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22歳童貞という現実、それしかしない 第46回 かつお

わかめさん、こんばんは。かつおです。

お久しぶりです。長いあいだ、日記の更新をサボってしまい、すみませんでした。理由はただ僕の怠惰ゆえです。ニートのくせに毎日、腹は減るし、眠気に負ける。時間は有り余っているくせに、ちょっとした怠惰にも勝つことができない。僕という人間の自然状態がいかに無惨か、身にしみる日々です。
自分で一時的なニートの道を選んだくせに、馬鹿みたいですよね。最近は早く仕事が始まってほしいと思ってるんです。自由を減らして、仕事の困難にぶちあたって「俺の、この苦しさは俺だけのせいじゃない、俺だけのためでもない、自慰行為なんかじゃない」って少しでも思いたがってる僕がいるんですよ。苦しさ自体はある程度受け入れても、苦しみの責任逃れがしたいんです。現在の甘ったれている自分への後ろめたさや自己嫌悪の苦しみは、完全に自業自得であり、自己正当化のためでもあり、そして何も産まない。どうしようもなく、しみつたれてしまいます。

だからでしょうか、最近になって思いました。当たり前のようですが、僕がしっかり生きていくためには他人の存在が必要なんです。僕には自分で自分を律して生きていく強さなんてない、他人との関わりのなかでしか自分を律することができないんだと思います。例えば他人と自分を比べたときに生じる劣等感、他人に喜んでもらいたいという承認欲求、そういった力に頼って自分を駆動させないと、自己肯定と上昇の循環に入れないんです。泥沼で阿保みたいにもんどりうってる僕がしっかり立つには、他人との関わりを持つしかありません。

こじつけがましいですが、僕が「恋愛」に強い憧れを持ち続けているのも、他人との関係に執着しているからかもしれません。いややっぱりそこはただ単に僕が童貞だからでしょうか。でもとにかく、恥ずかしいですけど、やっぱり僕は「恋愛の成就=至高の幸福」みたいなイメージを捨てられないんです。恋愛感情や性欲が沸きたつときだけが、つまらん自意識のようなものから抜け出し、頭のなかを一色に染めあげることができるんです。それだけで狂おしく、形容しがたく高ぶる気持ち、ましてやその気持ちを好きな子が受け止めてくれたら。そう考えると、恋愛の成就以上の幸福なんてないように思えます。恋愛がない人生なんてスープがないラーメンみたいなもんじゃないですか。それなのに僕は今まで何をしてきたのでしょう。本当に好きな子に告白すらしたことがありません。
最近繰り返し読んでいる『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』という本からの孫引きになってしまうのですが、坂口安吾は「恋愛論」というエッセイのなかでこう書いています。僕はこれを読んだとき、まことにその通りだなあと賛成すると同時に、うすら寒くなりました。少し長いですが引用します。

恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ。
若い人たちは同じことを知っていても、情熱の現実の生命力がそれを知らないが、大人はそうではない、情熱自体が知っている、恋は幻だということを。
(中略)
教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまっているが、さればといって、だからするなとはいえない性質のものと、二つである。
恋愛は後者に属するもので、所詮幻であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質のものである。それをしなければ人生全体がなくなるようなものなのだから。つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ。

恋愛感情の高ぶり、あの四六時中、胸が張り裂けそうな気持ちの言い表しようのない素晴らしさは身に覚えがある。でも僕はそんな「情熱の現実の生命力」が自意識や自己防衛の壁を完全に越えたことがあっただろうか? そして、もうすでに「情熱の現実の生命力」を持ちえない「大人」に近づきつつあるのではないか? 実体験をともなわない空疎な教訓で脳内が埋め尽くされた僕に、それ以外の何がどうなってもいいと思えるような恋愛がこれからできるのか?

そう考えると、喪失していないものが多すぎて困ってるはずなのに、ひどく恐ろしい喪失感にさいなまれます。時間は前にしか進まず、「自分がやれたかもしれない可能性」をいくら考えても、現実の人生はこの一つしかありません。現に僕は童貞であり、ただその、童貞である今までの人生だけがぽつんと存在する。一つしかないこの現実、それ以外の可能性なんて存在せず、本当は、考えるに無意味です。

そしてそうだとしても、これを書きながら、じくじくと気づいてきたのですが、僕は、わかめさんにずっと激しく嫉妬していました。この日記ではわかめさんの熱い恋愛談に僕の冷めた目線と鬱憤をこめたコメントをするのが僕の役割、なんてえらそうに考えていましたが、違うんです。ただ自分の嫉妬から目をそらすための手段だったのです。

自分でも無意識に押し込めていた、本当の本当を書くならば、僕もわかめさんのように「現実の生命力」が自意識や常識を乗り越えるような恋愛がしたい。いや、「こんなことをしたい」と考えることすらない、感情の大波に突き動かされるがままの恋愛をしたい。死ぬほどわかめさんが羨ましい! 狂おしいほど恋愛がしてみたい! でもできない! 偶然と必然で「こんな風」になっちまった以外ありえない俺の現実の人生なんてこりごりだ! ふざけるな! こんなにどうしようもなく、行き場のない憤りのようなものが湧いているのは久しぶりです。   

次回書くのは仕事を始めた後になるでしょうか。ちなみに働く場所は地方の山奥になりました。今までサボっておいて言えた身分ではないのですが、今後もど田舎から書き続けていくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

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