っ取られているとすぐに気づいて、「大丈夫?」と打ち返す。間もなく、「ごめん。その通りみたいだ。どうすればいいかな?」と返信があった。ITに詳しい共通の友人の名前をあげて「対処法、聞いてみなよ」とアドバイスした。それが、彼との最後のやりとりになった。

 ワーカホリックの彼が、体を壊し、入院していたのは知っていた。共働きだけど奥さんがいる。子どもはいないし、なんとかなるだろう、と考えて、見舞いにすら行かなかった。学生時代からのつきあいだ。ここしばらくは、年に1回会うかどうかになっていたけれど、感覚としてはずっと近くにいる。元気になったらまた会えばいい。そんなふうに思っていた。

 乗っ取り騒動からほどなく、私は不意打ちのように彼の訃報を知らされた。対処法を聞いてみればと名前を出した、友人からだった。二人は中学以来の知り合いで、実家も近所だ。大学時代、遅れてその輪に入れてもらった私より、ずっと互いの距離が近かった。

 事情があって、通夜も葬儀もほぼ身内で済ませたという。だから、私が知ったのは、彼がすでに灰に還った直後だった。

 末期のがんだった。会社の健診で引っかかり、入院。手術で腹を切ったときには、すでに手遅れだったという。そのまま閉じて、放射線と抗がん剤に切り替えた。毛髪は抜け、げっそり痩せた。メッセンジャーでやりとりしたのは、ちょうどその時期にあたる。短いやりとりだったけど、微塵もそんな事態を感じさせなかった。「自分が死ぬと、彼は思ってなかったんじゃないかな」。友人はそう言った。

 心の底から悔やんだ。てっきり、過労だとばかり思い込んでいた。同世代の仲間たちは、みんな、あちこちガタがくる年にはなっている。とはいえ、死ぬにはまだ早い。病気やけがは「治る」のが既定なのだ。治ればまた会える。会って、お酒を飲んで、学生時代のようにくだらない話をして、やれやれ、年はとりたくないねえ、と笑い合い、いつになるかわからない「また今度」という曖昧な約束をして別れる。病気やけがは、連続する日常の一つのエピソードに過ぎない。だから、必ず「続き」がある。そんなふうに思い込んでいた。

 友だちが死ぬ。病気で死ぬ。

 ずっと若い頃、幼なじみを事故で亡くした。バイクの単独事故だった。もちろん、その時もたくさん泣いた。でも、とても不謹慎な言い方だけど、時間が経つにつれ、事故はたぶん、避けられず、どうしようもなかったのかもしれない、と感じるようになった。安っぽくて薄っぺらい言葉だけれども、あえて使うのであれば、「運命」。日常の先に、あらかじめ、事故は用意されていた。そんなふうに思った。

 彼の病死から数年が経つ。私はちっとも、気持ちに折り合いをつけられていない。運命だとすら思えない。彼の日常はある日突然、断絶した。それは、彼がいる世界を所与としていた私にとっても、やっぱり日常の断絶なのだ。「彼がいる世界」と「彼がいない世界」は、まるで一卵性双生児のように、瓜二つなのだけれど、やっぱりどこかが異なる。にもかかわらず、何がどう違うのか、自分でもはっきり言葉にできず、無性に苛立つ。

 私にとって、彼は家族や恋人ではない。彼がいてもいなくても、私に見える風景は、何一つとして変わらないのだ。それでも違うとするならば、いったい何が異なるというのだろう。彼の病気に気づけなかった。それがたまらず後ろめたく、あれこれ理屈をこねくり回し、彼の死を、否認したがっているだけなのだろうか。

 きょう、若手の人気俳優が亡くなった。自室で首を吊ったという。彼が出たテレビや映画を、何本か見たことがある。寂しさや諦めの演技の表情が、とても印象的で、すてきな俳優さんだな、と感じていた。享年30。遺書があったらしいが、何が理由なのか、ニュースを見ても、分からなかった。

 俳優さんが亡くなっても、やっぱり私の風景は、変わることがない。友だちよりも遠いのだ。当たり前といえば当たり前だけど、胸がずっと、ざわざわしている。なんだろう、この感じは。あれこれ思いをめぐらして、友だちの訃報に似ているのだと気がついた。不意打ちで、私の日常のどこかを、ずるっと削りとっていく。過去において何もせず、未来においても何一つ変わらないのに、私はそれに、動揺し、なんだかひどく傷ついたような気持ちになるのだ。自意識過剰とはなはだしい偽善。それも自覚し、泣きたいほど恥ずかしい思いにさいなまれる。

 友だちと、俳優さんの冥福を、改めてお祈りします。

#TenYearsAgo #三浦春馬さん #病死

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