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教育業界離れてエンジニア転職します。最終出勤の帰り道に感じたこと。

こんにちは!人間修行中のおかもってぃです。

この12月をもって、お世話になっていた現在の職場を辞め、エンジニアに転職することになりました。
アルバイトのときも含めると10年近く教育業界にいたため、「えっ!?本当に???」と驚かれている方もいるかもしれません。エンジニアを目指したきっかけなどはまた別の機会にゆっくり書いていきたいと思います。

最後の仕事とご挨拶がひと段落し職場を出た時に、胸に抱いていた感情は、ささやかな幸福感と温かい感謝の気持ちでした。
「あ~楽しかったな~。良い人たちと仕事ができたな~」と。
苦労したことも、落ち込んだことも、失敗していたたまれない気持ちになったこともあったはずなのに、、、
不思議なことにいいことしか思い出せないんですよね。人間ってなんとも都合よくできているみたいです、笑

『今後もつながれる人に1人でも出会えたらそれで良い』とかっこよく言おうと思ったけど、、、

こんな風に、一緒に働けて良かったな~と思えたことは、とても幸せなことですが、同時に、仕事を辞めてもつながりを保つことはけっこう難しいんだろうな~と思っています。
もちろん、密なつながりでなくても関係性を持っておくことは、『弱い紐帯』という言葉で、価値のあることとされていますが、、、

同じ職場で仕事をしている間は、『同じ世界を生きていられる』からつながっていられるけど、仕事の縁が切れたらそれまでになってしまうことがほとんど。

でも、そんな中でも、今後もつながっていたいな~っていう人に数人は会えていたりする。仕事の価値っていろいろあるけど、そういう風に仕事を通じて仕事を超えた関係性を築けることは何よりも重要なのではないか。そんな風な人に1人でも会えただけでなんかもうきっと十分なんだと思う・・・

ていう風に『なんだかよさげなこと』をきれいに書こうと当初は思ってたのですが、、、これ全然本心じゃないですね、笑
「あ~あの人とも、この人とも、、、もっとしっかりつながっておきたかったのに!!!」っていう後悔がめっちゃありますwww

ただ、時間と機会が足りなかったですね。。。

違うんですよ、、、ボンちゃんはそうでも、、、
僕は違うんですよ。。。

仕事はきっと戦友を増やしていく試み

こういう感覚になるってことは、自分はやっぱり、素敵な人と繋がっていきたい生物みたいです。
「出会ったその日からMy ソウルメイト!」、なんて初見で人とのつながりを感じられるほど、僕は開けている人ではないので、つながるにはある程度の条件が必要。それを一言で言うなら
"共に戦った"という感覚だと今は思っています。

何かを目指して一緒に考えたり、一緒に苦労したり、弱い部分をさらけ出したり、、、そういったことを一定の期間共有できると、ともに戦った感覚が得られるような気がします。

仕事とは本来、そのような戦友づくりがしやすい場のはずで、「今日の仕事は楽しみですか?」という駅広告で炎上してしまうようなものではないと思うんですよね。もったいない。

白ではなくグレーでいい。きれいでいるより不完全な人間でいたい。

そんなこんなで、基本的には楽しく仕事をさせてもらっていたのですが、最近、『人間』に近づきつつある自分にとって、教育の現場がなんだかどんどん『非人間』的になっていくような気がするんですよね。そして、悲しいことに、、、それらはもっぱら、保護者からのクレームを防ぐためだったりするんですけど。。。

ちょっと前に、こんな記事を見ました。

死ぬのは5人か、1人か…授業で「トロッコ問題」 岩国の小中学校が保護者に謝罪

有名なトロッコ問題。命の価値に優劣はあるのか?ということを考えてみる題材として非常に面白いテーマのはずなんです。

でも、人間の道徳観に関する生々しいテーマ程、どこかの誰かが「子どもが不安に思っている」みたいなクレームを入れてしまうんですよね。もう本当に辞めて欲しいんですけど。。。

こういう事例が起きれば起きるほど、教育はどんどんサービス化していくと思っています。サービス化という言葉は、『支払われた金銭に応じて、その対価として適当なサービスや物質を提供する商品と化す』とここでは定義します。

教育における費用の負担者は、『保護者』。つまり、教育がサービス化すると、金銭の負担者である保護者の期待に沿う商品を提供することが教育における正義になってしまうんですよね。

その結果、クレームをもらうような可能性のあることはどんどんできなくなってしまいます。

もちろん、適切な競争が働いて、サービスの質がよくなることもあるから、サービス化が一概に悪いとは言えないのは分かってるんですが、、、

なんかそういうことが続くと、本当にきれいなものしか残らなくなってしまうような気がするんですよね。

故伊藤 計劃氏の書いたSF小説、ハーモニーのような世界観。
人間の健康状態・感情までが体内の分子ロボットにより制御コントロールされ、不適切な食べ物やストレスのかかる感情が生じるとアラートがなる。そのため人間がみんな健康的で調和的になっていくような。

そこまでのディストピアではないですが、なんか近しいものを感じてしまうんですよね。

人間は、全然不合理だし、汚い。でも、そういうものだと思う。
なのにその不浄さを取り除いてしまったら、その環境で本当に人間は育つのか?

その辺はもう僕にはよく分かんなくなっています。ただ、少なくとも僕は、、、
きれいでいるより汚くていい。
白に近づけようとしないでグレーのままでいい。

今はそんな風に思っています。人間っていう生物はそういうものだと思うから。

人の成長を支援したいという欲求がない

10年やって、ようやく気付いたことは、僕には人の成長を支援したいという欲求がない、ということでした。

人は好きだし、つながりたい欲求はすごくあるんですけど、育てたい欲求はあんまりないんですよね。

「人がやりたいことを見つける手助けがしたい」とか言って、コーチングを習ったりしてみたけど、自分の欲求、そして適性は、あんまりそこにはなかったんだなと、振り返ってみれる今なら思います。
我ながらよく教師やってましたわ。

どうも、『理論的に、システム的に、視覚的に、整えたい』っていう欲求がはるかに強いみたいです。

なので、教育畑にいるのであれば、直接生徒と関わるよりも、カリキュラムを考えたり、効率の良い運営方法を考えたり、、、そういったことをする方が向いているのだと思います。

特性を生かす、人の役に立つ、お金を稼ぐ

自分の特性がようやくはっきりしてきたので、自分の特性を生かせるエンジニアという仕事を選びました。
自分の特性を生かして、より人に役に立てて、よりお金も稼げることをやっていきたい。
それが、自分という命を消費する上で最も有効だと思います。

ちなみに、今後は、データ分析や機械学習の分野で働いていくつもりです。また、前職で、Googleのアプリケーションの操作を自動化するプログラムをたくさん作ってきたので、Googleスプレッドシートにたくさんの情報を手作業で入力している人などいたらお声掛けください。たぶん役に立てると思います。


10年間、辛いこともたくさんあったけど、振り返ってみれば楽しかったですね。
異なる業界でチャレンジしていきますが、この10年間で得られたご縁は大切にしていきたいと思っているので、今後ともよろしくお願い致します。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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