「人は変わらない。変えるのはまず自分」って言うけど、『変えよう』と思ったら自分だって変わらない気がする
こんにちは!今日も人間修行中のおかもってぃです。
「僕って人の評価がものすごく気になる性格なんですよ〜」って伝えると、、、
「えっ!!!そういうの『全く』気にしないと思ってました!意外すぎるんですけど!!!!!」
っていうリアクションがよく返ってきます。いったい私はどう見られているんですか?(笑)
人に嫌われたくなくて、相手に合わせて変に笑って過ごしていた時期も長く、自分はいまだに人から否定されたり嫌われたりすることがものすごく苦手です。
自分の発言や行動で、相手を傷つけてしまったんじゃないか?不快な思いをさせてしまったんじゃないか?と思うと3日間くらい、気持ち悪くなります。
この間もそんなことがあって、「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜」って軽く悶絶してました。
ただ、人から嫌われることを気にしすぎていると、人の評価ありきの選択しかできなくなってしまうんですよね。
それはまずいな〜〜〜と、『こんな自分を変えないといけない!』って思ったわけですが、、、
ふと思ったんですよね。
『他人』だって、変えようと思うと変わらない。それは『自分』だって同じじゃないかと。
よく、「人は変わらない。変えるのはまず自分だ」って言われますけど、それは嘘なのではないかと。
人間って基本的に天邪鬼な生き物なんです。
専門的に言ったら、恒常性維持機能(ホメオスタシス)が働くから、変化させようと思っても、現状に戻ってきたがる生物的な本能があるわけで。それは他人であろうが自分であろうが変わらないんですよね。
だから、『変えてやろう』っていうモチベーションで戦おうとする限り、ホメオスタシスの機能によって『変わらない』っていう選択が強化されてしまうんですよね。
自分を変えることができるとしたら、それは『赦し』だと思う
ここから先は、まだ体験が少ない領域なのですが、結果的に自分が変わることがあるのだとすれば、それはそんな自分を赦せたときなのかな〜と思っています。
まあそう思っちゃっている自分がいるのも仕方ないよな、と心の底から納得できたときに、そのことがどうでもよくなる感覚です。
自分を赦す方法はまだ明確には分からないけどやってはいけないことは多分こんな感じ。
①その感情を無視すること
②その感情を抱いてしまった自分を否定し、変えようとすること
現状僕にできることは、そんな感情を抱いている自分をただただ観察するくらいですね。
ただ、『変えよう』と思っても変わらないのは自分の歴史が証明しているので、しばらく違う手段で実験してみようと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
人間修行は続く、、、
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