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易経の創始者伏羲たちについて

伏羲について色んな説がありますが、
良く言われるのは、
人の顔と蛇の体を持ってた
伏羲の名字は風で、
大洪水が起きた時に妹と一緒にヒョウタンに逃げ込んで生き残りました。

そして、
他の人が大洪水でなくなったので、
この二人は結婚することになりました。
そのせいか、
中国人の中にはヒョウタン
という植物を不思議なことが起こせる魔法な植物だと思ってる方も多いです。

伏羲も中国史上の最初の王として史書に記載されてます。

彼の時代に八卦を書き出しただけではなく、縄結び代わりに最初の文字も作ったり、
婚姻制度も決めたり、
民に苗字を与えたり、
蜘蛛の巣を真似して民に網の作り方と使い方なども教えたりして、すごい方でした。

歴代の王たちに先祖として尊敬されてました。
特に記載あるのは1483年から今まで天水という伏羲が生まれた所で、
毎年伏羲を礼拝する祭典が盛大に行われていることです。

易経を八卦から六十四卦まで拡大して、
その意味も解釈した周文王は、
自分は周朝を統治する際に占い専用部門も設けました。
その時に占いが流行って、
民間人の日常生活の一部になりました。
そのおかげで、
秦の始皇帝に易経は焼かれずに残りました。

その後、
儒家思想を始めた孔子は
易経を見て絶賛して、
あまりにも頻繁に読んでたので、
三回もその竹でできた本の結び縄を破れてしまいました。
そして、弟子たちと一緒に易経を詳しく解釈するのに十冊の本も書きました。
今は人々に十翼と言われて、
易経に十本の翼をつけられてるという意味です。

易経と直接関連してる人は伏羲、
周文王と孔子3人しか書かれてないが、
出来上がるまで関わってる人はもっと多いでしょうね!

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