人が問う理由と識字能力
皆さんこんにちは、エスネコです。
今回は推論が主軸の短文noteです。
(※ここから敬語が外れます)
人が問う理由
ここでは、僕が疑問に思った「人が問う理由」を
主観的に推論することが目的である。
では、さっそく本題に入ろう。
僕が考えた、人が問う理由は次の二つだ。
・興味があるから(知識欲、知的好奇心)
・問題があるから(生存欲)
二つの理由の共通点
これら二つには、
「人が対象を認識している」という要素が共通している。
興味の場合には、
話を聞いたり、不思議な現象を見たりすると、
「聞いた話」や「起こった現象」に興味が湧いてくる。
問題がある場合は、
何かを行う上で、問題が生じたから考え始める。
つまり、人間の行動がなければ、問題は問題であると認識されない。
このように、「考える対象」を人間が認識できないと、
人は問うことができない。
問うことと識字能力
そして、僕が考えた説がある。
それは、次のものである。
対象を認識することには、識字能力が関係しているのではないか。
言い換えると、
「考える対象」を知るには、
読み書きが大きな影響を及ぼしているのではないか。
僕だけでは実証実験はできないゆえ、
このことは推論で検証する。
ある男性Aがいるとする。
そして、彼が
①読み書きができない場合と、
②読み書きができる場合がある。
①の場合、
興味を持つには、誰かから話を聞く、ある現象を目視する、などがある。
問題を考えるには、問題に直面することがある。
②の場合、
興味を持つには、誰かから話を聞く、ある現象を目視する、に加えて
過去の記録や文献を読み好奇心が湧く状況が考えられる。
問題を考えるには、問題を記録したものや報告書を読むことで、
問題について考えることができる。
このように、「考える対象」を認識する上で、
読み書きができると、「考える対象」を認識する確率が増加することが分かる。
また、推論を行う上で、
自分の考えを書き留められると、考えることが容易になるのは
想像に難くない。
結論
結論は、「識字能力によって、問う可能性が変化する」である。