見出し画像

その原稿ちょっと待った『プロになるための文章術』

お世話になっております。素人以上作家未満の管野光人です。

今回の本は、おっかない。

ある種、紹介したくない書籍ですよ。


優れた文章の規則はない。しかし、悪文を避ける技法はある

画像1

それはノア・リュークマン著『プロになるための文章術──なぜ没なのか』(河出書房新社)です。

原題は『5ページ読めば:没にされないための文章術』です。

著者のノア・リュークマンとは、ニューヨーク在住のリテラリー・エージェント(著作権代理人)ですね。

それよりも本書と出逢った経緯は、訳者である池 央耿さんに注目していたからです。

SFの金字塔『星を継ぐもの 』(創元SF文庫)の訳者として有名ですが、自分はクライヴ・バーカー著『アバラット』(ソニーマガジンズ)を読んで、その語彙の万華鏡に驚いたからでした(ちょっと脱線)。

さて、まずはリュークマンの前口上をご覧ください。

「優れた文章を約束する規則はどこにもない。しかし、悪文を避ける技法はある。」
「早い話、何が悪文かを知って回避する要領を開陳すること、これが本書の狙いである。」

明快ですね。

さすがは数年で1万を超す原稿に目を通しているベテランです。


そして本書の内容ですが、

第1部 序章

売り込み

形容詞と副詞

響き

比喩

文体

第2部 会話

行間

ありふれた会話

情報提供

通俗的な会話

通じない会話

第3部 作文から作品へ

見せることと語ること

視点と話法

人物造形

惹句(じゃっく)

巧妙な表現

調子

焦点

設定

流れと進行

すみません、長くなってしまいました。

どうでしょうか、そそる内容だと思いませんか?

これだけの難関を通過した原稿のみが、出版に耐えうるものなのですね。

次からは各章の気になった箇所をピックアップしていきましょう。


会話は作者の力量を容赦なく炙り出す

リュークマン自身が読む際に考慮する順序に各章を立てたとしています。

まず目を引くのは、最初に「売り込み」が選ばれている点です。

昨今はネットから投稿できるから関係ないよ、と安心してはいけません。

貴方は投稿する出版社の場所を知っていますか?

その出版社に行ったことはありますか?

編集部は何階にあるかわかりますか?

出版社の社長を知っていますか?

デジタルで投稿する時代にアナログな考えだと笑われるかもしれません。

けれども、京極夏彦さんは持ち込みデビューです。

それにデジタルは重みがない。やはり、生原稿を受け付ける編集部は称賛に値すると思いますね。


おっと脱線しました。

形容詞と副詞はここで幾度か取り上げたので、第1部は端折ります。

第2部の「会話」に行きましょう。

ここでリュークマンは告げます。

「偽らざるところ、原稿を没にするに当たってまずどこを見るかと言えば、会話である。会話は作者の力量を容赦なく炙り出す。」
「我々商売人は、そこで会話に目を向ける。かくて500枚の原稿も、評価は5秒足らずで方が付く。この判断は99パーセントまで正確である。」

ハバネロのように激辛ですね。

では、どのような会話を注意すればいいのでしょうか?

のべつ幕なしの会話

まるで作者が、ひたすらに先を急いでいる印象である。読むまでもなく一目瞭然で、たいていはその場で撥ねられる。

切れ切れの会話

流れるように進まなくてはいけない会話が冗漫な描写や、限定詞(彼/彼女)、断片的な修飾語などで遮られて停滞している例がある。

報道式の会話

作中人物の思うまま存分に語らせず、会話が常に引用の形を取る。

また、限定詞の使い方も教授しています。

誰が話しているかを読者に伝える限定詞は、なるたけ目立たず、邪魔にならず、ひっそりと働かなくてはならない。

話者がはじめて発語する時は人物の名を明示し、以後は人称代名詞を用いるのが無難である。

限定詞「彼/彼女は言った」は会話の後に置くのが一般的だが、会話の間に挿入することもある。

「私のこと、好き?」彼女は尋ねた。

「あなた」彼女は尋ねた。「私が好き?」

後の例では明らかに、彼女が念を押していることに力点がある。


次に「情報提供の会話」を取り上げてみましょう。

情報提供の会話とは、よくある「彼がいつも足を引きずっているのは、むかし冒険者だったのだが、スカイリム地方で膝に矢を受けてしまってな」とか……。

「書き手が想像力に乏しく、あるいは怠慢で、的確な表現を模索せず、単に情報提供の手段として会話を用いているもの。」

耳が痛くて千切れそうな言葉ですね。

リュークマンは対策の一例として次のように紹介しています。

会話が現在進行形中の出来事を伝える場合は、「語る」のではなく、「見せる」ことが鉄則である。

ある人物が部屋に駆け込んで「頭から血が出ている」と告げてみたところで芸がない。駆け込んで、いきなり包帯を要求するか、居合わせた者たちがいろいろに反応するありさまを描けば、読者は眼前で見る体に情況を思い浮かべるはずである。


持ち込まれる原稿の大半は作文の域を出ない

続いて3部を紹介しましょう。

まずはリュークマンの鉄槌を。

「編集者のところへ持ち込まれる原稿の大半は作文の域を出ず、この第3部に掲げる基準に照らして、作品として評価されるには至らない。」

作文に謝れ、と言いたいですが、ほとほと反論できません。

それでは、どうすればいいのでしょうか?

作者の仕事は登場人物の生きた姿を読者に見せることであって、言葉をつくして人物を説明し、あるいは、人物同士に語らせることではない。

物を言うのは人物の行為、言動である。主人公が悪党であることを語るのに1ページを費やすのもいいが、主人公に他人のポケットから20ドルを掏らせて、あとは読者の想像に任せればいい。

作者が語ることを止めて、見せる文章に宗旨を変えるべきである。


また、人物造形では次のように教授しています。

「人物描写には語彙の工夫がほしい。」
「茶色の目」と言わずに「アーモンド」、「図体の大きい頑健な男」なら「熊のよう」と表現することで印象が変わる。

ほかにも、次のような工夫が大事かもしれません。

主人公の背丈を「5フィート10インチ」と言わずに「ざっと2インチがところ、6フィートに足りなかった」と。


第3部では気になるワード「惹句」があります。

聞き慣れない言葉ですが、惹句とは何なのでしょうか?

冒頭の数行ですっかり釣り込まれて、先を読まずにはいられない文章がある。これが、いわゆる「惹句」である。優れた作家は、ほぼ例外なく、何らかの形で惹句を用いている。並みの作家と非凡な作家の違いもここにある。「今日、ママンが死んだ。昨日だったかもしれない。どうでもいいことだ」(カミュ『異邦人』)

耳ばかりか心臓が痛い言葉ですね。

だからといって、生兵法で惹句を使うのはケガの元だと伝えています。

「作家の多くが、惹句は人の目を驚かす強烈な表現でなくてはならないと考えている。」
「大きな間違いだ。正しくは、作品の基調を定めることが惹句の働きである。」

上手い惹句を使うと、その後の文章で四苦八苦する典型を戒めていますね。


あなたは誰がために書くのですか?

ここまで紹介した記事はほんの一部です。

リュークマンは対策や例文、それに演習まで載せて我々を後押ししているのです。

それが証拠にエピローグでは、もっとも心に刺さった言葉を残しています。

最後にその言葉を紹介して、拙い本文の幕を閉じたいと思います。

「ただ、本書の究極の狙いは、ひたすら出版を目指して骨身を削るように勧めることではない。純粋に、文章術そのものに専心する姿勢を説くことが本書の趣意である。作品が活字になる望みはないとわかったらどうするか、自分の胸に訊くといい。それでも書くのだろうか? 文章術の奥義を窮めるつもりなら、書く、と答えるはずだろう。その時は、綴る言葉の一つ一つが勝利である。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?