続「僕がノー・スリーパーだった頃」+α

  前回、続。と書いた割に、これを書いている本人にその意思がないので、まったくもって無責任極まりない書き手ではあるが、僕の目の症状(または症例)を知ってほしいというかまってちゃん願望よりは、「目の症状」を足がかりにして、僕なりの「ターナー論」や「ゴッホ論」を。とか書いてたら、蚊に刺されまくる夏。暑中お見舞い申し上げまーす。

 まあ、ターナー(1775ー1851)はそうでもないけど、ゴッホ(1853ー1890)の風景画のような、異様な光景を目にしたとはいえ、言葉で説明するのはムツカシイ(もう3年は経つのか)。
 僕が眼病の一番ひどい時に見た景色と言うのは、一切ピントが合わず、色彩がいつもとは違う。季節が夏だったので極彩色とでも言おうか。当時、有栖川公園のベンチで見た光景は、やっぱり言葉では表せない。あと、耳鳴りがすごかった(当時はこっちの方がヤバいと思ってた。眼科で診てもらい、睡眠時間が戻ってくると、耳鳴りは落ち着いた)。
 とにかく当時は「寝てないし、疲れているから」と言って特に相談したりもせず、いつか症状が終わらないかなあ、と楽観的(?)だったのだが。図書館に調べ物しようとするが、まあ集中力が続かないし、だんだん夜になると、瞼が下がってくる。深夜近くまでバイトしていると、本当にどうにかなっちゃうかと思っていたのに、「日常」の続きだと思い込んでいた。

 ひょんなことから、耳鼻科(耳鳴りが酷かったので)で見てもらうと、聴覚検査、その他検診で、耳に異常はなかったのだが(いつもそう)、そこの先生の「うち(耳鼻科)ではなく、眼科だね」というご判断がなければ、あの時ぼくは、より一層(一生)路頭に迷っていたのかもしれない。本当に命拾いした。

 その耳鼻科から眼科までの流れは非常にスムーズで、タクシーでささーと移動。そこからの記憶は非常にあいまいなのだけれど、眼科での診察が終わると、近くのモス・バーガーで腹ごしらいをし、以来いつも使っている目薬(パピロック・ミニ)を初めてさした。夏の一幕。

 


 視点を2024年の盛夏にもどし、この頃僕は何をしているかというと、右も左もなく(上の下もなく)、就職活動です。ゲンジツ(進路)から目をそらし続けてきたジンセイ。「欺かれぬ者は彷徨う」と言う言葉もあるが、ただ僕は彷徨っているだけで、欺かれ続けているだけかもしれない。(何に?)
 
 就活については何も書けないので、先日行われた「ダンスフロアのぺぺ・トルメント・アスカラール」について書きたいと思いまーす。(一時中断)

あんまり写真撮ってないのでなんですけど、雰囲気はこんな感じでした。

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