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いわゆる産業遺産の解体について。【2008年10月09日】

僕のいる町で、
とある工場が取り壊される。
それについての論戦が
とある場所で行なわれていました。

少し悲しさを感じながら、
ずっと眺めていました。

僕は、やはり老朽化したものがなくなってしまうのは
仕方ないと感じています。

他の人の意見にあった、
安全性や犯罪の問題が大きいです。
何より、維持が。

こんなのが昔あったよね。
の記憶だけで、いい。

アーティストがその廃墟で活動をしたと。


相当な嫌悪感を感じました。

機能を持って生まれ、人が働き、
町を支えたもの。

その役目が終わったものに対しての
尊敬がない。

辱めを受けたとしか感じられない。

そういえば取り壊される前は
醜悪な落書きが壁にたくさん書いてあった。

あれはまさか、アーティストと呼ばれる人間の
やったことではないだろうと信じたい。

「ケイザイ活動のオワリ」とか、「公害文明の遺産」とか、
言いたいのだろうか。


僕には
年寄りに若いカッコウさせて、
「かわいいー」とか言っているボランティアと一緒に見える。

何度も言うが、
尊敬がない。


とても、かなしくなりました。

むかしの工場なんだから、あんなに存在感があるんだから、
ジブリにでもいって市民を喚起しようという意見も。

僕はジブリや他のアーティストにというのは
無理だとうつりました。

日本中や世界中を見渡せば、
ジブリが好きな世界・風景は山のようにある。


しかし、おそらくジブリなら、
屋久島の自然を守るための努力はするでしょう。

それはあの自然というものならば、
自らのアイデンティティーを重ねることが出来るから。


しかし、その工場は
風景やかたちとしてみれば、
ジブリの見てきたものの中では「一般的」。

日本の近代化を担ったのは確かだけど、
風景やかたちとしてみれば、
あの工場は日本一とか、世界一ではなかった。
ということだと思う。

実は以前、この町の市民会館が取り壊されるという時に
僕は安藤忠雄に手紙を書いた。

僕はあの建物が残っていて、欲しかった。

ある日安藤忠雄から会社に電話がかかってきた。
受話器を持つ手が震えた。

「こうゆうのはな、僕らみたいなのが突然行って、
 なんだかんだ言ってもしょうがないねん」

「地域の人間がどないおもっとるかやろ」

確かにそうだった。

僕は市民会館はある程度有名な建築家の設計だし、
「安藤」ぐらいの「外圧」があれば、
市民的にも動き出すのではないかと感じていた。

けれどもそれは間違い。

建築家の作品は全国にいくらでもある。
図書だって残っている。
最初でも最後でもない。

ゼンコクから見れば、ただのいっこだ。

残す理由はその場所の人間の愛着や原風景しかない。


だからこの工場も、
アーティスト自身の原風景の中に「あの」工場が存在しない限り、
感情移入は難しい。

生まれてもいない。骨もうずめない。そんな場所だし。

自身の町の風景ではないから。


でも、自身の町の風景だからと、それもどうかと思う。

郷土出身の画家だからと
やたら背中を押す地方の美術館と同じだ。


郷土の贔屓目が、
ものやかたち、風景の美しさの順位を変えるとしたら、

完全に、井の中の蛙だ。

そんな町に
トウキョウが魅力を感じるのか?

ニッポンが、魅力を感じるのか?

コリアンが、チャイナが、
魅力を感じるのか?

この町には誰も来なくなる。

贔屓目を取っ払って、
もう一度良く見直したほうがいい。

幸い僕のいる町は、
季刊誌「雲のうえ」というフェアな評価軸を持っている。

ノスタルジックでも
ステレオタイプでもない町がそこにはある。

本当に、こんなにすごいことはないと感じている。

あの工場がなくなるのは悲しい。
けれども、たくさんたくさん、壊してきた町。
エコだというけど、
路面電車を廃止した町。


役目が終わったものは
安らかに眠らせてあげたほうが良い。

老体をさらしものにするより、
記憶や物語の中で、
動いていたほうが良い。


僕らがやるべきは
それでも受け継がれるものがあるということを
ちゃんと発見することだ。


「もの」に頼ることは、
「ハコモノ」とかわらない。

僕はあの工場を通り過ぎた
あの工場で連なっていった、
莫大な人の物語を知りたい。

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今回の写真は臼井先生(前橋工科大学准教授)よりいただきました。これももう、今はなき「八幡図書館」でして、文中登場する「市民会館ー小倉市民会館」と同じ村野藤吾の設計です。建築の存命についてはいつも考えさせられます。歴史的価値とか言ってシンポジウムとか署名とかやる文化人や市民団体については実は首をかしげます。感情論では建築は残せない。リミットを切って、「せめて最低50年残すためにどう財源を作り保全をしていくか?」という金銭的な議論から始めないとといつも思うのだけどせっかく残った八幡市民会館もアートとかなんとか、社会自体に根本的な体力がなければできない提案のお花畑感に正直げんなりしたりしました。スクラップアンドビルドで少なくとも建設のカネは動く。労働者に仕事を生むためにはつくっては壊しが手っ取り早い。1970年代と比べれば10万人以上の人口が減った街のお金を動かす「正解」に、経済的な裏付けのない対案ではやはり勝ち目はないです。

しかしながら、やはり心の中では残っていて欲しいと思ってしまう自分がいることも否定できません。また鉄工でいけば焼き締めリベットなど、資料は残っていてももはや出来る職人の居なくなった技術もたくさんありますから、もはや二度と作れないことをしっかりと胸に置いて、スクラップの責任を感じるべきではないかとも思います。

そんなこんなで、僕にとって建築の存続という命題は答えが出ていません。ただ、この写真をご提供下さった臼井先生の活動には、どこかヒントがある気もしています。「BUILDING DIGNITY」建築の尊厳と名付けられたこの活動は当時西日本工業大学にて臼井先生と同僚でした八木先生(現在広島大学准教授)の発案で「東京製綱小倉事務所」に始まり、「ただ建築にアートを置く、飾る」ではなく、「建築に寄り添うもの、建築を「発見する」ものとしてアートの手法を借りる」という形に進化してきたように感じています。

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どこに置かれても変わらない独立した作家作品を置いてお客を呼ぶというものではなく、日常に、日常として、存在した「建築」が再発見されるという試みは、その建築が存在する「地」への主張となり、それがその地の人々の愛着となるのではないかと感じています。

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