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何をもってして成功なのか

「何をもってして成功なのか」

これは自分が、2002年から2006年にかけて、オーストラリアのクイーンズランド州のリーグでプレーしていた時に思っていた事です。当時Aリーグはまだなく、NSL(ナショナルサッカーリーグ)を目指して自分はプレーしていましたが、どういう経緯でそうなったのかについて書いてみたいと思います。

2001年当時、僕は大宮アルディージャで選手としてプレーしていましたが、泣かず飛ばずで、JFLのチームにレンタル移籍をしていました。そこで何とか結果を出して新たに契約してくれるクラブを期待していましたが、事はそんなに甘くなく、その年の終わりに戦力外通告を受けました。

「Jでプレーできるクラブがない」という中で出来ることは2つ。ディビジョンを下げるか、海外でプレーするかの選択肢の中で僕は後者を選びました。当時、英語に興味があり、Jリーガーという時間を持て余す環境を利用して教室に通ってた事も理由の一つでした。

行ってからの詳細は、また機会があれば書いてみたいですが、とにかく「上手くいかない」ことの方が多かったのを覚えています。ビザ・住居・クラブ・仕事など、まあ見つからなかったです。そんな中、渡豪して3ヶ月であるクラブと契約し、シーズン途中から出場し始め、リーグ優勝と昇格の2つを経験出来ました。

2シーズン目のプレシーズンには「次の目標はリーグで活躍して、NSLでプレーする」事が目標になりました。その年は途中まで10試合で8得点を取り、得点王争いをしました。しかし、11試合目の前半にゴールした時、左足の脛骨と腓骨の両方を骨折し、途中交代しました。左足の脛から下が外側へ折れ曲がり、足首が膝の辺りにきていました。

そこから復帰するまでの2年間、自問自答の日々が続きました。「一体何が悪かったのだろう、自分は上を目指してプレーしてただけなのに、何故こんな目にあわないといけないんだろう」考えるのをやめようしても同じ想いが反芻しました。

その頃の生活は午前に大学のジムでリハビリをさせて貰い、午後からはサッカーコーチのアルバイト。当時27歳で、周りは結婚だの、昇進だの言ってる時に一人「オーストリアに戻ってプレーする」と言うのは、恥ずかしいやら情けないやらで、誰にも会いたくありませんでした。ただそれでも辞めなかったのは「もう一度だけピッチに立ってプレーする」という想いがあったからで、その一心が自分を突き動かしていました。

リハビリを終え、オーストラリアに戻り、3週間後にはTOPチームの試合に出場し、2試合目からスタメンに入りました。そこからずっと試合に出続けましたが、昼間に一人でいる時にふと「何をもってして成功なんだろう」と思ったりしました。例えば「リーグ優勝したらか?ここから活躍してNSLに行ったらなのか?Jリーグに戻って契約できたらなのか?」様々なことを考えました。

公式戦が終わり、シーズンが終了する頃の感想は「何が成功か」などどうでも良くなっていて「再びピッチに立てたし、この終わり方でいい」というアッサリしたものでした。ただ、それまでは「このレベルでプレーしていて人はどう思うのか」みたいなくだらない事を考えてましたが、その呪縛からは解き放たれました。

基本サッカー選手は短命です。だからこそプレーできる間は、自分の全てをかけてやるべき、と思うのと同時に、その後も人生は続きます。今の日本で、引退後それまでの稼いだお金で生きていくのは難しい。やはり経済的なことだけではなく、サッカーを通して自分が得たものを、何らかの形で社会に返す事が出来たなら、それは一つの成功と言えるのかも知れません。










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