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生きる

生きるということを最初に学ばせてくれたのは父だった。
それまで、ひたすら日々を生きる為に必死に頑張っていたので、生きるという事について考えることはなかった。
父の死をきっかけに、生きるという事を真剣に見つめた。
人はいつかは死んでしまうことを実感した。でも、死ぬことを考えるよりも
『生きろ。幸せになれ。』
というメッセージのように思えた。

次に生きるという事を、学ばせてくれたのは義父だった。
義父は、どう幸せに生きるのかを問いかけてくれた。
義父は脳梗塞で全く動けない、話せない状態となり、何年も入院していた。

それでも最初は生きていてくれただけで嬉しかった。
話すことも動くこともできない義父に毎日会いに行って、車椅子に乗せたり手足をマッサージしながら
『今日も元気で無事生きていてくれた。良かった。』
と思っていた。

けれど、その状態が長く続き、褥瘡ができたり、介護の人に雑に扱われたりするのを見ていると胸が痛くなり、とてもつらくなった。

お父さんはこの状態が不幸せではないのか?自由に動くことも遊ぶこともできない状態はつらくないのか?美味しい物も食べられない。話すことも冗談を言い合うこともできない。美しい景色も見ることができない。
延命を願った私達は間違いだったのではないか?私達は大好きな父を思うゆえに、父に苦しみの時間を強要してしまったのではないか?

と毎日悩んでいた。
病室で生きている義父を見るたびに嬉しくてほっとするのに
申し訳なくて…申し訳なくて…
痛くない?つらくない?
ごめんなさい。と心の中で叫ぶそんな毎日だった。

だから、ただ、生きるのではなく
幸せに生きることの意味を深く考えるようになった。

『生きる屍、ゾンビのように生きるのか、自分の幸せを考えて伸び伸びと自由に人生を謳歌するのか、どちらがいい?自分で選べるんだよ。』
そう義父は教えてくれているように思えた。

毎日会いに行っていたのに、誰も見ていない瞬間に急変し、義父は突然あの世に逝ってしまった。
一人で逝かせてごめんなさい。苦しい思いを長くさせてしまってごめんなさい。ごめんなさい。だけど、やっぱり今でも寂しいです。お義父さん、沢山お世話になりました。もっと、ずっと、一緒にいたかったです。もっと家族みんなで一緒に笑っていたかったです。本当に本当にありがとうございました。

義父の、どう生きたいのか?
という問いかけにより
自分が幸せに生きるためにどうするか?を考えられるようになった。

他人の幸せばかり考えて自分をないがしろにしていた私は、自分の幸せを考えることに抵抗があった。他人の幸せは自分の幸せのように思っていた。そんな、自分が持つ考え方を少しずつ見直していった。
また、この頃からもう一つやめたことがある。

他人に対して
『死なないで。』
と、強く願うことをやめた。
人はいつかは死んでしまう。
その権限は、その人の寿命とその人自身にあると思う。
他人がとやかく言うことではないし、そもそも…どうこうできるものでもない。

愛しい人達は死んでほしくない。
でも、死なないで!と願うことよりも
その人がその人らしく、幸せに生きてほしい。と願うようになった。

だから、自分の幸せよりも、自分を犠牲にして他人を助けてばかりいる姉を見ていると心配になった。

そういう生き方をしたい人もいる。
どう生きるかは、その人の自由だ。
だから、いつも姉に伝えている
『自分の幸せを考えてみてね。』
と言う言葉も、本来は要らない事なのかもしれない。

だから
『死なないで。』
と言うことも願うことも
『自分の幸せを考えて。』
と言うことも願うことも

同じように、余計なお世話なのかもしれない。

それでもお節介な私は願ってしまうんだ。


お姉ちゃん!
自分が幸せになれることは
自分の本当の願いは

苦しくならないはずだよ。
つらくならないはずだよ。
嫌じゃないはずだよ。

選ぶ前から、つらそうだと感じていることは
もう、卒業していいんじゃないの?
本当の心はもう気が付いているんじゃないの?

やりたいことと、
やらなけばならないと思うことは、

少し違うんだ。

自分の人生を

『生きる』

という事を、もう一度考えて欲しい。

苦しく生きても、楽しく生きてもいいと思う。自由だ。

でもお姉ちゃんならきっと、私達みんなが幸せに楽しく生きられることを願い、望むでしょ?

どうして、他人に望むことを自分に望まないの?

そんなに頑張らなくても
楽しくゆったりと自分らしく
裕に生きることを
自分に許してもいいんじゃないかな?

『生きる』

もちろんお姉ちゃんは、
何度も何度も考えてきたと思う。
間違っているとは少しも思わない。お姉ちゃんが選んだ選択肢でいいと思う。

だけど、もしかしたら何かの思い込みの制限がかかっていないだろうか?
ダメだとか、ムリとか、
決めつけていないだろうか?
その固定観念は本当に必要なことなのだろうか?

お姉ちゃんの本当の願いならば

ダメでもないし、ムリでもない。

できない訳がない。


大丈夫だよ。

苦しくない道を選んでも
いいんだと思う。

自分の本当の望みを叶えてもいいんだと思う。

不安や自信のなさ等を理由に自分に言い聞かせて、本当の気持ちに蓋をしなくていいと思う。

お姉ちゃんの本当の望みを叶えていく方が
結果的には、経済的にも精神的にも
裕(ゆたか)に生きていけると思うの。

サポートありがとうございます。これからも頑張ります。🐈✨