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僕はナルシスト 第24回 かつお

こんばんは。かつおです。

長い間、交換日記をサボってしまってしまい、本当にごめんなさい。

「書く内容が無かった」という言い訳をするつもりはありません。

正直、書くのが怖かったんです。今までわかめさんに向けてわりと厳しいことをここで書いてきたつもりですが、書いてる本人の僕はというと、ひどく甘ったれていることに気づいちゃったんですね。もう、今までどこのどいつがこれを書いていたのだろうってくらいクズ野郎なんです、僕は。わかめさんに偉そうなことを言う資格なんてありません。

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僕の最近の悩みの発端は、すごくありきたりで、漠然としたことです。

他人と上手くコミュニケーションが取れないってことなんです。

自分で思いつくままに話すと、支離滅裂になったり、他人を傷つける言葉を安易に放ったりしてしまう。
逆に「これを言ったら相手はどう思うのか。そもそも今から自分が言うことは本当に自分が言いたいことなのか」と考えて慎重に話そうとすると、頭の中で自問自答ばかり進み、自然な会話のキャッチボールができなくなってしまう。

もうどうしたらいいのかわからないんですよね。今まではそんなとき「自意識やばいな〜」と外側から自分を冷笑することができたんですけど、最近もう本当に心の底からやばいんです。「自然体で話すってどんなだっけ?」って思うくらい、人前で上手く言葉が出てこない。これを言ったら相手は不快かもしれない、相手に嫌われるかもしれないと考え過ぎちゃって、加害妄想、被害妄想が暴走してしまうときもあります。

そしてある日、昔から仲がいい気が置けない友人についつい話したんです、この悩みを。そしたら親切に、コミュ力を上げるための具体的な方法論、アドバイスを沢山くれたんですね。

このとき、気づいたんです。根本的な問題に。

僕、こんなコミュ障な自分を変えるための具体的な方法論を、心の底では全く求めていないなと。だってひどいことに、その熱心なアドバイスを聞きながら、僕の心の中は「そんなこと言われてもなあ……」と渋るばかりでした。

一番の悩みを解決させたくないとはどういうことか? その日、家に帰ってよく考えたんです。そしたら疑念がわいてきました。「僕はウジウジ悩むことが実は大好きなんじゃないか?」と。

もっと言えば「ウジウジ悩んでいる自分を愛しているのではないか?」と。

そう仮定すると、いろんな整合性があってしまいました。

友人と話していて、一番ポジティブな気持ちになれたのは「でも、そこがお前らしくていいんじゃない?」みたいに言われたときだった。悩んでる自分を肯定してもらったときに喜んどるやん、俺。
ワカメさんに「自分のなかの迷いを取り除くために、人に相談するな」と言っておいて、僕は完璧に他人を自己肯定の道具として使っていました。

自分が嫌だから変えたいとは本当に思っている。でも実際に自分を変えることはハードルが高い。怖い。めんどうくさい。このアンビバレントな気持ちを解消するにはどうすればいいのか? せめて心のなかで悩んでおけば「今の自分を認めず良い方向にむかおうとしてる」という地点で安定できる(欺瞞に満ちてるけど)。だから僕は悩んでいないと落ち着けないし、悩むことが好きなのだ。

ウジウジ悩んで自己否定することで、自己愛を深めていく、僕はとんでもなくタチが悪いナルシストなんです。もうこんな自分が嫌で仕方ありません。どうすればウジウジ悩まずにすむんでしょう?

こんな風に「悩む自分を愛することを止めたい」と悩む自分も愛してるんですよね〜、多分。堂々巡りです。

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この悩みを考えていると、何かを見逃して、ただただ、どツボにはまってる気がしてなりません。

10代にありがちな痛々しい悩みが、20代になってから逆に肥大し続けており、自分で怖いです。



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