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合理性に閉ざされたシステムの中では、人間の感情は劣化する

生物としては人間でありながら、人間でない存在とは何なのか?
人間でない存在は、社会的にどのように生み出されるのか?

今日は、人間でないものの存在やその生成過程について書いていきたいと思います。

参考にするのは、僕がnoteに記事を書くきっかけになった、社会学者の宮台真司さんと経営コンサルタント波頭亮さんの対談動画。

この動画は本当に素敵なので、良かったら見てみてください!

今回の記事の結論からお伝えすると、、、

現在の社会の土台である資本主義とは、合理性に閉ざされたシステムである。

合理性に閉ざされたシステムの中でだけで生きていると、人間の感情は劣化する、つまり『人間ではない存在』となっていく。

本来は、恋愛や家族・地域といった合理性の外のシステムが、感情の劣化を防いでいた。

しかし、地域社会が空洞化し、家族も空洞化し、恋愛にすら興味を持たなくなり、多くの人間が合理性の外のシステムを持たなくなった

合理性に閉ざされたシステムの中でのみ生きる人が増え、感情が劣化した『人間でない存在』が増えた

こんな形になります。

それではゆっくり説明していきたいと思います。

資本主義という合理性に閉ざされたシステム

最初に断っておくと、僕は社会主義者ではありません。現代の自分が、こんなにもぬくぬくと豊かな生活を享受できているのは資本主義の成果の賜物だからです。
ただ、この社会のシステムは、人間から人間性を奪う可能性があることを自覚することは、人間であり続けるために大切なことだと思います。

資本主義というシステムにおいて、重視されることは何でしょうか?

言うまでもなく、資本の増大です。

企業にとって正義となる行動は、経済合理性がある行動になり、資本の増加につながる行為でなければなりません。

つまり、資本にとっての合理性であらゆるものがジャッジされるということです。これが、資本主義とは、合理性に閉ざされたシステムである、という意味です。

合理性に閉ざされたシステムの中では人間の感情は劣化する

資本合理性を追求すること自体が悪いとは、僕自身全く思っていません。

でも、注意しなければならないのは、合理性に閉ざされたシステムの中では、人間性は排除される可能性が高い、ということです。

なぜなら、合理性を追求する限り、一番のノイズは人間だからです。

行動経済学で示されたように、人間は感情的な生き物で、多くの場合に不合理な選択を取ります。

1年後にもらえる7万円よりも、今すぐもらえる5万円を選ぶのが人間という生物です。
1万円を得る喜びよりも、1万円を失う悲しみの方を過大評価するのが、人間という生物です。


合理性に閉ざされたシステムでは、このように不合理な人間の情動や感情は排除される可能性が高くなります。
結果、人間の感情が劣化します。
人間でない存在が生まれていくことになります。

恋愛関係や家族・地域という合理性の外の共同体

このような資本合理性に閉ざされた世界から守ってくれる世界もありました。それが、恋愛関係や家族、地域といった合理性の外に存在する共同体の存在です。

恋人が恋人である合理的な理由ってないですよね?
家族が家族である合理的な理由ってないですよね?
地域の共同体に属する理由って「近くに住んでるから」以外にないですよね?

そんな風に、合理的な原理を超越しているのが、恋愛関係や家族、地域といった共同体です。

合理的でないシステムを持っていないと、人間はいつでも自分の存在不安と戦うことになります

なぜなら、合理的であるシステムの中で育まれた関係性は、同じく合理的な理由でいつでも切れてしまうからです。

損得で付き合っているビジネスパートナーがいるとします。
その人にとって、自分よりも利をもたらしてくれるパートナーが現れたとしたら、きっと自分ではなくその人に乗り換えられるでしょう。

このような関係性の中にしか存在できないと、「自分という存在はいつでも代替可能である」という不安をぬぐえないため、いつまでたっても消えない寂しさを抱えることになるのです。

人間でなかったときに自分がずっと抱いていた寂しさは、まさにこの感覚でした。

一方、合理的でないシステムの中で結びついた関係性は、合理的なものさしでは測れません。

なので、「たとえ何があっても家族は家族だし、恋人は恋人だし」という理論武装されてないがゆえの、崩しようがない強い関係性になるんです。

もちろん、何かの拍子に壊れてしまうことがないとは言いません。

でも、不合理な関係性は、自分に不思議な安心感をもたらしてくれます。そしてそれが、人間の情動や感情といった、非常に不合理なものの存在を許容してくれるため、人間が人間でいられるんです。

地域・家族が空洞化し、恋愛までも損得の対象になった

しかし、そのような不合理な関係性を得るはずだった共同体の多くが崩れかけています。

隣に住んでいる人の顔も名前も知らない、という状態が増えた昨今、言うまでもなく地域共同体は消失しかけています。

また、家族の中で、感情的な安心感や愛を経験できずに大人になる人が増えてきているそうです。

さらには、「コスパが悪い」とか「面倒くさい」と言った理由で恋愛までも敬遠する人が増えています。何を隠そう、自分もそうでした。。。

宮台真司に表現を借りると、『愛による包摂』を知らずに育ってしまうということです。

このように、本来は合理性の外の世界を与えてくれるはずだった共同体のほとんどが空洞化してしまった結果、人々は合理性に閉ざされたシステムの中でしか生きられなくなります。

その結果、感情が劣化し、人間でない存在が生まれてしまうことになるのです。

感情が劣化すると、人の幸せを喜べません。
感情が劣化すると、今この瞬間の幸せを楽しめません。
感情が劣化すると、自分の本当の欲に気付けません。

僕自身がずっと生きてきた状態だから分かるんですが、平たく言ってしまえば、決して幸せではないんですよ。

人間であることは、幸せを感じるためには絶対必要な条件なんです。

人間性を守り続けるために必要なこと

最後に、この社会の中で人間性を守るために、必要なことを書きます。

逆説的かもしれませんが、それは、資本合理性の中でたくましく生きる力を身に付けるということです。

というのも、社会の土台が合理的なシステムなので、我々はいつもそのシステムの侵襲を受け続けているわけです。

そして、社会の土台であるということは、このシステムの外にはじき出されたら、僕らは社会的な存在として生きていけなくなります。

この存在不安があるからこそ、
「上司と馬が合わなくて仕事が嫌だけどやめられない」
「仕事はそんなに面白くないけど、生きていくためには必要だからやらないといけない」

こんな風に、自分の思ったことも言えずに、自分の心を濁して働かざるを得なくなってしまいます。
こういうことを続けていると、自分の感情を出せなくなり、人間は人間でいられなくなります。少なくともメンタルも押しも弱い僕はそうです。

なので、そんな状態に陥らないためには、「気に食わないことがあったらいつでも辞めてやる」と言えるように、資本主義社会の中で自分自身の価値を高めていくしかありません。

合理性の外のシステムを守るためには、合理的なシステムからの干渉を弱くできるような状態が必要である、ということですね。


合理性の外に開かれたシステムを維持しつつ、合理性に閉ざされたシステムでしたたかに生きていく力を身に付ける。
この社会の中で心を濁さずに生き残っていくには、両者がかかせないと今は思っています。

人間のみなさんへ

自身のかけがえのない人間性を維持するために必要なことは、人によって条件が異なるかもしれません。
ただ、少なくとも言えるのは、その人間性は是が非でも守り続けないといけない、ということです。

今日の記事がそのヒントになれば嬉しいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
人間修行は続く、、、

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