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神原駿河はあこがれだ。

神原駿河が好きである。正確には好きであるというよりは、あこがれている。あんな風になりたいと思っている。神原は自分の欲望に対して素直であるし、そのことについて自覚的に語れる存在である。

実際、忍野メメには「エロっこちゃん」として認知されているシーンもあったし、阿良々木君も神原のそんな言動について、ヶ原さんに相談していた。他にもBL作品へのこだわりをためらないなく出すような場面もあった。

自分自身の欲望について、素直に動いているように見える。すくなくとも、好きなもの(BL)をきちんと言葉にして語っている。語っているというか、魅力的な表情をしてその辺縁を語っている。

その人が熱量をもって語るシーンを見ていると、その人のことを知れる気がして好ましく思う。これは、自分の好みに自覚的になりきれないから憧れているという面もあるかもしれない。
また、熱量をもって好みを語れることは、誰かが勝って誰かが負けるような構造でないのも好きなのかもしれない。誰かが勝って誰かが負ける構造で、勝ちに夢中になりすぎて、負ける誰かを連想できないのはどことなく嫌である。

なんか、ちょっとカッコつけて言うと、トレードオフみたいな状況から抜け出したいのかもしれない。両取りができるようにしたいのである。偏愛を語るのは(少なくとも私にとっては)うれしいことだし。語ってる人にとっても楽しそうである(ことが多い)ので、勝手にwinwinだと思っている。

神原駿河は、バスケ、陸上において勝負という世界でも勝てる設定のある人である。その人が語る偏愛だからこそ魅力的に見えるのだろう。勝ち負けみたいなものへのこだわりと、それと別種のこだわりがあるように見える。どっちから逃げてるわけでもなく、どっちも見ていてカッコよく映るのである。

(トップ画は2年ほど前の西尾維新大事展にて撮影させていただいたもの。)

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