夜にしがみついて、朝で溶かして

クリープハイプ

#ことばのおべんきょう


1.料理

 料理って家庭的な穏やかなことばだけど、早いスピードのギターフレーズで始まって、それを追いかけるようなリズムのあるドラム。一曲目からやってくれるな、嬉しいよ。

 ライブで初めて聴いたときには、残さず全部食べてやるよってことばが残って、優しいな、幸せなのかななんて、いらないことまで考えたりしていた。でもじっくり歌詞を読むと、じっくりことこと問い詰めるし、ざっくり切り裂く、塊のハンバーグに至ってはおぞましい。このあたりのダブルミーイングの連続は楽しい楽しい忙しい楽しい。 ポケットから出てくるレシート、あれを見つける前の洗濯機に残る白いものを見て、あっやっちゃったと思ってももう遅い。だって選択しちゃったあとだもの。

 だけど、そばにいてくれたら、それで膨れるならいいね、それだけで満たされるんだね。うん。 なぜか腹が減る こんなに悲しいのに。 アルバムの最初と最後が伏線で繋がる小説みたいだな。


2.ポリコ

 ポリティカルコネクトということばを初めて知りました。知識もついちゃうクリープハイプ。 

 このベースからの始まりは挑戦的だな、と思ったら突然ギターとドラムが切り裂いていく音。ポリコのもってる焦燥感みたいなものが、足りない足りないで伝わってくる。パリコレも便所の落書きも一緒だね、そのときには強くあるけど、消えていく流されていく。そんな気になった。そんな挑戦的な態度も実は優しくされたいし、優しくしたい気持ちがあるのかな。いつもの道を法定速度で走って鳴らされるクラクションって可哀想になる。あーもしかして自分もそうかもと思ってしまう。あたり前のことをやってもビクビクして。 
 
 そんなポリコがぽり子になってくると、なんだか家の床を、足りない、まだ汚れてるって言いながら掃除してる身近な誰かに感じくる。尾崎世界観の歌詞の不思議な力。


3.二人の間

 おもちゃ箱だ。おもちゃ箱の中から音楽が流れてくる感じがする。二人の関係が伝わる一番の瞬間は、実は話してるときじゃなくて二人に流れる間なのかなって思った曲。意味のないことばのやりとりって安心できる関係だと、いいけど、そうでない関係だと緊張感が走る。汗をかく。 
 
 あとうんの隙間にあるちょうど良いそのうまい空気。あとうんの間には意もあるななんて思ったり。それにこの「間」。クリープハイプのライブを思い出した。ステージで次の曲に移る「間」、MCの隙間にある「間」、それにコロナで声を出せない私たちとクリープハイプの「間」。ことばはないけれど、そこに流れているものはあったかい人と人の体温。大好きな気持ちとそれに応えようとしてくれる思いを感じる。 クリープハイプとお客さんの二人の間も、もっとずっといいものになりますように。


4.四季 

 好きです。しょうがねーってこの言い方。好きでもしょうがねーよ、ね。曲も好き。
 
 春にエロい思い出はすぐに浮かばなかったけれど、春はエロい思い出が生まれる季節なんだ。ラブホテルは夏のせいにしてたけど、春はもっと違う何かが起こるのね。蛍の光で恵比中が尾崎さんのギターに合わせて一生懸命歌ってる映像が思い浮かんできた夏。
 
 この曲を聞いて初めのうちは秋が一番好きだった。聞く回数を重ねると冬が一番好きになった。謝ってばかりで、またごめんねって謝る秋。布団が恋しくなる季節にけっとばしたり、包まれたりしたくなる自分勝手さ。叩かれて干されても
 
 包むよ、包んでね。そんな秋が好き。
 年中無休でどっか行きたいけどいけないくらい忙しい人が猫背で背中を丸めて歩いて振る雪に流す涙は、意味はなくてもずっとずっとしょっぱいんだろうな。意味がある方が涙が乾くのも早い。意味なんかないってことばに強がってる内面が見えたりした。雪が溶かして。カイ少年は氷の破片を優しい気持ちで溶かされたけど、クリープハイプの曲は冷たい雪が気持ちを溶かす。雪で浮かんだ幸福の王子。尾崎世界観と幸福の王子が重なった。心と体を削って(喉!気をつけてくださいね)私たちの心を守る唄を作り続けて歌い続けている。ちょっとメルヘンになっちゃったかな。風邪ひいたかな。

 最後に。この歌の夏で出てくる「ぜんぜん」の「ん」の歌い方がいいんだ。だんぜん!それに、「どうでもいい時に限って降る雪」っていうことばの繋がりは、尾崎世界観の感性でしか生み出せない。


5.愛す

 これがこのアルバム一番のラブソング。

 この曲を初めて聞いたのは仕事の帰り道。イヤフォンから流れる新曲を一言も聞き漏らしたくなくて、立ち止まったりして聞いてたら、涙が流れてきた。ほんわかした弦の音色で始まった曲は、逆にってことばで印象的に歌の風景が始まった。もうブスとしか言えないくらい愛しい、でもそれも言えずにバスに急かす「急ぎなほら遅れるよ」っていうことばがただただ切なすぎた。ブスってことばがこんなに愛しいなんて。それに肩にかけたカバンの捻れた部分がもどかしいって、尾崎世界観ではなくて?何年か前にフェス帰りの一枚、後ろ姿。かけたカバンの肩のところがねじれていた。この歌詞で私の中で、歌の切なさとクリープハイプへの思いがすうっと重なった。

 曖昧な関係のままそれを壊さずに、一歩踏み込めない切ないラブソング。クリープハイプの切なさは、こんなにも愛しい。


6.しょうもな

 てめーって言われた。

 この曲で初めてかもしれない。そのてめーが、自分に指された指があたしにぐんと刺さってきた。今は世間じゃなくてあんたにお前にてめーにと、ことばが汚くなるほど近くなる。あたしも、世間じゃなくてお前だけに用がある。しょもなっていえる。この曲のリズムとスピードで、なんだか強くなれる気がした。世間じゃなくて。ぐんぐん歩ける気がした。

 好きになる理由ははっきりわからなかったけれど、ことばのおべんきょうではこの歌詞の解説に一票を入れた。好きだったから。で、解説を聞いたら、世間様の最期、私は最後に世間様にもわかってほしいのかなと思っていたら、逆だった。世間様って、様をつけて逆説だったのか、まだまだ甘いなあたしも。そんなあたしが気に入ってることばは、言葉に追いつかれないスピードのところ。これも理由はわからないけれど、好き。好きってわからないことも多いんだ。


7.一生に一度愛してるよ

 尾崎節っていうものがあったら、これ。

 ファーストが良かったっていうファンに向けて、おいおいお前ら恋人とは初めてのころと変わらない熱量で愛してくれって言ってるのに、バンドは違うんかい。もの申している。歌の中には、初めて会った103でカオナシが歌うし、最後には一生愛されてると思ってたよってくるし。たまらない遊び心もあって、おいおいと問われて、うんと思う。

 ファーストの頃からのファンではない。それでも、好きになったばかりのころの熱量と今の熱量は変わってきているかもしれない。何がなんでもって思っていた頃より、少しクリープハイプとの関係に余裕があるかもしれない。その関係性もいいなと思うし、ライブに行くとまた新しい熱量でクリープハイプを尾崎世界観を見て聴いている。それに、変わっていくクリープハイプの曲も好きでいられている。嘘がない尾崎世界観の作る歌。今の尾崎世界観が伝わってくるって、贅沢だと思う。嘘でもあの頃みたいに歌ってたら、どうかな。嘘よりも今を選びたい。そういう曲がいいと思う。

 カオナシの103ですは、ちゃんと私の中でつながっている。


8.ニガツノナミダ

 ソフトバンクのCMにクリープハイプが決まって、いつ流れるか、テレビで流れるたびにドキドキしていた。広瀬すずちゃんとは、一平ちゃんでも共演してたな。で、アルバム曲というよりは、あのときに思ったことを。

 MVで曲のカラクリを知って、ますますクリープハイプが好きになった。テレビで流れていた部分のあとにつながる曲。ギターの音から、やりました よくできました 30秒真面目に生きたから残りの余生は楽しみたい。これを聞いて、ニヤッとした。CM30秒の制約をどうにか形にしたんだから、あとはいいでしょ。クリープハイプがCMやって魂を売っちゃったなって言われる前に、自分から言ってる。

 それでも最後は、なんだか締切や制約に包まっているのもいいかもと。こういう背を向けたいのに向けられないもやもやのような、自分ってわかってるようでわからないって思うところに繋がってきて、この曲から伝わる体温が、捻くれてるけど愛されたい繊細さみたいな感じで、好きです、この曲。チョコ渡せなくて動画見るのも、あーもうそうなんだよ、わかるかなって思いながら聞いていた。

 このナミダはわかってくれとは言ってない。


9.ナイトオンザプラネット

 クリープハイプの曲ってこれまで、前奏で「あ、拓さんのドラムだ」フェスでも、この音、ユキチカさんのギターだなんて思いながら、音が重なって、「この感じクリープハイプだ」ってどんどん高鳴っていた。この曲は、そういうバンドクリープハイプ感がなくて、尾崎世界観の曲だ、と思った。アルバムの中で、一番好きな曲かな。

 ライブで聴いたときには、かっこいい曲で、クリープハイプ、尾崎世界観のかっこよさをすごい、ここまできたと驚きながら感激してずっと聴いていたいなと。痺れた。

 Twitterで聞いたのは、弾き語りで、なんて愛しい曲なのだろう、フルで弾き語りも聞きたい。きっといつかどこかで聞かせてください。バンドと弾き語りで、こんなにも印象が違う曲はないかも。

 クリープハイプのファンも字幕から吹き替えで、命より大切なものができていく一方で、クリープハイプも「つま先はその先へ」から見えるものや抱えているものが変わっているんだろうな。わたしも変わったものがいくつかある。それでも、クリープハイプの曲を聞いて気持ちが穏やかになったり、高鳴ったりする気持ちは変わらない。この先つま先の先照らしてくれればって歌ってるクリープハイプ。この曲が、コロナ禍で作られたというのはいろいろなところで語られている。10周年記念の幕張メッセ、千葉のあそこでやるはずだったライブ、きっとあると信じている。

 そんな時間を過ごして、クリープハイプもファンもしなやかで、ちょっと強くなっているみたい。


10.しらす

 カオナシワールドがあるとしたら、そこには無邪気さと残酷さがいい割合で混じり合ってる。この曲では、カオナシさんと尾崎さんの声もいい感じで混じり合ってる。その配合が絶妙。

 目が天の川みたいにたくさんあっても食べちゃってるんだな。一度にたくさんの命を食べても気にしないでいた、しらす。猫にも人間にも食べられる、しらす。そのしらすを食べたかわいいふわふわの猫の足を美味しそうと歌ったりして、無邪気さとちょっとした残酷さ。白いしらすを食べた茶トラ猫が陽だまりで撫でられて伸びをするって、幸せそうな一場面を連想。しらすはたくさん命を食べちゃってるけど、猫には長生きしてね。食べて歩いて休む。命ってことばは重すぎるけれど、カオナシワールドになればそれはふわふわと日常の日向のように伝わってくる。歌詞だけでも演奏だけでもなく、あの歌声には一点の曇りもないような可愛らしさがある。あの声と雰囲気で歌うとゆでられるカエルだって、なんか言いしれない世界に描かれる。

 フリは覚えて、ツアーでやりたいです。


11.なんか出てきちゃってる

 半分現実で半分現実じゃない感じ。いやいや現実にはないでしょって思い直す。前奏の音が広い音階をたゆたってるような中、半音ひっかっかってるような印象。こんな曲があるんだ。こんなに新しい曲が。この曲の不思議さが気持ちいい。

 なんか出てきちゃってるけど、普通の関係。ありそうでなさそうなそんな気がする。

偶然ネジがゆるんじゃって、溢れ出てくる出てきちゃいけないものたち。そうだな、見せられないあんな気持ちとか。

 いろいろ出て来ちゃってるけど、尾崎さんのおしゃべりする声を聞き続け聞き続けられる、これは幸せ。あーもうじゃぁさぁ、あたりから、尾崎さんが横に来て話をしてるみたいなそんな感じ。せーのでなんかもう遊ばれちゃってうん、うん。あるよ、そういうのって思いながら聞いているうちに曲が終わっていく。頭から何か出てきちゃってるのは、考えたら怖いのに何故かこの曲を聴きながら、ニヤニヤしてしまう。尾崎世界観の声をじっくり味わえる一曲。


12.キケンナアソビ

 曲に溢れる色香。キケンだからこれ以上踏み込めないから、じゃあ気をつけてと言いながら「それも嘘だよ」いくつも重なる嘘。嘘と言いながら見えてしまう本当の気持ち。そういうところに、そういうクリープハイプの曲にいつも引き寄せられる。嘘をつかなくちゃいけない関係。

 初めて聞いたときに、この曲がもつ苦しさにどうしようもなかった。口だけじゃないからせめて首から下だけでもって、そういうことをサラッと歌にしてしまう。アソビにしてしまうところが苦しくて苦しくて。この道をまっすぐ行けば帰れるから、でも本当は離れられない気持ち。良い子は家に帰るんだけど、まっすぐ行けば危険じゃない。これはアソビだから、夕焼け小焼けが聞こえたら、それは家に帰る合図。帰らなくちゃいけないけど。けれど。

 見えない。この曲の先も、この二人のこの先も。だから、キケンナアソビ。キケンだから手を出しちゃいけないってわかってるけど、気持ちはキケンナアソビに吸い寄せられる。夕焼けが真っ赤に燃えて、この曲に真っ赤な色が最後につけられた。


13.モノマネ

 尾崎世界観の歌詞に出てくるシャンプーが好きだ。クリープハイプを好きになったきっかけは「寝癖」だった。この曲もシャンプーが出てくる。いつも同じシャンプーの匂い。同じ匂いの相手がいる心地よさ、ましてやその相手が好きな人なら。「キケンナアソビ」も、別々の場所に持って帰る同じシャンプーの匂い。そこにいなくても匂いから感じる相手の姿。そう思うと、シャンプーやリンスの匂いはひとときの気持ちよさと同時に罪だ。

 この歌で、シャンプーの泡を頭に載せあって笑っている。同じ匂いをさせていた無邪気な頃の思い出。同じはいつか違うを生み出していく。同じに安心しているといつか離れていく。だって、笑い合ったお風呂場では、目の片隅に小さくなる石鹸が映ってる。この曲で、「モノマネ」と「同じ」は、重なりを見せる。

 同じキーホルダーを持って、一緒に笑っていたけれど、ひょっとしたらあの時に泣いていたのかもしれない。でもそれに気づくのはキーホルダーの大切なところを失ってから初めてなのだろう。ビニール傘みたいに。

 心から安心する幸せなんて、嘘かもしれない。

 


14.幽霊失格

 自分がもし幽霊だったら、ついていっちゃうのだろうな。幽霊だから。

 幽霊だから顔色が悪いのに、ちゃんと食べてるって、そのことば、そのまま返すよ。忙しいけどちゃんと食べてる?目の下にクマは作ってない?鼻血は出してない?猫背で歩く見慣れた後ろ姿、ついついてきちゃったよ、懐かしい二人で過ごしたあの部屋まで。今は触っても感触はないけれど。つないで寝ていた手のぬくもりは、冷たい幽霊になっても残っているよ。幽霊になっても、悲しみも分けあってくれるその思いについ甘えて成仏しないでいようかな、君がそれを望んでくれているから。ずっと失格でいたい。

 アルバムのラストから二曲目に置いてくれているこの曲。それだけ大切に思ってくれているんだね。アルバムの最初や最後じゃ重いけど、ここの位置がちょうどいい重さ。戻れないけれど、二人で過ごした日々は戻らないけれど。君の中に今感じていてくれるんだね、ありがとう。

 あの時には、犬みたいって言っていたその癖、できればそのままでいて。

                 幽霊より


15.こんなに悲しいのに腹が鳴る

 ドラムが優しく、ギターも優しく、ベースはなくてキーボード。ドラムが四人をまとめるみたいにときに強くなる一音。でもリズムはソフトに続く。ギターも高音で強烈な印象の鳴らす音じゃなくて、それでもこっそり踊ってる。キーボードはその音が綺麗に響く。

 歌声が始まるとそれぞれの音はもっと下がって支えている。これがクリープハイプの新しい音だという気になる。この演奏と歌声のつくり合い。曲を四人が作りあって一曲を仕上げた。これまでのクリープハイプは、スピード感のある演奏に負けない尾崎さんの歌声。お互いに激しくぶつかり合って、一つになっていた。その激しさが聞いている私たちにも高鳴りになって、一緒になって曲の中に入っていく。それがこの曲では、尾崎さんが安心して支えられて支えて歌っている。歌声が消えると浮き上がる演奏、美しい強弱でそれぞれの音が一つになっていく。心地よいバランスのクリープハイプの音。

 生きることと死ぬこと、まっすぐ顔を上げて生きられなくても、下を向いていたとしても背中を丸めていたとしても、涙することもあるけれど、生きたいと思うことなのかな、生きたいと。お腹が鳴れば生きて生きたいと思うことと同じだよって、気持ちじゃなくて身体は教えてくれる。

 気をつけ 礼 ありがとうございましたってなるかよクソッタレ。言い切ってくれて気持ちよかった。疑いを持っていなかった日常がそこにある。次は日常から変えてみたい。歩み寄ったら逃げられたり、時には睨み合って相手との距離を測ったり、世間は生きづらいけれど。腹がなったら、料理を作ってくれたら餃子みたいに包んでくれたあの頃から煮しめに味覚の好みも変わるのかも。


新しいアルバム、ありがとうございます。

ツアーを楽しみにしています。

良いお年をお迎えください。


 

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