水で優しさは測れるか

これ考えたきっかけが、今朝ツイッターで見たついーと。
後輩とラーメン屋に行った人が、セルフサービスの水を自分の分だけを取ってきた後輩に「同席する人の分まで水を持ってくる気遣いがあった方がいいよ」と言った、というツイート。

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いや、あの、どういう意味でしょうか…?リプ覧も未知の世界で、ほえーこんな世界もあるのかーといつぞやの支部で特殊性癖界隈に迷い込んでしまったときのような眩暈を起こしたよ…
なんだこのもやもやする世界


テーブルの人の水を注ぐ、という慣習。私はサークルの人たちとご飯を食べに行って、先輩がやっていたのを見て覚えた。私の感覚では、これをおかしいと思ったことはないし、なんで自分ばっかり注がなきゃなんねーの、って思いもしなかったな。これからもしないし、一応氷入れるか入れないかは絶対聞く。私みたいに氷なし派がいるかもしれない。そう、自分が氷なしがいいから率先して行くというのもある(笑)あと、何かやっていないと落ち着かない。


味の好みやアレルギーを把握するほど、何度もご飯に行った人たちの中には、確かに水を持ってこないタイプの人、というのは一定数いる。じゃあその人を気遣いできない人!優しくない人!!と名指せるのかと問われると、私には無理。

「同席する人の分まで水を持ってくる」ということを「自分ができる相手への優しさ」と捉えているのは自分と、そう思っている人たちだけであって、自分の物差しをもって他人にレッテルを貼ることって、意識的でも無意識にでも、危ないことだと思う。


一緒にご飯を食べるというシチュエーションで発揮されるそれぞれの気遣いって、同席する人が初対面で、それでも沈黙で緊張させないためにたわいもない話を振って場を温めることだったり、目上の方が混ざる場でも人を立てつつ話を進めることができるとか、コミュニケーションや他の方法で表されることだってあるはず。
(それで言っちゃえば水持ってきて食器渡すだけして後は黙ってにこにこ相槌打ってる私は、場に「優しく」してないよなあ、って自嘲も込めて書いておく。)



まあ、水を持ってこない、という事でこのツイートの主は怒ったわけではない、と信じたいし、もしかしたら怒る人と一緒にご飯を食べにいくかもしれない後輩を気遣って言ったことかもしれない。
でも、相手に自分の価値観の気遣いを押し付けるってどうなんだろうって思った。

私のこの考え自体も押しつけかもしれないけれども、インターネットって手軽に違う意見をも閲覧することができるから便利ではあるね。

(2018,6,28微修正)

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