見出し画像

ここ数年、自身の内的な探求を続けているが、ずっと触れなかったのが『父』だった。

自分にとっての父親は、『私の世界には介在しない存在』だった。ずっと。

なんでこうなってしまっていたのか?その理由がずっと分からなかったし、実の生みの親をそんな風に捉えてしまっている自分が許せなかった。

ただ、ここ数か月の学びで分かった結論はすごくシンプルで、
「ああっ、私はただ、父から愛されていると実感したかっただけなんだ」
それだけだった。

僕なんかといて幸せだったのか自信が持てなかった

私の父を直接知っている人からすると、「えっ?普通に良いお父さんじゃない?」という印象を持つだろう。

時代が時代だから、イクメンとかではない。
ただ、真面目に働いて稼いで、週末は釣りに行ったり、家族と遊びに行ったり、長期休暇には旅行にいったり、そんなことをごく普通にやってくれていた。
家長父的な側面が強いわけでもなく、子どもの意志を尊重してくれるタイプでもあったと思う。

こんな風に特別に何かがダメだったわけでもなく、世間のマジョリティには属しているであろう父だった。

でも、自分と父の記憶を振り返ってみると、なんかよく分からない怖さがつきまとっていて、『純粋に楽しかった』みたいな色の経験が思い出せない。

一緒にキャンプに行ったりカブトムシ取りに行ったり、楽しい経験もいっぱいしているはずなのに。

最近ようやく分かったその怖さの正体は、「私はこの人に愛されていないんじゃないか?」という疑念だった。

ここから先は

2,256字

スタンダードプラン

¥300 / 月
このメンバーシップの詳細

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?