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いかに手放せるか

人生において、いかに手放せるか

人が生まれ、生きて、その人生に終わりが来るまでに

いかに執着を手放して、
軽やかに天へと上がっていけるかが大事なのだ。

と聞いたことがある。

まあ、そうだろうな。
この世に執着し、地縛霊のようになって
恨みつらみや、悲しみ怒りの行き場をなくし
ほとんどの人に気付いてもらえず
いつまでも彷徨い続けるなんて
きっととてもしんどい事なのだろう。
もし自分がそうなったら…
と考えただけでもぞっとする。


そんなふうにならないように生きている人達に
生きているうちに気づいてほしいと思い
伝え、広めようとしているのは
きっと誰かの愛なのだろう。

そして私は、
手放すという考え方を
いつも心の中に入れていた。

しょうがないから…
諦めるか…
私には無理だし…

そんなふうに
多くをあきらめる、という事に
自分の心を納得させる努力をしてきたように思う。

それが『手放す』という意味だと思っていた。

けれど、最近気がついたのは
『あきらめる』
という感情こそ、
その出来事を手放せていない証拠なのかもしれない。

『あきらめる』という努力をしても、事あるごとに繰り返し
自分の心や感情を揺さぶられてしまうから
きっとその方法は、あまり正解の方ではないのだろう。

ほとんどの人は、自分の興味がないことに関しては

 ・どーでもよい
 ・別に気にならない
 ・あってもなくても構わない

そんな気持ちになると思う。

手放すとは、きっとそんなふうに

・興味がなくなる
・そのことに感情が大きく揺さぶられない
・どーでもよくなる
・そんなに気にならない
・心穏やかでいられる

という状態なのだと思う。

強い執着や強い感情を伴ったり、身を焦がすようなつらい出来事は
そう簡単には消え失せないだろう。
完全に消し去るなんてきっと難しい。

けれど、時間経過や経験や知識や気持ちの整理によって

その出来事を見ても

心穏やかでいられるようになったなら

自分の心が納得できる落とし所に落ち着いてきたなら

いつか心軽やかに

その出来事から離れていけるのだと思う。

手放すとは

ストイックに自分に厳しく、
多くのことをあきらめさせる
苦行のようなものではなく

もしかしたら、
心にやわらかな風を吹かせて

それでもいいんだよ。
もう大丈夫だよ。

という、自分の心や感情を
優しい光で包むような事なのかもしれないなぁ。

と、つらつら考えていた。

ねえ。幸ちゃんは、どう思う?
😾あー。そんなことは
どーでもいいかなぁ。

サポートありがとうございます。これからも頑張ります。🐈✨