見出し画像

『人の役に立ちたい』って人生で初めて心から思えた話

2年前くらいに、割と本気で『人間になる』という目標を立てました。
「あなたは人間ではないのですか?」というツッコミが全方位から飛んできているのを感じますが、割と本気で『自分は人間ではない』と悩んでいたんですね。人として何か致命的なものが欠けている気がすると。

目標を立てた当時は正直、何が欠けているのかよく分かっていませんでした。しかし、「ああっ、こういう感覚を『人間らしい』というのか。」という瞬間に、たまに出会うようになり、人間の条件、というものがだんだんだんだん分かるようになってきました。たぶん。。。

人間ではなかった自分が、人間らしさを経験したり、人間の条件に気付いたりしたことを今後も書き留めていきたいと思います。この記事を読んでくださってる多くの人は、きっと『人間』だと思われますが、なんかあの人『人間っぽくない』と感じる人を理解する一助になりますので、気が向いたら読んでいってください。

今日は、「人の役に立ちたい」と感じることのできた自分に驚いた話です。

「ありがとう」と言われても全く嬉しくない自分

皆さんは「人の役に立ちたい」っていう感覚持ってますか?
「ありがとう」って言われて嬉しかった感覚を覚えてますか?

人間にとって当たり前の感覚だと思いますが、人間ではない僕には、なぜだかこの感覚がさっくり抜け落ちてたんですよね。

「人からありがとう」と言われて、嬉しいと感じたことが全く思い出せないんですよ。冗談じゃなくて本当に全く思い出せなかったんですよ。

『自分が楽しいかどうか、満足しているかどうかが一番大事でしょ。』みたいに本気で思ってました。

誰かのためになることよりも、自分の知的好奇心を満たすことの方が、自分にとっては大切だと信じていて、『隠居して好き放題勉強できる環境にいたいな~』と本気で思ってました。

そんな風に自分の捉えていたので、大学で物理をもう1回学びたい、と思っていたこともありました。

こういう人が「ありがとう」と言われたときにどんな感情になるかというと、『何も感じない』んですね。「あ~そうか、自分がやった行為はこの人の役に立ったんだな~」と頭で思考はするけれど、感情的に嬉しい、という感覚になることはありません。

「ありがとうと言われて温かい気持ちになった」とかいうじゃないですか。あの感覚がほとんど理解できませんでした。

齢30歳にして、人の役に立つことが嬉しいと気づく

そんな僕にも、「人の役に立つことが嬉しい」という感覚に気付く機会がありました。

2020年の秋ごろから、プログラミングにハマったんですね。Google Apps Script(通称GAS)という、Googleのスプレッドシートとか、Gmailとかの操作を自動化できる便利なプログラミング言語があるんです。それを使うと。手作業で1時間かかっていた作業を一瞬で終わらせることができたりするんですよね。

それがとにかく楽しくてドはまりし、土日も関係なく仕事で使えるプログラムをひたすら作成し続ける日々を送っていました。

そうして、様々自動化したプログラムを職場の人にも使ってもらっていたんですが、同僚がそのプログラムをすごく喜んで使ってくれたんです。それを見た時に、「あっ、嬉しい」と自分も感じることができたんですね。

「ありがとうございます!これすごいです!」って言って使ってくれたのが、すごく嬉しかったんですね。

人からのありがとうは全く重要でない、と思い込んでいた自分とって、これは衝撃的な感覚でした。

「えっ!?人からの感謝を『嬉しい』って思ってる!!!」

冗談のように聞こえるかもしれませんが、そんな感情を抱いた自分に本当に驚いたんです。

「ありがとうって言われて嬉しかった。」

小学生の作文にすら出てくるレベルの感覚だと思いますが、人生30年近く生きて、ようやくその感覚にアクセスすることができました。

「ありがとう」と言われることが嬉しくないわけではなかった

振り返ってみると、人の役に立つことをすることや「ありがとう」と言われることが嬉しくないわけではなかったんだと思います。思い出せないけど、人からの感謝を純粋に嬉しく感じた経験もあったんだとは思います。

ただ、人よりも『嬉しさ』を感じるまでのハードルが高くてその感情に気付きにくかったこと、また、過去に人の役に立ちたくてコーチングを習ったけれど、結局その技術をものに出来なかった経験から、

自分は人の役に立つことは出来ない→人の役に立つことは重要ではない

と脳が勝手に思い込みを作ってしまっていたんだと思います。

思えば、大学院を飛び出した主な理由も、『自分の研究が人の役に立っている気がしない』というものでした。

勉強のための勉強を続けるのはやる気が必要だけど、仕事で生かせるプログラムを作る作業は楽しくていくらでもできたことも、誰かのためになることが嬉しかったのだと思います。

本当はずっと誰かの役に立つことをしたかったけど、いろいろめんどくさい思い込みのせいで、素直に思えていなかっただけみたいでした。

自分の得意なことでもっと人の役に立つことをしたい

『人の役に立ちたい』自分に気付いたことで、嬉しいオマケがありました。それは、「自分の得意なことでもっと人に貢献したい」と心から思えたことです。

今までも、口では「教育を良くしたい」とか語っていたことはありました。でも、圧倒的に手触りがなかった。頭で考えてひねり出しただけの言葉で、世間や周囲の環境によって『言わされていた』に過ぎない言葉だったと思います。

でも、人の役に立つことが嬉しい、と感じた経験から、自然に「ああっ、もっと人の役立つことがしたいな~」と思えるようになりました。

日本を変える!とか社会をこうしたい!とか、大きいことは言えないけど、でも、自分が持っているものを最大限生かして、誰かの役立ちたいと等身大の自分として思うことができるようになったんですね。

その時に立てた目標もあって、それは無事に叶えることができました。それについてはもうちょっと時期が経ったらこのnoteにも書いていきたいと思います。

人間の条件『人の感謝が嬉しい』

ソースは探せなかったけど、人間はそもそも誰かの役に立つことで喜びを感じる遺伝子がある、みたいな話もあるようです。

たぶん、人の役に立つことが嬉しくないっていう人間は本当はいないんじゃないかな、と今の僕は思っています。

もし、これまでの僕のようなことをのたまう方がいるのであれば、その人はきっと人間になる修行の真っ最中です。どうか面白く観察してあげてください。

最後まで読んでくださりありがとうございました!
人間修行は続く♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?