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いいちこのコピーが良い

まずは画像を見て頂きたい。僕は酒は飲まないし写真やデザインについてはセンスも知識もないので、「昔のように 夏を待っている。」の文章にだけ注目してくれれば良いです。


良いですね。とても良いです。この短い文章の良さは、僕が20年間テキトーに培った全語彙力を総動員して、それなりに話好きな僕が10時間喋り倒そうとも到底表現し切れるものではありません。無限に溢れて止まらない良さのうち僕の安っぽい琴線に触れて僕の薄っぺらい語彙力で出力できるものをできる限り書いていこうと思います。

渋め?のお酒のコピーであることが良い

僕はお酒をまったく飲まないのですが、いいちこを飲んでいる層のイメージとしては「お酒を飲めるようになったばかりの可愛い女の子」ではなく、「至って平凡だけれど、誠実で優しくて芯の強いお爺さん」ですね?
これに対しての「昔のように」がとても良いです。ここでの昔は90%くらいが少年時代で、10%くらいは20〜30代、つまりある程度幅があっていいものだと解釈したのですが、仮に100%少年時代を指していたとしても「子供のときのように」より「昔のように」の方が良くないですか。「子供のときのように」だと、「自分にとって印象的な思い出のある夏」、つまり事実が具体的に想起されてしまうと思うんですよね。もう朧げである記憶を辿ることに集中してしまう(それでも十分にエモいが)。それに対して「昔のように」というやんわりとした誘導であれば、「夏というだけでどことなく楽しかった気持ち、夏と聞くだけでなんとなくワクワクした気持ち」といった、感情をメインに思い出すことができると思うんですよ。
ちなみにこの表現にすることで、「若かりし頃」が完結していない若者でもなんとなく感傷に浸れる効果はあると思います。僕は若者なのでいいちこの写真を見ながら「これを熟年の人が聞いたら染みるんだろうな」という想像でものを書いていますが、他人事ではない懐かしさを浅薄ながらも感じた上でこのコピーに感動しているはずなので。


夏を「待っている」が良い

小さい頃って時間の流れが遅いし、夏は夏休みで色々楽しみで、それはもう文字通りに夏を待っていたような気がします。それがいつの間にか、時が経つのは待つものから追われるものになってません?
夏を「待つ」という表現は、些細なタスクに囲まれた日常を少し遠ざけてくれます。日中は忙しく時間に追われていても、日本酒をゆっくり飲むときは時間を待つように優雅に落ち着いているの、まさに大人の余裕って感じがしますね。

夏を楽しみにしているとか、夏を喜んでいるとかではなく、待っているという表現であることもポイントですね。
俳句やらコピーって基本的には「言わなくても伝わることは言わずに想像させる」ことで、「ついでにその周辺やそのときの気持ち」まで想像させてじんわりとした感動や感傷に持っていくものだと思うんですね。その点、「待っている」と書くだけで「楽しみに待っている」という感情が誘われるのはとても良いコピーなのではないでしょうか。

これは「夏は楽しみだった」という共通認識に基づいているのですが、それが共通認識であることもこのコピーを見て初めて実感するんですよね。
突然ですが、夏ってなんであんなにワクワクするんでしょうね? 僕は個人的に夏が好きですが、夏が嫌いな人もなんやかんや夏特有の高揚感はあると思うのですが、どうですか。なんというか、体中の分子がめっちゃ振動してるような、一度エンジンがかかったら止まれなくなってしまうような気分になりませんか。
こういう、人に共感してもらうものでもないような個人的な感覚を、「多くの人に共通のもの」であると見出してコピーにすることで伝えているのはとても秀逸だと思います。ひとりで生きていくことが多くなった大人にとって、夏が楽しみだったのは自分だけじゃないんだなという謎の安心感や一体感は長く心に残りますね。


結局、夏が楽しみな気持ちは本能or条件反射で一生ついてくるものだとは思うんですが、やっぱり少年時代の「夏マジで楽しみすぎ」みたいな感情はもうやってこないはずなんですよ。それを懐かしさ越しに思い出させ、懐かしさを挟まないと見られないことを感じさせる。「大人らしさ」が強すぎて見てるこっちまで大人になっちゃいまして、ついこの間までしっかりガキだったのにこんな感想文を書くに至ります。


これもっとちゃんと歳とってから見たらもっともっとエモかったのかなぁ!エモいが古い言葉になるくらいの未来にも同等にエモいコピー出てきてくれ〜マジで!

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