「普通」が欲しい

3.11ですね。
私自身は被災者でもなんでもないのですが、この3.11の「特別感」がきつい人です。
あ、うん。被災者の気持ちがわからないのかとか、そういうんじゃないんですよ。

あの日、地震がありまして。東日本がぐっちゃぐちゃになったのを見ていたのですよ、TVで。

東北は津波に飲み込まれる。
東京はエゴに飲み込まれる。
そんな映像ばかりをTVは延々と流し続けていてね。
しかも全チャンネルそんな調子で、さらにいうと震災の鬱々した映像以外を見たいと願っても見せてはくれないわけで。
TVを消しても、「悲惨な震災」の話以外受け付けてくれない世論に嫌気がさして。

2週間ほど、旅に出ました。
車で移動したけれど、ラジオですら「被災者頑張りましょう」の連呼で辛くって、ひたすら音楽かけてました。

あの時は、被災地を直視しないと非国民的空気があったわけですよ。被災地かわいそう、被災地のために何かしないと!って空気が苦しくて。

今でも、この時期になると一斉に報道する東日本大震災特番が、トラウマです。
もちろん、TVはあの災害を忘れないようにするって義務感はあるでしょう。未だに元の生活に戻れず苦しんでいる人もいるでしょう。そこは否定しちゃいけないし、苦しんでる人は助けたいと思う。

ただ。
ただね。

災害の直接的被害者ではない、震災報道の被害者がさ、3.11という日から目を背けることだけは許して欲しいんだ。
「普通」の生活を送ることを許して欲しいんだ。

ワガママだけど、辛いんだよ。あの日をわざわざ振り返るのが。


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