有名作家はみんな_盗んで上手くなった

有名作家はみんな、盗んで上手くなった

お世話になっております。素人以上作家未満の管野光人です。

みなさんは小説を書こうとして、どんな文章を書けばいいのかと悩んだコトはありませんか?

いわゆる「自分の文体」というヤツですね。

自分はいまだそれで悩んでいます、恥ずかしながら。

スラスラと文章が書ける人が羨ましいと妬んでいます。ええ、怨み手帳に書き連ねていますとも。

それでは、どうすれば文章が上達するのか考察してみましょう。


「凡人は模倣し、天才は盗む」のか?

有名なパブロ・ピカソの言葉に「凡人は模倣し、天才は盗む」があります。

凡人は真似るだけで終わり、天才は盗んで自分のモノにする。っていう例のアレですね。

これは小説の世界でも例外ではありません。

「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉の作品が発表されると、作家志望の輩が書き写していたというのは有名な話です。

他にも『壬生義士伝』の浅田次郎さんがやっていたし、『天地明察』の冲方丁さんも書き写した文末をいじるのが面白いと紹介していました。

以前セミナーに参加した際、直木賞作家の石田衣良さんが「まずデビューしたかったら模倣しなさい。自分もソレやりました」と説いていました。けだし名言ですね。

自分もまず初めに、好きな作家の書籍を模写ならぬ「模書」をしました。


「模書」をすると効果があるのか?

ところが、このように有名作家のエピソードを紹介しても、模書を実践する人はいません。50人いたら、せいぜい1人が関の山でしょう。

まず訊かれるのが「それをやって効果がありますか?」

『黒い家』や『悪の教典』で有名な貴志祐介著『エンタテインメントの作り方』(KADOKAWA)で、次のように述べています。

昔からよく言われる鍛錬法のひとつに、優れた作品を模写する、書き写してその文体の特徴を学ぶというやり方がある。たしかにそれで身につくこともあるかもしれないが、正直なところ効果のほどは疑問だ。

それを端的に書いたマンガを紹介しましょう。

楠みちはる著『湾岸ミッドナイト C1ランナー(11)』 (ヤングマガジンコミックス)の一節です。

「ジャンルは問わない。半年の間に一番好きな本を1冊まるごと書き写してくる。それもできれば手書き…で」「でも半年後、その宿題をやってきた者は一人もいない。時間がない。本を丸写しする意味が読めない。なぜ手書きなのかわからない」「結局、地味な作業はしたくないわけですよ」

主人公が昔の雑誌を書き写している努力に対して、元ライターの女性CEOが世間論を語ったセリフです。この漫画、あくまで改造車マンガですが。

誰でも見返りのない行為は嫌なものです。

それでは有名作品を書き写す行為は、はたして見返りがあるのでしょうか?


模倣する見返りって何?

模倣する見返りについて、先の女性CEOは言っています。

「実は才能って、最初からはっきりあるモノじゃなく、何かのキッカケで目覚めるのよ」「そのキッカケでいちばんが、実は模倣なの」

なにも「才能の目覚める」まで行かずとも、模書にもメリットがあるコトを発見しました。

自分の感性に合った作家の作品を模書しながら、自分が読みやすいように変えていくのです。

例えば、文末の「た。」「だ。」が連続するセンテンス(文)とか、セリフのあとの「〇〇は言った。」とか、読みやすいように変えるのです。

これをするコトによって、有名作家よりも精神的(ここ大事!)に優位に立てます。あんなに売れている作家でも、自分のほうがもっと書けると自負できるのです。

それに模書するコトによって、作品を書き上げた達成感も味わえますよね。


「盗む」という行為を考えてみよう

自分が模書しているのを紹介しましたが、そこで実感した「盗む」という行為を述べたいと思います。

自分だけの文体で悩んでいたころ、模書する対象をトルーマン・カポーティに定めました。カポーティというと『ティファニーで朝食を』で有名な作家ですね。

自分は『クリスマスの思い出』のイノセントな雰囲気が好きで、彼の文章をノートで5冊以上も書き写したものでした。

そんな無謀な行為をして、馬鹿な自分でも気づきました。いくら文章を書き写しても、それが自分の文体として身に刻まれないと。

詰まるところ、文体とは「作者の心」です。いくら文章を模倣しても、自分はカポーティの人生を生きられません。

それで彼の自叙伝に行きあたるのですが、そこで紹介される幼き日のカポーティは、およそイノセントには程遠いものでした。

それでまた気づくのです。カポーティの文章は、自分の心情を演出しているのだというコトを。

それならば、彼のごとく「心の演出方法」を盗めばいいのです。いくら頑張ろうが、自分の人生は1つだけ。カポーティの人生は模倣できません。

それでも、先人の演出方法を分解して解析すれば、自分だけの技術として残ります。

それが自分だけの文体となり、作品に反映されるはずです。それが盗むという意味だと思いました。

もちろん、盗むのは1人だけでは不十分でしょう、自分はカポーティだけではなく、赤川次郎さんやクライヴ・バーカーさん、漫画では楠みちはるさんから羽海野チカさんまで吸収している最中です。

それら複数の作家の人生を分解する行為がケミストリーとなり、精神的にも人生的にも成長するのが「盗む」という行為だと思いました。


文体に完成はありません。

それは死ぬまで人生の道程に終着点がないのと同じです。

みなさんも人生を切磋琢磨して、文体を進化させようではありませんか。

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