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コーチにおける父性と母性

以前から常々、他の指導者の練習を観る時、その人のコーチングが父性的か母性的か、またその人自身がどちらに当てはまるか、が気になることがあります。

では、何をもってして「父性的」「母性的」と言えるでしょうか。簡単にいうと父性は「間違いを正すこと」や「規律を守ること」でそれに対し、母性は「ドラえもん」が象徴するもので、要するに「無償で無尽蔵の愛情」と捉えています。

例えば、ある選手がドリブルが得意だとします。父性的な視点だと「ドリブルでもいいけど、相手を抜きにかかるエリアを考えよう!」となったり、母性的な視点なら、例えボールを失ったとしても「いいんだよ!それは良さなんだからドンドン仕掛けていい!」となったりします。

父性的なコーチングは規律やルールで、物事の白黒をつけ、その選手にピッチ内外での様々なラインを教えること。それに対して、母性的なコーチングはその選手が行ったプレーに対してほぼ手放しで容認してあげる、勇気づけて次に繋げてあげるものと捉えています。

当然ですが、父性と母性のどちらが正しくて、どちらが間違っている、という事ではなく、一人の選手が健全に育っていく為には、この2つの愛情が車の両輪のようにバランスよく機能する必要があると感じています。

指導者側としては、先ず自分が「父性と母性のどちら寄りのコーチなのか」を知っておくのは決して無駄ではないでしょう。ちなみに自分は「父性的」で選手にとっては窮屈で、話すのが億劫な存在になりがち。その代わり、選手が「どういう意識でピッチに入るべきか」を考えさせるのは比較的得意です。

自分の性質が分かれば「選手との接し方」において、どちらに比重をかければ良いかが見えてきます。父性的なタイプは選手とのコミュニケーションが苦手だったり、不足しがちなので選手や彼の考えを理解する努力をする。一方で、母性的なタイプは選手との距離が近くなりすぎてしまい、注意しにくくなるので、時には背筋が伸びる対応が必要でしょう。

まとめになりますが、当たり前の様に、子供たちにとってお父さんとお母さんの存在は大切です。父性と母性も同様ですし、そのバランスが問われるポイントになります。基本的にピッチ上では、一人のコーチが両方の愛情を選手に注がなくてはなりません。非常に困難な役割ですが、覚悟を持って今後も取り組んでいきます。



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