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私の人生の一冊〜「ナナメの夕暮れ」〜オードリー若林さんのエッセイ

「今まで読んだ中で、最も心に残った本はなんですか?」

そんな質問をされたら、あなたはどう答えますか?

私はその質問に答えることができませんでした。

この一冊の本に出会うまでは。

自意識過剰。

周りの目を気にしてしまう。些細なことでも考えすぎてしまう。

23年間ずっと自分のめんどくさい性格に悩まされてきた。

たとえば、居酒屋に行ったとき、店員さんを呼んで注文をするタイプの居酒屋だとなかなか店員さんに声をかけることができない。店員さんが忙しそうにしていればいるほど、呼び止めるのが申し訳なくて、声をかけれなくなる。

他にもある。休みの日に、今まで行ったことのないカフェに行こうと思い立ち、良い感じのカフェを見つけるけど、勇気が出ず、お店に入れなかったことがある。その日は、ただ3時間散歩をして家に帰るという屈辱的な気分を味わった。

先に注文をするタイプかな?それとも先に席に座ってから注文をするタイプかな?カフェの雰囲気に自分は馴染めるかな?‥とあれこれ頭の中で考えてしまい、だんだん考えるのがめんどくさくなって、結局行動するのをやめてしまうのだ。

傍からみれば、「いや、それは考えすぎだろ!」って思うかもしれないが、これが私の日常なのである。考えたくなくても勝手に頭に浮かんでしまうのである。

だから、めちゃくちゃめんどくさい。もっと楽に生きたい。ずっとそう思っていた。

そんなとき、私はある一冊の本と出会った。

芸人のオードリーの若林さんが書いた「ナナメの夕暮れ」というエッセイだ。

https://www.amazon.co.jp/ナナメの夕暮れ-若林-正恭/dp/4163908870/ref=nodl_

衝撃を受けた。誰にも理解されない、誰にも分かってもらえない。ずっとそう思っていた私の苦悩を共感してくれる人に初めて出会えた気がした。

「スタバで「L」は言えるけど、グランデは言えない。」

「何か自分が気取っているような気がして恥ずかしい。」

そう語っている若林さんはまさに私と同じような、考えすぎてしまう自意識過剰の人間だ。

このエッセイの第二章「ナナメの殺し方」では、”自意識過剰”という姿を見せない敵の正体を突き止めて、その恐ろしい敵との戦い方を提案してくれる。

まずは、自意識過剰=他人の目を気にしすぎる人は、心の中で他人をバカにしまくっている正真正銘なクズ野郎であると若林さんは言う。

ええ!俺はただのクズ野郎だったのか…。と衝撃を受けるとともに、自分自身に落胆した。

でも、確かに別の本で「自分が周りから批判されていると思っている人は、自分が周りのことを批判しているという鏡の法則が働いてしまう」という話を見たことがある。結局、他人にこう思われていたらどうしよう、というネガティブな気持ちは、自分が他人のことをネガティブに思う気持ちから生まれたものである。


たとえば、私が居酒屋の店員さんだったら‥
忙しいときに注文をするお客さんに向かって、
「忙しいときに注文なんかすんなよ」とイラつくのだろうか。

カフェの店員さんだったら‥
初めて店に来るお客さんに対して、「お前が来るような店じゃねーよ」と思ってしまうのだろうか。


いや、さすがにそんなことは思わな…。
でも、私は自意識過剰の人間だという事実がある限り、先述の「店員さんだったら‥」の話のように、他人をバカにするようなことを無意識に心の奥底で思っているということである。
私はこのことに全く気づいていなかった。

自意識過剰の正体は、他人を否定する気持ちだったのだ。

続けて若林さんは自意識過剰の恐ろしさをこのように語っている。

自意識過剰になると、周りの目が気になって自分の好きなことができなくなり、生きることが楽しくなくなる。

生きることに無気力になると、自分をなんとか保つために、他人や物事に対しての価値下げ(悪口、批判)をするようになる。

人前で愚痴や弱音を口にして、”生きてても楽しくない”に他人を巻き込もうとする…まるでゾンビのような存在になってしまうのだ。


この若林さんの解説に納得せざるを得なかった。
まさに私は大学時代にゾンビを経験したからである。

私が大学に入学した当初、サークルに入り、大学生活を楽しみたいと思っていた。しかし、大学の先輩や同級生のキラキラ具合を目の当たりにして、声をかける勇気を失い、結局サークルに入ることがないまま、大学生活を終えることになった。

勇気がなかっただけの自分が惨めだと思いたくなかった‥。サークルなんて、「暇でやることがない奴らの哀れな集まり」だと心の中で思い続けた。

「みっともない」と穿った見方をして、他人の価値を下げて、自己防衛のために自分を肯定する。
その代償に自分が楽しむ機会を失うことになった。

他人がはしゃいでいる姿をバカにしていると、自分が我を忘れて、はしゃぐこともできなくなってしまう。

まさにその言葉どおりの経験をしてきた。

じゃあ、どうやって自意識過剰、若林さんの表現で言う”生きていて全然楽しくない地獄”にいるゾンビと戦うべきなのか。

それは、趣味や仕事に”没頭”することである。

若林さんいわく没頭は、

ネガティブ人間が、”唯一ネガティブな時間から逃れられる人生の隠しコマンド”だという。

確かに何かに没頭しているときは、ネガティブな感情は一切湧いてこない。

Youtubeを見ているとき、ギターを練習しているとき、好きな音楽を聴きながら、近所のスーパーまで散歩をしているとき、「俺の人生楽しくないな」とかそういったことは全く頭には浮かんでこない。ただ物事に夢中になっている自分がいるという状態になっている。

人は没頭さえすれば、考えすぎなくてもよいという無敵状態になれるのだ。

だが、そもそも好きなものとか、没頭するものがない場合はどうすればいいのだろうか。若林さんはこう提案する。

ペンとノートを買いなさい。

そのノートの表紙に太めのマジックで”肯定ノート”と書きなさい。

ふざけているわけではない。30歳過ぎたいい大人である若林さんが恥も承知の上で、実際にやっていたことだ。

これは、自分が本当に楽しいと思うことに気づくための1つのアクションである。どんなに小さなことでもいいから、自分の好きなことや興味のあることに気づいたら書き込んでいく。(例えば、お風呂でいろんな入浴剤を試すのが好きとか、気の合う友達と飲んでいる時間が好きとか。)

この作業をすることで、他人基準ではない”自分の好きなこと”を客観的に見ることができる。自分の好きなことを理解できるようになれば、他人の好きなこと(趣味)も尊重できるようになるのである。

自分が好きなことが見つかったら、次はノートに
他者を肯定する言葉を書きこんでいく。

最初は尊敬する人から書いていけばいい。

徐々に書く人の範囲を広げていき、最終的には、自分が苦手だと感じている人に対しても、歯を食いしばりながら肯定する言葉を書いていく。

若林さんは、他者への肯定がスラスラ出てくるようになるまで、このトレーニングを続けた。その結果、誰かを否定的に見てしまう癖が徐々に矯正されていくのを感じ、自分の行動や言動を否定的に見てくる人が、自分が思っているほどこの世界にはいないのでは?という気持ちになったと言う。

この気づきを得て、若林さんは1つの答えを導き出す。

自分の生きづらさの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。

その視線を殺すためには、まず自分が”他人への否定的な目線”をやめるしかないのである。

この考え方を知ることができただけでも、この本を読む価値があると思えた。それほど、自分の人生に必要だと思えるような言葉だった。

自分が他人への否定的な目線をやめれば、私がお洒落なカフェに行くことを否定する人はこの世からいなくなる。否定する人がいなければ、自分が好きなことや没頭できるものをもっと増やすことができるかもしれない。自分の存在を肯定でき、自分の人生をもっと楽しめるかもしれない。
そんな確かな期待感で胸がいっぱいになった。

もちろん、そのためには、自分のことだけではなく、他人の好きなことや興味のあることに真剣に耳を傾け、他人の好きを肯定する努力が必要である。

この本には、自意識過剰で生きづらさを感じている人たちが、人生を楽しむためのヒントがたくさん詰まっている。けして、前向きに生きろ!とか言うポジティブなメッセージではなく、ネガティブな人間がネガティブなままで楽しく生きるための若林流の”思考のヒント”をくれる本である。

自分の自意識と真摯に向き合い、自分の恥ずかしい部分をさらけ出しながらも、自意識過剰の正体を突き止めて、その倒し方を教えてくれた若林さん。

私も若林さんのように、悩みを抱える人に寄り添うことができる優しい人間になりたい。

素敵なエッセイに出会えて良かった。

「今まで読んだ中で、最も心に残った本はなんですか?」

「ナナメの夕暮れ」著者:若林 正恭

私の人生の一冊。

ちなみに、

私が今一番やりたいことは、スカイダイビングだ。

私の肯定ノートの1ページ目に書いてある「若林さんの本を読む」の下に書いておこう。

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