交換コラムNo.33 「青木まりこ現象」の向こう側

「青木まりこ現象」とは、1985年に雑誌『本の雑誌』の読者欄に投稿された「本屋に行くとなぜか便意を催す」ことについての葉書から、投稿者の名前に基づいて命名された現象らしい。

下北沢でラーメンを食べ、次の予定までの時間に文庫本でも買おうと古本屋に入った僕にも、その現象が起こった。

最初は便意「のようなもの」が下腹部に、違和感のボールとでも言うべき感覚で発生し、それには気づかないふりをして本棚を覗いていた。しかし、段々とその違和感のボールが大きくなっていき、「日本人作家・む行」の棚になって遂に無視できないレベルの大きさになった。ここへきてやっと、潔く便意の存在を認め「ここを出てトイレを探さなくては」と我に帰った。尻を妙にひきつらせた競歩選手の歩き方で下北沢を歩き回り、ウェンディーズのトイレで大きなため息と共に用をたした時、額から大粒の汗が垂れた。

ここで、ある記憶が脳裏を去来する。

幼い頃の自分にとって、近所の本屋が一番の娯楽施設だった。本屋といっても本だけを売っているわけではなく、ビデオ・CDのレンタルや、文房具を売っていたり、携帯電話の契約もできたりする複合的な店で、当時の自分にとっては「全てがそこにあった」と言っても過言ではない。レッチリもニルヴァーナもボブ・マーリーのCDも全部この店で借りたし、初めての携帯電話もこの店で契約した。

まだ小学校低学年の頃、その本屋での出来事である。
夕食も終わった20時、いつものように親に車を出してもらい、その本屋へ行った。店内に入り、CDコーナーを物色した後に匂いのするカラーボールペンを試し書きし、漫画コーナーをふらふらと歩いていると、あの感覚がやってきた。便意である。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と足をクロスしながら最新のジャンプを読んでいると、みるみるうちに便意が大きくなっていく。「そろそろだな」と思ったところで、店舗入口近くのトイレまでスタートを切った。トイレの位置とそこまでに要する時間は計算済みである。競歩のフォームで華麗にトイレへ向かうと、トイレは空いていた。たしかに空いていたのだが、中には先客がいた。30歳くらいの坊主頭の男で、なぜか鍵を閉めていなかった。しかも、和式便所に対して後ろ向きにしゃがんでいたため、僕と目が合ってしまった。彼は、悲しみの中に少しの怒りと非難の色が混じった、うっとりとした目で僕を見つめた。そうしてそのまま、無言でもりもりとウンコをひり出していた。こんな時にブルースでも流れていたら最高なのかもしれない。僕はそっと戸を閉め、本屋の入口で腹痛に悶えた。結局彼はトイレから出てこず、僕の方からも再度トイレの扉を開けることはできず、自宅に帰るまで便意を耐えることになった。

あの時の30歳くらいの坊主頭は僕だ。ウェンディーズのトイレで大粒の汗をかきながら、そう思った。きっと彼も「青木まりこ現象」に襲われ、慌てふためくままにトイレに飛び込んだに違いない。一体彼に何ができただろう。
今の僕になら分かる気がするのである。

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