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人間になると人生が増える

※このブログは、『人間ではない人間』なるものの存在について書いています。以下の記事に、『人間ではない人間』について詳しく書いてますので、まだお読みになっていない方は、良ければそちらからご覧ください。

人間になると人生が増える

最近、「人が喜んでくれたら自分も嬉しい」という感覚を理解できるようになってきました。

人間の皆さんからしたら、当たり前の感覚だと思いますが、人間でなかった僕にはこの感覚があんまりなかったんですね。

「人が喜ぶかどうか、自分が満足するかが大事でしょ。」

そんなことを本当に思ってました。

でも、おかげさまで人が喜ぶことの喜びを感じられるようになってきたんですね。

これって人生が増えてませんか?

人の喜びや悲しみを含めて一緒に味わうことは、その人の人生を味わっている、ということと同じだと思うんですね。

これって本当に豊かなことだし素晴らしいことだなと最近しみじみと思ったわけです。

他者の人生を『Care』すること

人間ではないときは、他人がどう感じるかよりも、自分がどう感じたかに主眼が置かれます。

だからこそ、人の感情は人の感情

自分の感情は自分の感情(感度は低いですが)

人の人生は人の人生

自分の人生は自分の人生

他人の人生に巻き込まれる心配はないかもしれませんが、それだと自分の人生一つしか生きられないんですね。

でも、人間になると人の感情を少し味わえるようになります。

共感ともなんか違うその感覚を名付けるなら、『Care』という言葉がなんとなく近い気がします。

その人の人生全体に関心を寄せる感覚です。

その人の行動や言動の背景にどのような生い立ちや心のアルゴリズムがあるのか?

そしてその人生全体を、Careする。

過度に心配はしないけど、なんかあったら力になりたいなと願う。

他者の人生を自分も味わう、という体験を言葉にするとこんな感じですね。

そんな人生を今後も増やしていけたらいいなって思ってます。

豊かに生きるってたぶんそういうことな気がする。

Careする対象が大きくなることが、社会貢献活動につながるのか?

昔から、社会起業家とか、誰かや何かのために頑張っている人にあこがれを持っていました。

そんな立派な方々と自分を比較して、
「なぜ自分は社会課題について関心を持ちきれないんだろう?」

そんな劣等感を抱いていました。


でも、このCareする感覚が広がっていったときに、自分も誰かや何かのために動けるようになる気がします。

それがいつになるかはよく分からないけどたぶんまだまだ時間がかかる。

なぜなら、僕のお爺ちゃんがよくこう言ってたから

「こうちゃん(私の呼称)は大器晩成するタイプじゃからな、、、」と。

別に『晩成』じゃなくて全然良いのにな、、、、

そんなわけで、その日が来るまで、自分の人生も、他人の人生も味わっていきたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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