アイマス学会に救われた話

・はじめに

 アイマス学会FESお疲れ様でした、オミ~です。主催メンバーの一人として参加させて頂きました。これはただの思い、感想、心の声の殴り書きです。何分、ブログで文章を書くのが数年ぶり(mixi以来?)ですので荒があると思いますが、お付き合いいただけたら幸いです。

・FES企画立ち上げまで

 実行委員長のKeyさんに打診を受けたのは2020年12月になりますが、個人的な経緯を先に話させてください。身の上話になるので読みたくない人は次の見出しまで飛ばしてください。

 話は数年前に遡ります。当時、精力的にPオフ会に参加しており、知り合いも加速度的に増えていました。活動頻度も高く、充実していました。そう、勘違いしていたのです。

 何円課金した、順位が何番だった、セトリのここが気に入らない、厄介行為・・・といった、過激な話題が多いクラスタでした。知らず知らずの間に心労が溜まっていきました。そこに本業による残業ラッシュ。心の支えだったライブでも、あまり楽しめない。Pを辞めるまでには至りませんでしたが、モヤモヤした期間が続きました。

 その中で、一人の恩人と出会いました。彼と会っていなければ、今の私は無いでしょう。それから今回の主催メンバーのわっとう。くん、こがね(仮)さん、他数名の仲間と共に、ノリと勢いで2019年12月に北九州学会を開催することになりました。同時期にKeyさんとも知り合い・・・1年後、FES企画が立ち上がります。

 前述の通り、一度仲間付き合いに失敗し、救われ、新たな仲間と出会った。ここでまた失うようなことはしたくない。これが、プロフ帳に書いた座右の銘、「手の届く限り平穏であれ」に繋がります。これはミリオンのような「ひとりも手放さない」というものではなく、「合わなければ排除する、または去る」方向の思いでした。それ故に企画立ち上げ時は結構な警戒心を持っていました。しかしそれは杞憂に終わるほどに、委員会は素晴らしいメンバーに恵まれていました。

・FES開催まで

 12名の委員会メンバーは全員が主催または発表経験があるドリームチームでしたが、それゆえに個(我)が強くぶつかり合いが多発、議論が白熱して話題が逸れることも多々ありました。私の仕事はその辺をうまいこと調整することでした。メンバーにもお褒め頂くので上手くやれた・・・と思っています。

 委員会は最年少が20歳程度、最高齢が私で3X歳という一回り程度の年齢差があり、会社であればかなり気を遣う必要があったと思います。しかしそこは趣味で集まった仲間たち。お互いを尊敬し、敬愛し、対等に扱うことが出来ていました。趣味だからこそ、理想を追い求めることが出来た。これが仕事なら無理だったでしょう。いやほんまに奇跡のバランスでした。

 4月になり、あとはやるべきことを成すだけ・・・となったタイミングで、シャニ東京ショックでメンタルが死んでしまいました。いや、飛行機で東京着陸したら無観客開催連絡とかそんなギャグみたいなことある????2週間くらいは引き摺りましたね・・・最低限の仕事はしてましたが、フォローにも回れずにメンバーにはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。この辺が響いて最終週までなんやかんやバタバタでした。余裕あるスケジュール組んでて良かったです。

 機材班はNestleさんのnoteにもありましたが、トテモツヨイ面子に恵まれていました。私はベースとなる知識はありましたが技術と経験がありませんでした。バリバリと手を動かすNestleさんと兎爺さんのどちらかが動けなくなった場合のバックアップができるように開催1週間前までは備えていました。どちらも問題無さそうなので2人の手が回らない箇所を担当することになりました。ちゃんとした補完体制を作っていたからこそ、素晴らしい画面にできたと思います。

・FES当日

 当日の仕事は以下の通りでした。
  1.発表動画のバックアップ
  2.YouTubeのコメント管理(モデレーター)
  3.YouTube、Twitterのコメントをピックアップ、質疑応答時に画面反映
  4.司会
1~3を全部一気にやろうとしたらPCのCPUが100%になりましたね・・・iPadと分担してやってました。つよつよPCが欲しい。環境はこんな感じ↓

画像1

そんでもって初日の1番手の司会だったので1~4をしょっぱなから全稼働するハメになり、頭がパンクしかけましたね。みんな当日のタスク量はちゃんと計測しような・・・心配されて2日目には3のTwitterピックアップ部分を委託したのでだいぶ楽になりました。感謝。

・FESを終えて

 いろいろありましたが結果としてめちゃくちゃ楽しかったです。この歳になって友人と、仲間と大きなことを成し遂げるなんてこと、そうそう出来るものではありません。終わったあと完全にロスに陥り、FESの動画をずっと見返してます。寂しい・・・。
 ここでお世話になったメンバーに一人ずつメッセージをお送りしたいと思います。

和海さん
直近では一番褒めて(心配して)貰いましたね。心の支えになりました。
的確な意見出しとプロミの死に様のギャップがよかったです笑
いつか「光」で共に逝きましょう。

Nestleさん
人間が出来すぎでは??年齢詐欺では???っていつもなってました。
知識、技術、タスク管理、リーダシップ、どれを取っても素晴らしいものだったと思います。と言うと「いや遅れてたし・・・」と君は言うと思いますが、リカバリーできているのでちゃんと誇ってください。

あくにんさん
我らがムードメーカー。ちょっと暗くなってもあくにんさんの明るい声に励まされたことは数知れません。劇中劇発表も本当に頑張ってくれて、発表中に泣きそうになってしまいました。いつかsideM現地でお会いしたいですね。

こがね(仮)さん
主催メンバーの中では一番古い付き合いですね。付き合いの中で「ただ一生懸命なんだな」というのが分かってよかった。最近ではお兄ちゃん扱いされてすこし困惑しております笑 そして成長著しいなぁって感じてます(何様)ミリオン学会もこがねさんがいれば大丈夫でしょう。

めんくんさん
委員会の癒し。angel ok…☺の圧倒的ミーム力。褒めの力って偉大なんだなって思いました。めんくんさんやあくにんさんこじかさん和海さんあたりが積極的に「えらい!」って言ってくれて、全体の雰囲気が明るくなっていたと思います。かと思えばちゃんと技術を持っていたり、実は一番のマルチプレイヤーでは??

わっとう。くん
これ省略で良くない?というのは冗談です笑 多分メンバーの中で一番しんどかったのではないかなと思っています。対等に見るからこその厳しい当たりだったので許してちょ。今回でかなり学べたと思うので、今後に生かしていきましょう。

ソフテニマンさん
Nestleさんが最前衛なら最後衛を担って頂けたと思います。一番面倒くさいところを根気よくやってもらい感謝しかない。待ちに待った某格闘ゲームもそうですが、今後ともよろしくお願いします。

ランナウェイ☆小鹿さん
結果的に「ヤバイ奴だけどちゃんとインテリの側面もあるけどオモロなんだよな」みたいな評価になりました(?)思いをちゃんと整理してぶつけて議論してくれるので、今思うと結構楽しかったですね。そしてデザイン本当にお疲れ様でした、機材班一同御礼申し上げます。

兎爺さん
機材班トテモツヨイユニットの自称お茶汲み、お前のような力技が武器のお茶汲みがいてたまるかですよ・・・機材の面倒なところを受け持ってもらって感謝しています。master songの使い手として今後もPをころころしてください。

朧灯さん
馴染んでいけばいくほど切れ味が鋭くなるのほんとすごい。妥協しない姿勢はとても見習いたいと思いました。ただ生活習慣は割と真面目に心配ています、ちゃんと寝てください(老婆心)

Keyさん
立ち上げから半年、構想からはそれ以上になると思います。本当にお疲れ様でした。私を入れるということはブレーキ役だな?ということは感じていたので上手くやれたと思っています。この歳になって稀有な体験をさせてくれてありがとう。

・最後に

 学会を通じて、一度折れかけたPとしての心が立ち直り、新たな仲間と親睦を深めることができてとてもうれしかったです。Pになっていろんな人に会いましたが、自分は知と理(たまに狂気と幻覚)で話す人がやはり好きなんだと再認識できました。今後も学会の活動には定期的に係わっていきたいですね。そこの君、熱量さえあれば軽率にツイプラを立てるんだ、さあ早く。


 それではまた、どこかでお会いできれば幸いです。


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